フレデリック・ワイズマン監督の'11年作品『クレイジーホース・パリ 夜の宝石たち』をWOWOWシネマで見ました。影絵などのステージ。練習風景。店を一旦閉め、新しい店を作ると言い出すオーナー。上演前の客たちの様子。“アップサイト・ダウン”の題目。鏡を使った対称な人体のパフォーマンス。下半身だけのストリップのパフォーマンス。パソコンによる写真の整理。メーキャップの様子。ボリショイバレーの失態の映像を見て、笑い転げるダンサーたち。タップの練習をする男性2人。暗転した劇場に流れる詩の朗読。まだら模様の照明の中での1人のダンサーの演技。“白鳥の湖”に合わせた男性2人のタップ。いくつかのパリの夜景のカット。衣装の試着と衣装についてのダンサーとスタイリストとの議論。いくつかの昼のパリの風景のカット。5人のダンサーによる練習風景。パソコンを見てダンサーの動きをチェックするディレクター。スタッフと演出家の議論では、小さなミスがショーの足を引っ張りかねないと言われ、チームの結束も悪いと指摘されます。ベゴが演出陣を見直すらしいと女性が言うと、ディレクターはマウリッツに会ってその件を話し合うつもりだと言い、舞台主任は是非リコに頼もうと言い、他の女性はシステム自体を変えるべきだと主張します。体操するダンサー。モード写真の撮影。かつらの手入れをする男。スタッフ同士の議論。男性2人の写真撮影。集団のダンサーの練習。1人の女性ダンサーの練習‥‥。このように、パリにおけるストリップ劇場“クレイジーホース”のすべてが2時間余りの中に全て凝縮されて描かれていきます。どこまでが演出で、どこまでがドキュメンタリーなのかは見ていて分かりませんでしたが、興味深い題材だとは思いました。
さて、朝日新聞が紹介した、久米晶文さんの'12年作品『「異端」の伝道者 酒井勝軍』を読みました。
明治時代、没落士族の子弟で、貧困のため学ぶことすらままならなかった酒井は、キリスト教に入信し、教会の援助のもと大学で学び、自らの貧困、また日本という後進国の貧困を対象化して捉えるようになります。やがて酒井はアメリカに留学し、極貧生活をしながら貧困から抜け出すには近代化しかないことを体験的に思い知らされます。帰国後、酒井はモダンな洋行帰りの知識人として活躍しますが、それはつかの間のことでした。日露戦争に従軍した酒井は、欧米的近代化の限界を目の当たりにし、古代ユダヤ帝国(モーゼの教えにもとづく神政政治が行われていた)→キリスト教→西欧近代主義→アメリカ民主主義という文明史の末端に日本が連なることは果たして正しいことだろうかと自問し、酒井の代替文明への模索が始まります。それへの道は○に十字の異象を天空に見た神秘体験によって啓示されました。○は日本で、十字がキリスト教(ユダヤ)を意味し、日本とキリスト教(ユダヤ)の融合のなかにこそ新たな進むべき道があるとして、古代ユダヤ帝国→西欧近代主義→アメリカ民主主義→近代日本という文明史から、西欧近代主義とアメリカ民主主義を抜き去り、古代ユダヤ帝国→キリスト教→近代日本を直結せんとするという読み解きをします。古代ユダヤ帝国が滅びたのち、その民は完全に亡びることなく一部が極東の日本に移されて日本人となり、古代ユダヤ帝国で行われていた神政政治の復活と神の国の実現が日本で目指されるべきだとなったのです。これがユダヤ→日本というベクトルをもつ厳密な意味でのユ日同祖論であり、その証拠は六芒星や五芒星といった図形、いろは歌、君が代などに求められました。酒井はその後、日本→ユダヤというベクトルをもつ日ユ同祖論へとその思索を移行させていき、日本とユダヤが融合する際に果たすべき日本の役割がより重いのではないかと考えるようになっていきますが、その証拠として酒井が目をつけたのが『竹内文献』でした。それは皇祖皇太神宮の宝物とされていた、古代文字が刻まれた石や文献であって、それには世界の始まりは日本であり、モーゼもキリストも天皇の許を訪れていたという証拠となるものでした。酒井はこれに加えて、日本にピラミッドも発見し、それも古に日本が世界の中心であった証拠とし、昭和15年に天皇を中心として世界を統一する神政政治が実現すると予告しますが、ちょうどその年に息を引き取ることになります。
600ページを超える大著ですが、奇想天外な酒井の思想の魅力からか、最後まで読むことができました。多くの写真が掲載されているのも良かったと思います。
→Nature Life(
http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto)

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