明日で阪神淡路大震災から14年です。
昨日の午後、防災研修会がありました。
自主防災組織などの防災リーダーの方々の研修会でした。
講師は阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センターの語り部
谷川三郎さんでした。
御講演の内容はとても充実していて、大ホールは満員でしたが、大好評でした。実体験なので迫力がありました。私もお聞きすることが出来てラッキーだと感じました。
参加者からは
「とてもよい内容だった。概要で良いので市のHPなどで公表してほしい。」という声もありました。
以下、私がメモした内容です。
谷川さんは震災当時、芦屋市の建設部長だったそうです。
震災が起きてから
市役所へ出勤して約2か月間一度も自宅へ戻れなかったそうです。
幸い、ご家族がご無事だったため
仕事に専念できたそうです。
家族あってのリーダー
平素からしっかり家族を見守っていただいて
いざという時にリーダーとして指揮をとってほしい。
地震直後、一番に駆けつけたのは
自宅が近かった当時の助役だそうです。
直後30分で出した指示がとても的確だったとお話しされました。
直後30分に出した指示
1、建設関係の職員は消防職員とともに救命救助に向かえ。
2、職員を医師会へ向かわせて依頼し小学校の運動場に介護所を開設させた。
3、保育所の所長へ寺へ行くように指示し、たくさんの方が亡くなっていることを想定して寺で遺体を安置するようにさせた。(結果的には七つの寺は瓦が重くてすべてぺっしゃんこになって安置できなかったそうです。)
4、職員を市内の葬儀社へ向かわせて棺桶を100個とドライアイスを注文させた。(のちに足りなくなって追加注文することになりました。)
これだけの指示を直後30分に冷静に出せた事はすごいと思います。
芦屋市の職員約1100人で
1日目に役所に出勤した職員は42人。4人の職員は即死。20人の職員は家族を失ったそうです。
市の職員が救助した数
1日目は82名救助。そのうち生存者60名。
2日目は22名救助。そのうち生存者は5名。
3日目は19名救助。そのうち生存者は0名。
早く救助することがいかに大切か・・・。
谷川さんは
震災直後、歩いて市役所に向かう途中
「助けてください。家族が下敷きになっている。手を貸してください。」
という声をかけられたけれど
一刻も早く役所に着いて建設部長として指示を出さなくてはならないという思いから手を合わせて謝りながら役所に必死で向かったそうです。
でも、
人命が一番大切。今はあの時手を貸していたら・・・と思うそうです。皆さんにはそんな思いはしてほしくない。
そういう人がいたら手を貸してあげてほしいともお話しされました。
震災の時に役に立ったもの
1、懐中電灯
2、携帯ラジオ
3、バケツとふろの水
だそうです。
ふろの水は夜入り終わった後も1晩はそのまま残しておくことが大切だそうです。
小学校のプールの水を冬でも貯めたままにしておくことは大切にだそうです。
避難所になって、プールの水があったところとないところでは避難所の環境に大きな差が出たそうです。
困ったこと
1、トイレ用水・・・トイレは便がてんこもり。それでもそこで用をたさなくはならず大変な状況だったそうです。最終的には汲み取りをしたそうです。
2、水と食料。・・・・芦屋市の人口8万7千人のうち2万人があらゆる公共施設などに逃げたそうです。2万人分の水と食料をどう確保するかが一番大きな課題になったそうです。リーダーとして最低限自分の家族の分の水と食料は確保しておいてほしい。
3、電話が不通になること(当時は携帯電話もあまり普及していなかった。現在はたぶんんメールは通じるのではと電話会社の人からお聞きになったそうです。公衆電話は大震災のときにはお金がなくてもかかるようになるそうです。しかし、現在は公衆電話はどんどん少なくなっていますね。)
当時の市長の行動でずいぶん助かったとも聞きました。
当時は女性市長でした。市長は他市長に電話をして助けを求めたそうです。
そのおかげで手で握った暖かいおにぎりが翌日から届いたそうです。
ボランティアの受け入れはとても重要だとも聞きました。
職員は3日3晩徹夜で支援物資の仕分けを行ったそうです。意識がもうろうとなってきた頃、ボランティアの人がたくさん来てくれて本当に助かったそうです。
しかし、物資の仕分け場所には困ったそうです。
雨露をしのげる地下駐車場を保管場所にしたのは失敗だったと聞きました。運び込みも搬出も大変な労力がかかったそうです。
物資の仕分けで手いっぱいになり、避難所に職員を配置することができなかったそうです。
芦屋市では450人の方がお亡くなりになり、1日目に313体の御遺体が収容されたそうです。
火葬場にも困り、遠くは滋賀県の火葬場まで運んだそうです。
その火葬場では市長が待っていて受け入れてくださり
温かさにご遺族は本当に感謝されたそうです。
終了後、
非常食のおかゆの試食がありました。
1袋210円。
茅ヶ崎産100%のお米でつくられています。
まずは自分の家族の食糧確保のために注文します。3年間保存できるそうです。
昨日の新聞によれば、
50〜70%
今後30年間に「東南海・南海地震」が起きる確率だそうです。同時発生すればマグニチュードは推定8.5。東京、名古屋、大阪はいずれも長周期地震動に見舞われると予測されるそうです。
芦屋市では
職員が助け出したのはたったの2割の方。残り8割りは地域の方が助け出した。
地域は地域で守ること、自主防災の重要性、リーダーの重要性がいかに大切か体験したとお聞きしました。
いざという時
どう行動すべきか考えさせられました。
夜、久しぶりに帰って来た息子とともに家族で話をしました。

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