2019/8/25  1:20

あたし、アンジェリュス!納骨雑感 その1。  

あたし、アンジェリュス!アンジュ!

先月の27日、うちのお母さんは、去年帰天した自分の母親の納骨をしたの。
函館では骨壷ではなく、白木の箱に直接骨を入れるんだけど、埋葬直前に箱の中を覗いて骨に触れてみると、なかなかしっかりしていたの。
写真では伝わりにくいでしょうけどね。
同じ年齢の人と比較すると骨密度204%だと母親は自慢していたけど、それも尤もかなとうなづいてしまったの。
膝の軟骨はすり減ってゼロ状態だったけど、骨の方は強かったのよね。

母親の骨を眺めながら、うちのお母さんは、ナチスの絶滅収容所で見た骨を思い出していたの。

ナチスの収容所には、二種類あるの。
労働によって囚人を死に至らしめる強制収容所とユダヤ人という種の絶滅を目的とする絶滅収容所があるの。
アウシュヴィッツと一言で言っても、アウシュヴィッツには二つあるの。
他人の身代わりとなったことで有名なコルベ神父のいたのはアウシュヴィッツ1、ユダヤ人絶滅を目的としたアウシュヴィッツ2はビルケナウと呼ばれているの。
この二つは徒歩で行ける距離だけど、別々のものなの。
で、強制収容所はドイツ国内にも、オーストリア、ポーランド、フランスなどにも沢山あったけど、絶滅収容所は人目を忍んでか、ポーランドに6つあっただけなの。アウシュヴィッツ、現地の言葉ではオシヴィエンチムをはじめとして、ベウジェッツ、ソビブール、マイダネク、トレブリンカ、ヘウムノの6つなの。

うちのお母さんは、母親やうちのお父さん、母親の妹と一緒に何度か絶滅収容所に赴いたことがあるけど、そこで亡くなった人達の骨と今手にしている骨箱に入った母親の骨とを思わず比較していたの。
苦しみや飢餓、銃殺などで亡くなった人達の骨と、一応娘に手を握られながら死んだ自分の母親の骨には何も違いがない、どちらも空の手で生まれ、無名の忘却の中に入っていったのだと、ふと思ったの。
この世でどう生きても、何かに執着しても、いずれは忘却の彼方に赴いてしまうの。

それなら、今をどう生きたらいいのかと、骨壷の中の骨は、うちのお母さんに大きな問いを投げかけてきたんですって。
楽しい楽しいとばかり楽しみを追いかけても一生、我慢ばかりしていても一生、人並みにと他人と自分を比べることばっかりしても一生。
生まれてから死ぬまでの時間って、限りがあるの。
それならよく生きるべきではないか、自分で理性的に正しいと判断できる生き方をしたらどうかと、うちのお母さんは考えているの。

これは、答えのない問題。
一生考え続けなければいけない問題。

死ぬまでに答えにたどり着けるかどうかわからないけど、この問題は母親からの大きな遺産じゃないかと、うちのお母さんは考えているの。


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