朝日新聞の年末の特集記事「2007年 心に残った一冊」のエンタメノンフ(楽しめるノンフィクション)のコーナーで紹介されていた内澤旬子さんの「世界屠畜紀行」を読みました。
内澤さんは屠殺とのことを少しでもイメージを良くしようと屠畜と呼び、その手順を見るのが大好きな人です。モンゴルで始めて屠畜を見てそのあまりの面白さに衝撃を受け、もっと知りたいと思いましたが、日本には屠畜について書かれた本がありません。これはその仕事に関わる人が昔から差別されてきたこと(それも部落差別と関係があるらしい)を関係していたのだと言います。そうした現状を打破するべく、世界の屠畜の現状とそれに対する考え方を取材しようと思ったことが、内澤さんがこの本を作るに至った動機です。
まず、韓国のカラクトン市場から。李朝時代から白丁(ペクチョン)という屠殺を業とする差別民がいたらしいのですが、現在ではいろんな人が関わっています。しかし、職業に対する差別はまだあるとのことです。
豚の屠畜は、まず狭い枠にはめて電気ショックで失神させますが、その瞬間キューと鳴きます。鶏は熱湯に生きたまま入れて羽をむしりやすくします。
バリ島では、人口の9割以上がヒンドゥー教徒。成人男性なら豚の解体は朝飯前なのだそうです。小豚の丸焼きは、まずナイフで頸動脈を切って血を採り、体に熱湯をかけて毛をむしり、爪を外し、下腹部に切り込みを入れて内臓をずるんと引っぱりだし、腹の中を洗い、そこへ香辛料を詰め込み、口から棒を突っ込み、顎の骨を叩いて壊し、豚ごと垂直に立てて豚の重さを利用してお尻に棒を姦通させ、それを火の上で回転させながら焼きます。皆好きでやっていて、副業を持っています。食べるために動物をつぶすことは彼らにとってはいいことで、神からの恵みを感謝して食べるという宗教的な意味を含んでいます。
この後も、エジプトでのラクダの屠畜、イスラム諸国での祝いや祭りの際の羊の屠畜、チェコでの豚の屠畜、モンゴルでの羊の屠畜、韓国での犬の屠畜、東京での豚・牛の屠畜、沖縄のヤギ・豚の屠畜などなど、さすがに途中で読むのを諦めました。ここまで屠畜にこだわって解体の様子をうまいイラスト入りで取材し続けるのは、著者が屠畜が大好きというのと共に、そこに屠畜に対する差別意識を少しでもなくしていきたいという意気込みでしょう。
実際、エジプトでは職業差別が激しく、下から農民、タクシードライバー、地下の掃除、下水処理、ゴミ回収、ナイフ研ぎ、行商、鍵を作る人、道端で商売してる人、ベリーダンサー、女優、マイクロバスノ運転手、などとともに屠畜も差別されているそうです。(でも地下掃除、下水処理、ゴミ回収などはそれをやってくれる人がいないと差別する側の生活が成り立たない仕事ですよね。こういうところからも差別する側の自分勝手さが垣間見えます。)韓国も犬屠畜人への差別は激しいそうです。東京はというと、これも嫌がらせの手紙なんかが来るんだそうです。そんな手紙書いても何も変わらないのに。その一方で、イスラム諸国やチェコでは差別が全くないそうです。差別どころか、イスラム諸国では有り難がって殺して食べるのですから、その気持ちを私たちも持ちたいものです。
「私たちが生きることは、ほかの生き物が血を流していることなんです。(中略)これから『いただきます』と言うときに、そのことを忘れないでね。」(本文P.123)そうですよね。「いただきます」って、神様に言うのと同時に、今から食べるために殺された動物・植物たちに向かっても言うという気持ち、大切ですよね。言うのは簡単、するのは難しいですが、なんかいいことを教えてもらった気がします。内澤旬子さんの「世界屠畜紀行」、オススメです。

1