大島渚監督・共同脚本の1962年作品『天草四郎時貞』をDVDで観ました。
サイト「映画ウォッチ」の「ネタバレあらすじ」に加筆修正させていただくと、
「寛永14(1637)年、九州島原天草ではキリシタンの農民が耐え難い苦しみに喘いでいました。ただでさえ大名の圧政が強いところへキリスト教への弾圧が重なったのです。今日も名主の与三右衛門(花沢徳衛)のところへ役人たちがやってきました。そして年貢のカタと称して若い身重の女房を拉致してしまいます。
役人が去ったあと、キリスト教の祈りをつぶやく農民たち。救世主として皆の尊敬を集める天草四郎(大川橋蔵)の元へ名主一行が赴き、その対応を相談します。やがて、キリシタンとして捕まった農民たちが、ミノを無理矢理着させられ、それに火を点けられるという残酷な刑罰「みのおどり」で次々と処刑の憂き目に。その様子を四郎たちは物陰から見つめます。そして絵師である右衛門作(三國連太郎)はその農民たちを描くように命令されるのです。さらに日夜、代官(千秋実)の屋敷ではキリシタンへの拷問が続き、もう農民たちの我慢は限界に達しました。代官屋敷の裏庭に武装した農民たちが押し寄せ、初めて手下たちを殺します。そこへ謎の浪人(戸浦六宏)も参加。彼は以前、代官に仕官を望んで会いに行ったものの、けんもほろろに断られたことを恨みに思っていたのです。さらに浪人と農民たちは正面から代官屋敷を襲い、代官を滅多刺しにします。
いよいよ大規模な叛乱をおこす時が来たのです。天草四郎も今は農民たちが占拠した代官屋敷にやってきます。そして浪人と話し合い、彼に補佐してもらいながら反乱軍を指揮することを決心。代官屋敷に火を点け、意気軒昂たる一同はそのまま島原城に向かいます。
戦いを始める農民たちと侍たち。城壁からは火縄銃による攻撃があり、さすがに城は容易には落ちません。しかし、数を頼んだ農民たちは休みながらも断続的に攻撃を繰り返し、優位に立ちます。焦った城側では城壁に十字架を建て、捕まえたキリシタンたち、すなわち天草四郎の母、妹らを火あぶりに。これによって怯えた農民たちに対立が生じ、天草四郎のリーダーとしての資質に疑問を投げかける意見も出てきます。それを煽り立てようとする謎の浪人に腹を立てた四郎は彼を斬って捨てます。さらに戦いは続くのですが、結局叛乱は失敗。「四郎以下6万人を超える農民たちは処刑されるのでした」という字幕で映画は終わります。」
シルエットを効果的に使った画面が美しく、固定、パン、横移動によるワンシーンワンカットの見事な例も多く見られました。また時々アップになる、突き刺さるような農民の目つきも印象に残りました。

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