昨日報道されたマイケル・ジャクソンの急死には私も驚きました。報道ではもっぱら80年代での活躍の様子を紹介していましたが、私にとってのマイケルはクインシー・ジョーンズの秘蔵っ子として'79年に「Don't Stop Till You Get Enough」と「Rock With You」でビルボード年間チャート第一位を2年連続で取ったことが一番印象に残っています。20才の大学生であった当時の私は、毎週土曜の夜にはラジオ関東で湯川れい子さんの「全米トップ40」を聞いていて、年末にやる年間トップ100の放送はテープに録音して何度も聞き返していたのですが、その貴重なテープも年月を経て再生不能となってしまいました。人生に迷っていた時代に、外の世界を垣間見ることのできた大切な時間だったことを覚えています。そしてマイケルが私とほぼ同じ年齢であることを初めて知りました!(私よりずっと年下だと思っていました。)
そしてファラ・フォーセット。私にとっては'78年から'83年にかけて日本テレビの日曜10時30分から放送されていたテレビドラマ「チャーリーズ・エンジェル」に出演していたファラ・フォーセット・メジャーズ(当時彼女は俳優のリー・メジャーズと結婚していました)として記憶に残っています。はでな顔だちと見事なロングの金髪でセックスシンボルとしての扱いを世間では受けていましたが、私は「チャーリーズ・エンジェル」の中では彼女よりも黒髪の短髪の女性(名前、忘れました)の方が好きでした。日テレのこの時間帯はアメリカの帯ドラマを当時放映していて、'76年から'78年には「バイオニック・ジェミー」という、事故で命を落としそうになった時に人体改造を受け、その特殊能力を使って様々な事件を解決していくという、今考えると何とも荒唐無稽なドラマも放送され、主演していたリンゼイ・ワグナーにほのかな恋心を燃やしていて、最終回を知らされた時にショックを受けたことを覚えています。考えてみると「バイオニック・ジェミー」の時、私は16〜19才、「チャーリーズ・エンジェル」の時が19〜24才。前者の時は次の日に週末明けの学校を控え、沈み行く気持ちの中でこの番組に光明を見ていた気がしますが、後者では途中から東京に住むようになるなど、それほど熱心に見てはいなかったような気もします。いずれにしても、私の青春を彩ってくれた番組でした。ファラがライアン・オニール(私の若い頃はかなりの二枚目俳優でした)と子供までもうける仲であったことは知りませんでしたが、ニュースで見たファラが死の直前まで美しかったのに対し、最近のライアンは太ってしまい別人のようになってしまっていたのがショックでした。
いずれにしても'70年代の終わりに明るく輝いていた二人だったことは確かだと思います。ご冥福をお祈りいたします。

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