長野で過ごした一週間はお天気に恵まれていました。
朝・夕の冷え込みは厳しいのですが、一旦お日様が出ればお部屋の中は
ポカポカと暖かく、暖房も要りません。
お部屋が南向きでお隣とも離れているからでしょうね。
このお家でたった一人の子供である坊や。傍若無人な振る舞いも
「こんなことが出来るようになったんだね〜」と笑って許して頂き、やりたい
放題です。

両手にみかんを握ってあちらこちらをウロウロ。
何かの拍子で転んでみかんを握りつぶし、部屋を散らかすので私と夫は
ただ、後をついて掃除してまわるのが仕事です。
今回の旅の目的は「日本のお正月」
嫁ぎ先で過ごすお正月−−日本の普通のお嫁さんには珍しいことでもないので
しょうが、勤め出して以来年末年始は忙しく働いていた私にとって、それは
未知の世界。 渡米してからは、大晦日の夜はカウントダウン・パーティ、
お正月が終わると2日から通常の生活に戻るという、日本のお正月とはかけ離れた
生活をしていた私に「嫁ぎ先のお正月」が果たして務まるのでしょうか?
三十日の夕食は「簡単でいいわよ〜。ぜんざいにしたら?」と言ってくださる
お義母さまの言葉に甘え、ぜんざいを作りました。
「ぜんざいって、おやつじゃないの?」というのが私の持つぜんざいへの
イメージ。 でもこのお家ではOKらしく・・・。 楽をさせて頂きました。(ホッ)
翌大晦日もゆったり、のんびりムード。
朝食を終え、洗い物と洗濯を済ませると仕事は終わり、茶の間でのんびり
お義母さまとおしゃべりを楽しみます。
午後はお義母さまとお煮しめを作るのを楽しみにしていたのですが、
私の体を気遣い、お義母さまは一人でちゃちゃっと作ってしまわれました。
残念・・・。
夫の実家では大晦日に鮭を食べるのが慣わしだそうです。
お義母さまに教えて頂いて鮭を料理し、夕食を頂きました。
そして、問題のお正月の朝。 勿論、お雑煮を頂きます。
「適当でいいわよ」とお義母さまは仰いますが、いくらなんでも適当すぎては
皆さんを失望させてしまうのでは、と夫にそっと聞いてみた「何だか判らんが
とにかく野菜が一杯と鶏肉も入っていた。だし風味」
の言葉を頼りになんとか作ってみました。
結果は・・・・皆さん無言で平らげてくれました。(良かった)
後で夫が小声で「何でお餅焼いたの?」
??「え?」訳が分からない私に
「ぜんざいの餅は焼いてもいいけど、お雑煮は焼かないよ」ですって。
・・・そういえば、私の実家でもお餅はトロトロだったなぁ・・。
お雑煮は3日続くようなので、教えてもらってよかった。 旦那様ありがとう!
お昼は出かけたついでに外食し、夕食はお煮しめとちょっとした御節を頂きました。
翌2日はお餅をトロトロにしたお雑煮を作りました。
皆さん、相変わらず無言で平らげてくれました。(ありがたいです)
この日は私達3人でお出かけ♪
新幹線から眺めた富士山が綺麗でした。

少しは判り良いですか?
帰りはすっかり暗くなっていました。

駅前のイルミネーションがとても綺麗でした。
夕食は朝お雑煮と同時進行で作っておいたカレー。 ご飯はお義母さまが
焚いてくださったので、準備要らずです。
3日の朝。
「あんたたち、せっかく日本に来たのにご飯がなきゃ寂しいでしょう」との
お義母さまのお言葉に、ご飯とお味噌汁の朝食を作りました。
昼間は夫が一番の楽しみにしていた「垢すり」に出かけました。
近所に温泉が出たらしく、坊やも一緒にゆったりとお湯につかります。
思ったより時間がかかったので、戻ったのは午後3時前。
「お昼は適当に食べたから」とのお義母さまのお言葉に平謝りしながら
夫の昼食を作ります。
さて、夕食・・・「昨日のカレー残ってますけど・・・」
私の申し出に皆さん「いいよ」と快諾。
・・・って、私ロクに料理していなかったんです。
これじゃあ、ヨメ失格ですね

お正月といえば私の遠い記憶によると、母が三十日、大晦日は一日中キッチンに
立って御節を作っていたこと、餅つき機で餅をついていたこと。
そんなことばかり思い出されたので、どうなることか心配でしたが、お義母さまは
「昔は色々やったけど、残るともったいないし、皆食べないし。今は簡単だよ」
と笑って仰いました。
きっと私に気兼ねして簡単コースにしてくださったはず。
皆様、ご協力ありがとうございました。

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