2019/8/26  0:00

俺、ウィンウィン二世!納骨雑感 その2。  

俺、ウィンウィン!

うちのお母さんは先月の27日に、去年帰天した自分の母親の納骨を函館で行ったんだ。
参列者は、うちのお母さん、お父さん、カトリックの神父さんを含めて9名。
88歳で亡くなったうちのお母さんの母親の友人、知人は、歩くのがおぼつかなくなっていたり、鬼籍に入っていたりで、本当に親しい方だけが集まってくれたんだ。
納骨の後にフランス料理を食べに行ったけど、なかなか良いなごやかというか楽しい会だったのではと、うちのお母さんは考えているんだ。
もちろん死んだ母親も満足していると確信しているんだ。

ところで、葬式や納骨には、宗教がつきものだよな。
うちのお母さん、お父さん、うちのお母さんの両親は、カトリックなんだ。
キリスト教では亡くなった日を天国での誕生日と考えるから、お花も明るい色を使ったりするんだよな。
仏教では、主に白い菊の花を用いるのと対照的かもしれないな。
だけど、函館の市営墓地の墓には、洗礼名付きのうちのお母さんの親とともに、うちのお母さんの父方の叔母と祖母が戒名付きで入っているんだ。
キリスト教と仏教が一緒になっているんだよな。

人間の間では、宗教が違うと、何らかの違和感や対立が生じたりするのかもしれない。
だけど、俺、思うんだけど、それって、人間のエゴイズムじゃないのかな。
自分の宗教が一番だと勝ち負けをつけたがるエゴイズムじゃないのかな。
人間の手から離れた、神のような存在のレベルでは、どんな宗教であろうと、問題ではないんじゃないかな。
いかに良く生きたか、つまり、いかに自分のエゴイズムから離れて生きることができたかが、あの世で問われるんじゃないのかな。
人間って、幼児期は自己中心的に生きることで個体の保存を狙うけど、大きくなるにつれて種の保存のためにエゴイズムを離れていくんだよな。
エゴイズムをどれだけ離れたかが、その人の成長を示すことになるんじゃないのかな。

俺、自分のエゴイズムから離れ、正しく生きたいと願う人を救う宗教なら、宗教の違いにこだわることはないんじゃないかと考えている。
この世のいざこざをあの世に持ち込むことは不要じゃないかと、俺、考えているんだ。


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