2019/7/27  1:32

俺、ウィンウィン二世!俺、考えている。  

俺、ウィンウィン!

うちのお母さんは、今、生まれ故郷の函館にいるんだ。
今日は、去年の7月29日に帰天したうちのお母さんの母親の納骨の日なんだ。
午前9時から教会でミサがあり、その後神父さんと親しい人達数人とで墓地に行き、納骨をするんだ。
カトリックでは、死ぬ間際に「病者の塗油」という秘蹟を受けるように勧められているんだ。
だが、函館では神父さんが不足し、日曜日のミサの最中だというので手が空かず、うちのお母さんの母親の死に際しては間に合わなかった。
うちのお母さんの母親の死の一時間ほど後に、ようやく神父さんが駆けつけて来てくれ、死体に秘蹟を施してくれた。
今日は、神父さんが墓地に来てくれるので、うちのお母さんはなんとなくほっとしているようなんだ。

この一年間、うちのお母さんは、母親の臨終の姿を何度も思い浮かべている。
また、母親の死の数日後に帰天した恩師の死に顔も思い出しているんだ。

うちのお母さんの母親は、急性骨髄性白血病で、本当に急に死んだんだ。
あと数日の命だと突然病院から連絡があり、次の日どうにか飛行機の座席を抑え、東京から函館に向かったんだ。
病院に行くと、母親の?や耳たぶには、紫の斑点があった。
全身の力が抜け、ベッドの上で寝返りを打つこともできず、唯一力を込めることができる両腕で、ベッドの柵にしがみつき、鼻から酸素チューブを入れられていたんだ。
それでも呼吸が苦しいので、少しでも楽になるようにと、ベッドの柵にしがみついていたようなんだ。
うちのお母さんが病室に入ると、「なんで、あなたが帰って来たの?」と、うちのお母さんに言い、自分が死ぬことを理解しているような、していないような姿だったんだ。
それから4時間ほど、うちのお母さんは母親の手を握りながら、互いになんと言うことない話をしていたんだ。
食欲がないのかほとんど食べることのできなかった夕食の後に、かつて一緒に行ったヨーロッパの美術館の話を二人で語り合ったんだ。
パリのオランジュリー、印象派美術館の話になった時、うちのお母さんの母親は、モネの『睡蓮』の連作のことで熱弁を振るい出した。
「あなたの習ったベジノ先生の言う通り、睡蓮はキリストの復活の象徴かもしれないわ。静かに眠ったようにしていても、朝になるとポンと花が開くのよ。私は若い頃五稜郭公園の堀の睡蓮をよく見ていたけど、夜静かに眠っている睡蓮は、朝になると蘇るのよね。」
そんな話をしながら、うちのお母さんの母親は、うちのお母さんの両手を力強く握った。
まもなく死ぬだろう人間なのにこんなに力があるのかと、うちのお母さんは驚いた。
そして、うちのお母さんは病院の近くのホテルに泊まったんだ。
次の日の朝、危篤だと言う電話で病院に急ぐと、そこには前日とは打って変わった母親の姿があった。
昨日力強かったその手は冷たく、自ら動くことはなかった。
意識を失うことで、臨終の苦しみを感じずにいるのかもしれない。
腹の筋肉に力を入れて呼吸をしているのか、仰向けの姿で、胸と腹が波打つように動き、口を開き、必死で生にしがみついているような姿があった。
腹と胸の動きがだんだんゆっくりになり、不規則な動きになり、最後には口から舌を突き出して、息を吐くことの反動で酸素を吸い込もうとしているようだった。
三角に強く突き出した舌は、右半分が紫色だった。
これは、その数日前に東京で死を看取った猫と同じ状態だった。
二度目に半分紫の舌を突き出し、その舌がゆっくりと口の中に戻った時、看護婦さんがやってきた。
「心停止です。」
その三分後に医者がやって来て、心臓に軽く聴診器を当てただけで、死を宣告した。
医者も看護師も死に立ち合わず、モニターを別の部屋で見つめ、死ぬのを待っていたようだった。
死を看取るが嫌なのかと、死体に触れるのが嫌なのかと、死の判定を機械に頼っているのかとうちのお母さんは感じていた。
遺体を本人の所属していたカトリック教会に運び、死後四時間ほどで納棺したが、遺体の腹は死んだ直後より5センチほど盛り上がっていた。
脾臓や肝臓が腫れて腐敗し始めたのかと、うちのお母さんは思いながら、納棺師の動きを見つめていた。
納棺後に来てくださった人達は、「安らかな良いお顔で天国にいらしたのね。」と言ってくださったが、うちのお母さんは、筋肉が弛緩し始めただけではないかと思っていた。
その一週間も経たないうちに、うちのお母さんが東京に戻ったその日に恩師が亡くなった。
葬儀ミサの時に棺桶に横たわった恩師は、とてもいい顔をしていた。
うちのお母さんは、これが臨終の戦い、肉体が死に打ち勝とうと、生にしがみついて戦った後の死を受け入れた肉体の表情かと感じていた。
残された者達は、死者の姿に 安らぎをを求めることで自分達の安心を図っているのとかと、本音では死者の安らぎではなく、自分達の死の恐怖を打ち消そうとして安らぎを求めているのかと、うちのお母さんは考えていた。

死者を看取るのは、怖ろしいことかもしれない。
どんな人でも、生存本能に反することを眺めるのは、恐怖を刺激することではないだろうか。
で、生きているものは、生存本能に反する恐怖を刺激されないように常に行動し、自分の恐怖を隠そうとしているのではないだろうか。
泣き騒いだりすることで、自分の恐怖を忘れようとしているのではないだろうか。
うちのお母さんのように冷静な顔をしていても、それは恐怖から離れようとしているだけかもしれない。

生きている者達の行動や感情は、常に死の恐怖を忘れようと、隠そうとしているのかもしれない。
行動することで自分の生を確認し、泣いたり怒ったり笑ったりなどの感情で、恐怖から離れようとしているのかもしれない。
宗教や霊能者やスピリチュアリズムなどにすがることで、現実にあるもの、恐怖を忘れようとしているのかもしれない。

このように語っていくと、本能的な恐怖、死の恐怖を忘れようとすることは現実逃避ということになってしまうかもしれないが、俺、無意識の恐怖があるからこそ、そこに生の営みがあると考えている。
自分の生の時間の限界を無意識に感じているからこそ、生きることを表現しようとしているのではないだろうか。
で、死の恐怖を自覚したら、なおさら素晴らしい生の営みが展開されるのではないだろうか。

俺、いつか自分が死ぬことを自覚している。
で、その間に何ができるかを考えている。
とはいえ、本能的な死の恐怖が何のためにあるのか、俺にはまだ結論が出せない。
生物には無駄なものは一つもないのだから、不要なものは自然淘汰、退化していくのだから、死の恐怖は、何らかの意味を持っているのであろう。
俺、これから、このことについてずっと考えていかなければいけないような気がしている。


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