さて、恒例となった、東京新聞の水曜日に掲載されている斎藤美奈子さんのコラムと、同じく日曜日に掲載されている前川喜平さんのコラム。
まず1月5日に掲載された「めでたくない」と題された斎藤さんのコラムを全文転載させていただくと、
「新年早々、めでたくない案件が目白押しだ。
【脱脱原発】
「脱炭素」うや「SDGs」という語が目立ち始めた頃から懸念はしていたが、やっぱりか。1日、EUは原発を地球温暖化対策に資する「クリーンな投資先」に認定する方針だと発表した。渡りに船とばかり日本政府も原発の再稼働や中断していた原発の新増設に向けて動き出すだろう。原発がグリーンなら石炭だってクリーンだぞ。もとは植物だからな。
【コロナ改憲】
1日の年頭所感で岸田文雄首相は改憲を「本年の大きなテーマ」に挙げ「国民的な議論を喚起していく」と述べた。維新や国民民主もp改憲に前のめり。彼らはコロナ禍を緊急事態条項創設の大儀に利用するだろう。「批判より提案」とかいってる立憲民主は流れに抗(あらが)えるのか。正直、不安。改憲だけはやめてくれ。
【新聞の身売り】
12月27日、大阪府と読売新聞大阪本社が「包括連携協定」を結んだと発表した。読売はもともと権力に媚(こ)びる傾向が強かったものの、ここまで露骨だとさすがにヤバい。東京五輪の次は大阪万博の利権に乗るつもりなのか。もう身売り新聞に改称しなさい。
などなどと、ぼやき漫才みたいな難癖をつけているうちに、正月休みも終わってしまった。しゃあない。今年も気を抜かないで行くしかないですね。」
また、1月9日に掲載された「首相の伊勢参拝は違憲だ」と題された前川さんのコラム。
「岸田文雄首相は4日に伊勢神宮を参拝した。首相の正月の伊勢神宮は1967年の佐藤栄作首相以来の慣行だ。
岸田氏が個人としてどの神社にお参りしようとそれは自由だ。しかし岸田氏は内閣総理大臣として参拝した。信教の自由の保障と聖教分離原則を定めた憲法第20条は、第3項で「国及びその機関は…いかなる宗教的活動もしてはならない」と規定している。内閣総理大臣は国の機関だ。伊勢神宮参拝は宗教的活動だ。だから内閣総理大臣が正月に伊勢神宮参拝をする慣行は憲法違反だと考えざるを得ない。
仏教寺院であれキリスト教教会であれ、首相の立場で参拝すれば憲法違反だ。しかし伊勢神宮参拝の違憲性はもう一段高い。なぜなら日本国憲法の政教分離原則の狙いは天皇を神格化した国家神道の廃止にあったのであり、天皇の補選とされた天照大御神を祀(まつ)る伊勢神宮は国家神道の最高位の神社だったからである。
首相の靖国神社参拝にも同じ憲法問題がある。過去の軍国主義との関係やA級戦犯の合祀(ごうし)の問題に焦点が当たることが多いが、1985年の中曽根康弘首相の靖国神社公式参拝については、1992年の福岡高裁の判決が政教分離原則に照らして違憲の疑いがあると述べている。首相の靖国神社参拝も外交問題である前に憲法問題なのである、」
そして、1月12日に掲載された「捏造を呼ぶ五輪」と題する斎藤さんのコラム。
「昨年末に放送されたBS1スペシャル「河瀬直美が見つめた東京五輪」についてNHKが謝罪した。「五輪反対デモに参加しているという男性」「実はお金をもらって動員されていると打ち明けた」と字幕には出たが、この人が五輪反対デモに参加した事実は確認できなかったという。
粗末な話である。不確かな内容に基づいてデモが反社会的行動のような誤解を与えるなど言語道断。捏造(ねつぞう)に近い。問題はNHKがなぜこんな失態をやらかしたかだ。
今度の五輪は最初から捏造ではじまっている。安倍元首相の「アンダーコントロール」発言である。その後も国立競技場のコンペやり直し、エンブレムの盗用、マラソン会場の変更、コロナ禍による延期などの受難が続き、あげくの果てに世論の八割が反対する中での開催強行。その間にも感染は拡大して医療崩壊を招き、直前には差別発言などによる関係者の辞任や交代が相次いだ。
もはや負の記憶しかない東京五輪。そのイメージを払拭(ふっしょく)したいという願望が番組を暴走させたのであろう。反対デモは負の五輪をまさに象徴するできごとだからだ。
同じ番組で「五輪を招致したのは私たち」「だからあなたも私も問われる」と河瀬監督は発言した。まるで一億総懺悔(ざんげ)。最後まで捏造だったといわれぬよう、NHKの轍(てつ)を映画が踏まないことを祈る。」
どれも一読に値する文章だと思いました。

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