昨日の続きです。
けれども、軽いラヴアフェアで通り過ぎて行った女たちが、わたしと太郎の関係に亀裂を入れることはもちろん、問題を投げかけたりなんかしない。わたしたちは、長年連れ添ったセックスレスの仲良し夫婦。(中略)
男は、おふくろの味が好きなのだ。ただしそれは、現実のおふくろの作るものと同じとは限らない。自分なりのノスタルジーを喚起させる味。それは、飲み屋のママによるものもあれば、定食屋の主人が振るフライパンの中にだって存在する。(中略)
わたしの作る「おふくろの味」っぽいものは、足したり引いたり工夫したりをくり返し研鑽のたまもの。完璧な凡庸を創り上げようとした努力の結果。(中略)
「腋臭がクミンシードなのね?」
「やーだ! 腋の下の高貴なフレイヴァが、ですったら!」
あなどれない、と思う。そして、いい子だ、とも感じる。和泉桃子は、初めて会った時から気を引く子だった。何しろ、頭の回転が速い。今だって、こちらに年齢差を気にさせる前に話を冗談めかしてまとめて見せた。(中略)
今もそうしてみた結果、なんかやばいかも……と思う。きりりとした印象の桃子には、常に涼しさが漂っているような気がする。(中略)
不安がよぎる。もし、二人の間で何か非日常な感情が芽生え、育ち始めていたら……と思うと、胸の奥に重苦しい雲が広がって行く。これは人は、疑心暗鬼と呼ぶのだろう。
非日常は、日常よりも強烈な魅力を備えているから、それを味わってしまった人は、目くらましに遭ったのも同然。(中略)
妻って、日常なんだなって、つくづく思う。そして、その日常のありがたみを夫という人種は全然解っていない。わたしがいなくなったらどういう気持になる? って、太郎に聞いたことがある。希久江がいなかったら、滅茶苦茶、不便」
「……不便……何が不便なの?」
「色々。あ、食生活とか? おれ、喜久江の味に、いつのまにか慣れちゃったし」(中略)
「chapter 3 husband 夫」
テレビを点けたら、料理研究家の妻が出演していて、若い女性アナウンサーを助手のように使いながら、鍋にあれこれとぶち込んでいました。(中略)
「私、今日、家に帰ったら絶対に作ってみます」
「そう? 御家族、喜ぶわね。スープは絶対に人の心をなごませるもの。だんなさんも良い奥さんもらったって喜ぶんじゃないかしら」
げ、と思いました。おれの妻の沢口喜久江は、いつもこういう言い方をするのです。奥さんをもらった、とか。もらう、もらわれる……物じゃあるまいし。しかし、驚いたことに、世の中の人々は、彼女のような女が口にする場合、何も不自然に感じないでするりと受け入れてしまうようなのです。(中略)
「先生、やっぱり、今でも、男性の胃袋をつかんで離さないって大事ですよね?」
「それはそうよ。古今東西、それは共通のものだと思うわ。男の人は、一度慣れ親しんでしまうと、どの味から離れられないものよ」(中略)
うえっ。咄嗟にテレビを消しました。この予定調和なやり取りと来たらなんだ。男の胃袋をつかむなんて言い回し、まるでホラーではないか、と思うのです。しかも、そこでにこやかに同調するのが、自分の妻とは。(中略)
恐ろしいのは、胃袋をつかむなんて文言を平然とテレビで肯定する喜久江が、実のところ、それが必ずしも正しくないというのを知っている節があること。彼女は、おおらかで太っ腹なおふくろのイメージを取り入れているにすぎないのです。本当は、もっとずっと繊細で神経質、いつもあれこれと思いを巡らせては、一喜一憂している。とりわけ、おれという男に関しては。
あの人は、おれの胃袋をつかみそこねているのに気付いていて、どうするべきかと日々画策している。真面目な性格だから、勤勉に考えすぎる。そして、さまざまな愛情表現を試みるのです。熱い。暑苦しい。おれは、時々、過干渉の親に対峙する息子のような気持になってしまうのです。(中略)
喜久江と出会って付き合い始めてから、ずっと綺麗で温かな水の中にいるような気分です。(中略)
喜久江のおれに対する愛は無償のものだと信じている。だから極めて自然に受け取ることにしているのでした。したいからする、という妻の夫への欲望を尊重しているつもり。
それなのに、時々、外野はうるさい。あんなに尽くされているのに、太郎さんたら、ひどいんじゃないですか? などと喜久江に注進する奴がいるのです。まあ、だいたいそれは、お節介な道徳心を抱いて、告げ口を親切と勘違いしている輩であり、本当に彼女を心配している訳ではないのです。(中略)
人から聞いたその種のことを、喜久江は冗談めかして、おれに伝えるのでした。(中略)
桃子は、沢口喜久江の本物の信奉者で、おれは、そういう女たちを見慣れていました。けれど、彼女は、そのどの種類の女たちとも違っていました。(中略)
(また明日へ続きます……)

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