2019/8/28  0:00

ぼく、ティトゥス二世!納骨雑感 その4。  

ぼく、ティトゥス!

うちのお母さんは、母親と離れて住んでいたんだ。
何かあると実家に帰ることはあったけど、週に最低一度は電話で話をしていたけど、お互いに自分の生活を持っていたんだ。
だから、うちのお母さんは母親が死んだ後もなかなか喪失感を感じることができなかったんだよね。
だから、母親の死後も、今度は電話でこんな話を教えようなんてふと思うことが多かったんだって。
で、そのたびに、母親が死んだことを思い出す羽目になったんだって。
一年以上経った今、うちのお母さんは、ようやく母親の死を実感しているのかもしれないね。

でも、うちのお母さんは、自分の母親と仲が良かったわけじゃないんだ。
ずっと自分の母親を憎んでいたんだ。
その憎しみの原因を探り当てた後、50歳を過ぎてから、ようやく母親を認めることができるようになったんだ。
母親の母乳にステロイドが大量に含まれていたために、母親が毒を飲ませて自分を殺そうとしていると生後一日目に刷り込まれたのが、母親を憎む原因だったんだ。
ステロイドの副作用がよく知られていない時代に起きた今では医療ミスと言われるようなことが原因で、うちのお母さんはずっと母親と不仲だったんだ。

どんな親でも、親というものは子供にとって大きな存在なんだよね。
良い親でも、毒親でも、子供は親に認められて、親に愛されたいという気持ちを抱いて大きくなっていくんだよね。
子供の頃親に愛され、認められ、受け入れられた人は、自分自身を認めることができるように育つけど、親に拒絶された人は、心の中に大きな虚しさを抱いたまま大人になってしまうんだよね。

うちのお母さんの心の中には、母親に拒絶されたという虚しさがいまだに残っているよ。
だけど、それは現実なんだ。
虚しさを完全に埋めることなく母親が死んでしまったということも、現実なんだ。
このように一人残されてしまったという孤独感も、現実なんだ。
現実って、生きていく基盤になるから、認めなければいけないものじゃないのかな。
そんなことを考えながら、うちのお母さんは母親の骨箱が墓の中に入れられるのを眺めていたんだって。

ところで、墓地って、死者を弔ったり、死者を追悼する場所だよね。
だけど、そこは、生きていた人達が死んでしまった、過去の存在になってしまったという現実を生者に突きつける場所でもあるんじゃないかな。
過去の人達を基盤として今の自分が生きているという現実も突きつけてくる場所じゃないかな。

うちのお母さんは、若い頃、パリのペール・ラシェーズ墓地によく行ったんだって。
この墓地はとても古く、広いんだ。
有名人が多数葬られているので、観光地にもなっているよ。
そこに赴くと、パリやフランスの歴史が垣間見えてくるんだって。

今、うちのお母さんの心の中には、一つの墓地があるんだって。
自分の肉親だけではなく、お世話になった方々の墓、人だけではなく過去になってしまった大切なものの墓が、心の中に広がっているんだって。
その墓地に自分が飲み込まれた時が自分の死の時ではないかと、うちのお母さんは、考え始めているんだって。

時間って、この世で生きているもの達にとっては、過去から未来に向けて流れているよね。
この流れは、不可逆的なんだ。
このように時間を眺めると、無常観に苛まれるかもしれないよね。
だけど、ぼく、思うんだ。
この時間は、持続なんだ。
永遠に続いていくダイナミズムなんだ。
そして、ぼく達生き物は、時間という躍動感の中で、生まれ、死んでいくんだ。
寿命という時間の制限を持っていたって、ぼく達の生って、躍動感そのものじゃないのかな。


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