娘が産まれたりすると、人は鼻歌を歌い出したりする。
病院に向かう車を走らせながら、ふとこんなフレーズが出てきた。
なんにもない なんにもない ただなんにもない
うまれた うまれた なにがうまれた
ほしがひとつ くらい宇宙に うまれた
ほしには夜があり そしてまた朝がおとずれた
なんにもない大地に ただ風がふいてた
ふいてた ふいてた
私の年代では知らない人のいない、アニメ「はじめ人間ギャートルズ」のフレーズである。
私の遠い記憶であるから、間違っているかもしれない。
この、なにげないまったりした歌の歌詞が、ふと意味深いものに感じた。
「ほし」を、息子、娘、と置き換えたら。
「くらい宇宙」を、この混とんとした世界に置き換えたら。
この歌詞を書いた人は、子どもが産まれて間も無い人ではなかったろうか。
思えばこのアニメ(アニメと言うにはあまりにも古いのであるが)の主人公は、冴えないドジな原始人。マンモスを倒すのに苦労してばかりいる。
ほら穴に帰れば、たくましいまでの胸を持つ奥さんと、小さな子供がたくさんお腹を空かせて待っている。奥さんは子供を10人くらい、いっぺんにおんぶして子育てに忙しい。
これ以上無いほどまでに、シンプルに、人の生き様を描いていたように思う。
複雑になった現代も、実は少しも変わっていない。
今はそれぞれ倒す対象が違うが、マンモスを倒して長い鼻の輪切り肉を何枚か手に入れることと、仕事と戦って、なんとか倒してお札を何枚か手に入れて家に持って帰ることになんら違いはない。
そうだ、違いはない。
なれば倒すぞマンモスめ、槍でも剣でも投石器でも、使って倒すぞマンモスめ。
娘が産まれたりすると、人は生き甲斐を見い出したりする。

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