このブログを始めた当時の神戸震災をつづったエントリーを再掲載(2006年1月)
4年前のものだが、心境は変化していない。
その年は、数ヶ月前に大阪から福岡に転勤になっており、神戸には知り合いも沢山いました。転勤の入れ替わりは、大学時代からの友人で彼は震災に遭ってしまった。そして、震災の前の日まで彼の家に泊まって大阪で遊んでいたのだ。
そして、福岡の自宅のTVで明け方燃える神戸をみることとなる。そして、情報を得ようと会社に行くと、心配しながらも業務を続ける会社人間達。確かに、神戸の人と接触が少ないにしても冷たいなあとの印象を持った。私は仕事など手に付くはずもなく、情報収集を続けていた。
彼は無事だった。よかった。他の亡くなった方には申し訳ないが、彼が死んでいたら「私の転勤の交代が無ければ死ななかったのに自分のせいで彼は死んだ」と自分を責める人生を過ごすことになっただろう。個人のエゴの部分で恥ずかしいが正直にそう思った。その後、知り合いの無事の知らせに喜んだ。直接の知り合いはほとんど無事であったが、家族の方が亡くなった方はいらっしゃった。
会社を放り出しても災害に駆けつけるような気概の無い自分は情けなかったため、静かに経緯を見つめるのみであった。
行動することの難しさが、一般サラリーマンにはあったが、当時の県知事と総理大臣が自衛隊の出動要請、米軍の協力を拒否したことは忘れられない。政治的な理念など国民の生命と財産のまえに忘れて、行動するこれが本物の政治家であろう。その決断が天災を人災にかえた瞬間であっただろう。
ここ数日の事件の象徴するものはなんだろう。
宮崎勤の死刑判決。この事件から社会はさらにおかしくなったではないか。表面上のビデオやホラー規制などだけで、犯罪防止の本質である教育を未だにぬるい個人平和主義の日教組などの学校教育に頼り、卑劣な事件は増えるばかりである。
ほりえもんの捜索では、バブルで足が地に着いていない非生産的なマネーゲームは直ぐに弾けると解っていたのにそれを煽るマスコミと社会。なにもバブルから学んでいない。
耐震偽装問題。震災での被害の多くは、耐震設計以前の建物と手抜き工事の建物であった。そこから学ばずに大問題の露呈。
20年前から進歩していない日本を浮き彫りにしただけだろう。
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