月曜日、まちづくり勉強会へ行って来ました。
水道橋まで。
以下、その報告と詳細です。
研修報告 報告者 松島幹子
神楽坂サロン「生活空間と都市景観-快適な街並みと美しい街並みの違い」
2012/6/4(月)午後6時半〜8時半
お話・水島信氏(バイエルン州建築家協会)
ドイツの街並みは美しく高さもそろっていると言われるが・・・
人間工学的には6階が限度・・・結果として高さがそろった。
看板・・・競争するとより大きく目立つ看板にしたい→しかし、落っこちる心配があり、危ない。→クオリティーを高めて美しいものにしよう=生活の知恵が昔から根付いている。
生活しやすくしよう、より快適にしようとする。
ドイツでは美しくしようと言うことよりも快適にしようと言うことでまちづくりがされてきたと思う。その結果として美しくなった。
自分たちの生活をいかに快適にするかがまちづくりの基本ではないかと思う。
残せるもの、残すべきものを残して修復、後は壊して全て植樹した美しい街の写真を見た。
快適とは、日照、通風、採光が基準となる。
「美しい」と言うよりも絶対的基準である快適を基準にした方がまちづくりは良いのではないかと思う。
国がやるべき事は、国民を守ること。昔は軍隊。今は、外交によって。インフラ整備は=軍事的意味を持っている。外敵からの攻めを防ぐ役割を担う。日本の道州制の議論には欠けている視点だと思う。
市町村のインフラ整備は、市民は皆、平等なサービスを受ける権利がある。そのためには何をしなくてはならないかを考えて整備している。例えば救命救急病院へ行く道を整備するなど。
建築図を出すときには隣の人のサインが必要。
影を敷地内に落とすことが前提。
高さ制限は意味がないと思う。その建築物のクォリティーを問題にすべき。
商業地域の禁止項目には住宅がないのはおかしい。商業地域では日影規制はゼロ=人権を無視している。法制度がおかしいと思う。
人間が他の動物と違うのは「分け合う心」があること。どうにかして建築基準法の法制度を改正してほしい。このままでは日本は恥ずかしい。残念で仕方ない。
議論の場でもそれぞれの立場でしっかり物を言うことが大切だと思う。日本ではちょっとかじった建築の知識だけで建築家みたいなことを言う人がいるがおかしいと思う。主婦は主婦の立場でどう思うかしっかり発言してほしいと思う。
自分の土地=自分が自由に出来る土地。と言う考え方はちょっと違うと思う。自分の土地であっても公共性が必要だと思う。
日本では家を動産としかとらえられていない。中古物件は安くしか売れない。25年たつと上物はゼロ評価になる。これはおかしい。ドイツでは家=不動産である。メンテナンスをしながら大切に使われた家は高く売れる。
御所近所づきあいが盛んな路地は、犯罪が少ないと言う不文律がある。植木棚があるとご近所づきあいが始まる。
高層住宅がいかに非人間的であるか、次回のテーマにしたいと思っている。
第一種中高層住居専用地域・・・・この区分で一番マンション開発問題が起きている。混在の仕方が悪い。もっと細かく分けるべきではないか。秩序を持って混在させるべき。
とかく偉い先生に限って都合のよいところだけ持って帰る。「ドイツでは路面電車がまちをつくる。」と言った先生がいた。こういうのは眉唾が多いから気をつけるべき。ドイツに長年住んでいるけれどそんな事は聞いた事がないと言ったら、「そんなこと言ったら路面電車が導入できなくなるじゃあないか。」と言われてびっくりした。似た話はほかにもある。
高さ制限と容積率は、外廊下、外階段はその計算から外せる事になっている。(大きな建物の場合)これはおかしい。法律を変えるべき。
研修を受けて
用途地域の話はとても納得できた。茅ヶ崎市でも様々なマンション開発問題など起きているが、例えば、準工業地域・・・昔は工場があったが、今はない。住宅地になっている。・・・・しかし、用途地域の変更を行わなかったためペンシルマンションが出来て日照権が奪われてしまったりしている。どうにもならないと思っていたが、法律は変える事が出来る。このような問題に対しては法を変えるように声を上げていかなくてはならないと思った。
また、国と県と地方自治体の役割・・・国道、県道、市道と・・・市として何ができるか、出来ることはたくさんあると思った。
多くの写真を見ながらの講演はわかりやすかった。
マンション開発反対は高さだけの問題ではない。今までのまちの様子が変わり、周辺に変化を与える事が問題だと改めて思う。単に高さを低くすることで満足してはならないと思う。また、土地は個人所有であっても公共性はある。考慮すべきであると思った。
講師の水島信さんはドイツ在住の建築家です。毎回、とても勉強になります。

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