朝日新聞の江戸特集で紹介されていた、渡辺京二さんの'98年作品『逝きし世の面影』を読みました。明治期の近代化で失われた江戸時代の生活文化を、その時代に日本を訪れた異邦人観察者の証言によって再現しようとした試みです。
彼らの証言によれば、江戸時代の庶民は、見知らぬ人に対しても微笑みをもって挨拶し、家族とお茶を飲むように戸口ごとに引きとめる招待や花を贈るなどの愛想のよさを示し、またむきだしだが不快でない好奇心、自分で楽しんだり、人を楽しませようとする愉快な意思を持っていました。また、食べたいだけは食べ、着物にも困らず、家屋は清潔で、日当たりもよく気持ちがよかったともいいます。そうした豊かな生活は、平地から段丘に至るまで作物で覆われた景観、整備された灌漑施設と入念な施肥、土地の深耕と除草によって可能となるものでした。年貢に関しても、100年から150年前の査定を基礎としたもので、その後の農業生産性の向上により、農民側に余剰作物が蓄積されている状態でした。農業人口の増加は、商工業の急速な成長によって、増加分が村内のあるいは都市の他の雇用に吸収されたために、生活を圧迫することにはなりませんでした。しかし彼らの生活は簡素であり、そうした気風は気楽な暮らしを実現していました。 自然のもたらす恵みは地域すべての人々に開かれていて、生活自体も開放的で、近隣に強い親和と連帯が存在し、平等の精神にもあふれていました。礼儀正しさが重んじられ、人生の辛いことどもを環境が許すかぎり、受け入れやすく品のよいものたらしめようとする広汎な合意が形成されてもいました。
通りは特有の衣装と道具によって差異化された様々な職業の人であふれ、棲み分けるニッチの多様豊富という点で際立っていました。多くの店には毎日の暮らしに欠かせない手工業品があふれ、その創意工夫と技巧と機知にあふれた工芸品の数々が、当時の西欧社会にジャポニズムの熱狂を呼び起こしました。
労働は歌を生み、旅も時間にしばられず、職人の業は優れ、民衆の生活に権力が介入することは稀で、自治が確立していました。
公の場で裸体でいることは普通のことであり、混浴が行われ、行水で女性が裸体を他人に見せることも一般的なことでした。春画や春本が横行し、女性も普通に見て楽しんでいましたが、性的結合は男女相互の情愛を生むものとして自然に受け入れられていました。買春もうしろ暗いものではなく、精進落としという点で宗教ともつながりのあるものでした。
未婚の女性の魅力は多くの異邦人観察者によって報告され、女性一般は、建て前では男に隷従するものとされていましたが、現実には意外に自由で、男性に対しても平等かつ自主的だったようでした。
子どもは大人から大事にされ、道にあふれて遊び、叱られることなく、赤ん坊も決して泣き叫ばなかったといいますが、礼儀はきちんと親から教えられ、幼い頃から大人と同席していました。子どものおもちゃは豊富で、大人もそれを楽しんだりしていました。
美しい風景にも恵まれ、鳥も多く、花にあふれ、民衆は四季の風物を楽しんだといいます。道には犬や猫や鶏があふれ、人間を特別に崇高視せず、命あるものをすべて慈しむ風潮が広がっていました。
このように、工業化による近代化、それに応じた労働の単純化以前の世界は、時間に追われることのない豊かな生活が息づいていて、これは日本にとどまることなく、ヨーロッパの中世などでも見られたことだということでした。競争社会で青息吐息である私たちに、多くのことを示唆してくれる本だと思います。
→Nature Life(
http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/)

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