2019/4/2  0:41

わしゃ、ボナじゃ〜!達観しちゃいかんぞ。  

わしゃ、ボナじゃ〜!

いろんな苦労を経てくると、達観したような気になっちまうぞ。
人生なんてこんなもの、男なんてこんなもの、女なんてこんなもの、結婚なんてこんなもの、子育てなんてこんなものなんて、達観したような気持ちになっちまう人がいるんじゃよな。

しかし、若いうちに達観したような気になってしまうと、危険じゃよ。
達観するって、全てを悟っちまった、分かっちまったような気持ちになるってことじゃ。
つまり、そこで理解をストップさせてしまうってことじゃよ。
そして、そこで終わっちまって、それから先はその理解の幅のまま、視野を広げることなく生きるってことじゃよ。

達観するって、それ以上先がないってことじゃ。
成長の余地のない恐ろしいことじゃ。
自分で視野を規定してしまうことじゃよ。
頑固なジジイへの道じゃよ。

わしゃ、去年の5月8日生まれのまだ1歳にも満たない御隠居猫じゃが、達観しちゃいかんぞと自分を戒めとるんじゃ。
わし、何かをこんなものだと思っちまいそうになったら、そのものの違う側面を探そうとするんじゃ。
自分の知らないものがまだまだたくさんあると知っていた方が、いつまでも若々しく生きることができるんじゃないかと、わし、考えているんじゃ。


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2019/4/1  0:00

僕、ジャン・ポール!霊が怖いのなら。  

僕、ジャン・ポール!

浮遊霊や生霊が怖いと言う人はたくさんいるみたいですね。
確かに、行き場所がなくて誰かに取り付いたり、恨みがましく誰かに祟ったりする存在って、嫌ですよね。
でも、浮遊霊や生霊のように生きている人もいるのではないでしょうか。

怒りを心の内に秘めてたり、恨みをずっと抱いていたりする人って、怖ろしい霊と同じでは無いでしょうか。
自分の居場所を探すことなく、行き場所がないと、自分の居場所はこの世にはないと思って生きている人は、浮遊霊のようなものではないでしょうか。
誰かに助けてもらうことばかり当てにして、自立の努力なく生きている依存的な人は、憑き物のように他人に付きまとっているのではないでしょうか。

生きていたって、恐ろしい物の怪のような人がいるのです。
霊を怖れるなら、自分が霊のように生きてはいないかと、自分のあり方を省みたらどうでしょうか。



うちのお母さん、理性的な論理療法を好んでいますが、霊能者の側面も持っています。
自分の生き方を変えるだけで、霊障に合ったり霊に取り憑かれることが無くなる人が多いんのよって、よく言ってるのですが。


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