奈良市役所の解放同盟の幹部が、給料を出勤しないで貰っていた事件がマスコミでも大きく取り上げられている。それも一人ではないとのことである。
この手の話は、大阪、京都でも顕在化しており「やっぱり」「これは氷山の一角」という意見は多い。そして、その意見は多分当たっているのは間違いない。
この辺りの歴史とか現在の状況については、「
同和日記」(biog-hide-1955 さん)を呼んでもらうと判りやすいと思う。
こちらにコメントも書かせて戴いたのだが、本来の同和差別については個人的には40代未満の世代では無いと思っている。
例えば、私の息子が部落出身の娘さんと結婚したいと言った場合、私は興信所に調査を依頼して、その結果如何では反対するだろう。なぜなら、その娘の周りに部落同盟などの関係者がいれば大変なことになると考えてしまうからだ。これは同和差別ではなく、私は親戚や家族を危険な団体から守らなくていけないからだ。それは心配のしすぎだろうとアサピの社説のようなことを言う人がいるかも知れないが、それは認識不足と思う。平和主義者や差別反対主義者は、ある意味武闘派右翼より残忍で卑劣で暴力主義(言葉の暴力含む)である。ほとんどの人の同和差別と言われる行動は、本人を侮蔑や差別するのではなく、背後の同和団体への畏怖であり、避けたいと思うものである。
でも、実際は結婚してから知ってしまって頭を抱えることになると思う。(部落出身でも同盟とかに関わりなければ、全く知らないままで済むだろうし、知ってもどうも思わないと思う)
こうして書いていて感じるのは、私が嫌うのはサヨク団体とか宗教団体とか在日団体とか部落団体であって、個人には全く偏見とか差別意識は無いと感じるのだ。
同和運動の腐敗の原因については、調べれば直ぐに判ることであるが、サヨク、在日、宗教団体、やくざが、同和利権に群がり大きな力を持ってしまってマスコミや警察からもタブーの領域まで押し上げてしまった。そして、公共事業の利権と同じく同和利権は、システム化してしまった。
結果として、同和団体の行動は差別を無くすためでなく、差別生み出す結果となってしまうという誠に皮肉な結末となってしまった。
同和利権の構造は、崩壊の道へと動き出したのではないか。いや、動き出さねばならない。利権崩壊のあとには、同和問題があったという事実のみが残ることを願うのである。
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