1月29日発行のフリーペーパー「R25」に、乾布摩擦についての記事が載っていました。乾布摩擦は血行を良くし、「風邪がひきにくくなる」「安眠できるようになり、疲労も回復しやすくなる」「自律神経の働きが良くなる」「ストレスに強い体になり、内臓の病気に強くなる」など、いいことづくめのようです。また、人間の体質は2週間スパンで環境に順応していく、ということも書いてありました。乾布摩擦、オススメかも?
さて、ニューヨーク3日目はセントラル・パークの南端から北上しました。まず、雪積もる美しいセントラル・パーク(シープ・メドウと呼ばれる、広々とした芝生の広場もありますが、基本的には自然を生かした、多くの大木の中を歩く散歩道といった感じであり、広大な自然と、周りの美しく古いビル群が魅力です)を抜け、門の両側に火が燃える、地獄門のようなダコタ・ハウスの入り口を見た後、セントラル・パーク内のイマジン・メダリオンに行きました。なかなか見つからないほどの小さな石碑が地面に備えられていて、友人から「花が供えられてるよ」と聞いていたのですが、ツアー客たちが一瞥するだけで、ポツンと雪の中に埋もれていて、何とも言えないせつない気持ちになりました。盤面には「STRAWBERRY FIELDS」と先ず刻まれ、その下に「imgene all the people living life in peace_John Lennon」、そしてアフガニスタンから始まりザイールまで121ヶ国の国名がABC順に刻まれ、その下に「上記の国によって是認された平和の庭として、セントラル・パークのこの場所を復活させることは、ヨーコ・オノの寛大さによって可能とされた。 1985年10月9日 エドワード・I・コッチ市長とヘミング・J・ステム公園委員長(Park Commission)によって捧げられる」と刻まれていました。が、何のことやら分かりませんでした。ジョン・レノンさんの詩は分かるとして、その後の、国に是認されたというのが、国の誰が是認したのかが分からないし(というのも、国の最高権力者が是認したとはとても考えられない国も含まれているから)、最後の文章も、オノ・ヨーコさんがこの石碑を作るに際して、自分の持つ著作権料を要求しなかったということは分かるものの、何故コッチ市長とヘミング氏がこの石碑を作ろうと思ったのか、また「平和の庭として復活する」ということの背景となる歴史とは何なのかなどということが、まったく分かりませんでした。
ということで、ニューヨークから帰ってから家のパソコンで「imagine medallion」と検索をかけてみたら、何と、私が見た石碑はイマジン・メダリオンではないということが判明しました。本物は何とマンホールの蓋のようなもの。ジョン・レノンを偲ぶなら、そんなもの(失敬)より、私の見てきた石碑の方がずっといいような気もするのですが‥‥。と、この辺で字数が尽きてしまいました。明日は、ハドソン川を渡ってニュージャージー州に行きます。

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