2019/9/28  1:15

僕、ヴィタル!芸術って。  

僕、ヴィタル!

うちのお母さんの父親は腹部動脈瘤破裂で急死したけど、その臨終の時にうちのお母さんは、「山川草木転荒涼」という乃木希典の漢詩の一節を思い出したんだって。これから大変なことになるなという気持ちをこの漢詩を心の中でつぶやくことで整理したんだって。
その30年近く後、うちのお母さんは、自分の母親が危篤だと病院から電話を受け、タクシーを探している時に雀を見て、「のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にいて足乳根の母は死にたもうなり」という斎藤茂吉の短歌をふと思い出したんだって。焦りの気持ちがちょっと消えたんだって。
病院について、昏睡状態に陥った母親の荒い呼吸音を聞きながら、ヴィクトル・ユゴーの『緒世紀の伝説』のなかの一つの詩「眠れるボアズ」の美しい数節を心の中でつぶやいていたんだって。
これは、『旧約聖書』の『ルツ記』を基にした詩なんだ。興味のある人は、日本語訳があるかもしれないけど、フランス語で読んでみると味わい深いよ。
祈りより先に、20代の時にフランス語で暗唱したこの詩がうちのお母さんの心の中に浮かんだんだって。耳から入ってくる母親の苦しい呼吸が、ボアズの安らかな呼吸に心の中で変質していったんだって。
そして、頭の中では、モーツァルトの『レクイエム』が鳴り響いていたんだって。

若いうちにいろんな本を読んでおくと、何かの時にふとその記憶が蘇り、心が慰められたりするんだよ。
宗教の本だけじゃなく、文学でも、哲学でも、音楽でも、美術でも、若い時からいろんなものに触れていると、何かの時に心の助けになるかもしれないんだよ。
芸術って、美しい素晴らしいものだけじゃないんだ。鑑賞するだけじゃないんだ。
気持ちの整理の手伝いにもなったりするんだ。
生きる力を与えてくれることだってあるんだよ。


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2019/9/27  0:32

私、ディアーヌ!素直と依存。  

私、ディアーヌ!

私、時折感じることがあるのですが、素直であることと他人に依存することを混同している人がいるようです。
支配的な親に育てられた人にこのような傾向があるのではないかと、私、思うのです。

素直とは、周りのものを拒絶せずに受け止めることです。
他人の意見を拒絶せずに、自分のものとして考えることです。
しかし、他人の意見に盲目的に従うことではありません。
周りのもの、他人の意見は、自分なりの意見を形成しようとするための一つの手がかりなのです。
視野を広げて、自分なりに考える材料を取り入れようと他人に心を開く態度が素直なのです。

親や舅、姑、上司など支配的な人達に従順に従うことが素直だと思っている人がいるようです。
でも、他人の意見に従うだけでは、素直というよりも依存していることになるのです。
自分の意見を持たずに誰かに頼るという点で、依存心を抱いているということになるのです。

素直とは、自分の意見を持つ、自分の意見を持とうとする自立した態度です。
自分の意見がないと、自分の意見を形成しようとしないと、他人に依存したまま生きることになるのです。

自分がどのような態度でいるのか、いちど考えてみたらいかがでしょうか。


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2019/9/26  0:45

おいら、ルクルス!人間は、物ではないんだよ。  

おいら、ルクルス!

人間は、物ではないんだよ。
だから、誰かと比較して、その人の価値を決めてはいけないんだよ。
誰かと比べて上げたり下げたり、利用価値を考えたり見下したりしてはいけないんだよ。

自分に都合の良い人が素晴らしい人だなんて発想は、捨てたらいいよ。
自分に都合の悪い人こそ、自分にはないものを持ってる可能性が強いんだからね。
自分の都合ばかりで他人の価値を決めるって、実にエゴイスティックなことだよ。

他人を自分の感情のはけ口だと思わない方がいいよ。
他人はゴミ溜めじゃないんだよ。
八つ当たりするなんて、もってのほかだよ。

人間の価値は、外見とは異なるんだよ。
一見金持ちに見えても、借金だらけの人もいるよ。
ボロを着てても、中身が輝いている人だっているんだよ。

この人はこういうものだと決めつけない方がいいよ。
生きている限り、どんどん成長して変わっていく可能性があるんだよ。
また、逆に、どんどん荒んでいく人だっているよ。

人間は、物ではないんだよ。
外側ばっかり見てちゃ、わからないんだよ。
生きている限り、人間って、変化の可能性を秘めているんだよ。
それって、人間の素晴らしさだと、おいら、思うんだよ。


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2019/9/25  0:36

あたし、シュエット!あたし、努力してるの。  

あたし、シュエット!

光陰矢の如しって言うけど、時間の経つのって、実に早いのよね。
子供の成長なんて、その大きな一つの例よ。
今月の2日に、あたし、4匹の子猫を産んだけど、だんだん馬鹿でかくなってきたのよ。

だけど、1週間ほど前から、そのうちの2匹の調子がおかしくなってきたの。
あたしの母乳が出ないから人間がミルクを飲ませているんだけど、ミルクを飲ませるとくしゃみをしたり、鼻から吹き出したりするのよね。
これって、遺伝子に問題があったりするのよね。
どこかの軟骨の形がおかしかったりするのよね。
そして、昨日、1匹が天使になっちゃったの。

せっかく生まれてきたのになんて思う人がいるかもしれない。
でも、それはその子の運命なの、寿命なの。
命の長さを決めることは、あたしにも人間にもできないの。
生物は全て死すべきものだと受容するしかないと、あたし、考えているの。

とはいえ、全てにおいて受け身である必要はないのよね。
与えられた寿命、許されている時間がどこまであるかわからないけど、生きている限り、生きるために全力を尽くせば良いと、あたし、考えているの。
一分一秒でも長く生きようとする本能に従うことが、あたし、生きている責任を取ることだと考えているの。
だから、あたし、全力を尽くして自分の命を全うしようとしている子猫達って、尊いと思うの。
あたしも、子猫の死を看取ろうと一所懸命努力しているの。


あたし、いつも出産すると子猫を放り出すけど、今回は、母猫ごっこはまだ続いているんだから。
あたしだって成長するんだから!
どすこい!


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2019/9/24  0:36

あたし、エルミオーヌ!あたしの願い。  

あたし、エルミオーヌ!通称、ミケ子!

あたし、昨日の朝9時過ぎから11時頃にかけて、5匹産んだわよ!
あたし、超安産だったのよ。
今じゃ、余裕持ってどすこいシュエットの子猫の世話だってしてるんだから。

それにしても、子供ってすごいわよね。
あの細い参道を通って産まれてくるのよ。
命がけで、子宮の外の世界を目指してくるの。
親が勝手に生んだなんて文句を言う人間の子供がいるようだけど、本人が本能に従って生まれてきたのよ!
生まれたことを親のせいにするのはおかしいわ。
生まれてくるのは、その本人の本能的な意思のようなものじゃないかしら?
親が勝手に生んだと文句を言うよりも、親の育て方が間違いだったというなら、話を聞く余地は十分あるんだけどな。

親って、勝手なことを言ったりするわ。
女の子ならいらない、男の子ばかりならつまらないなんて言ったりするしね。
生まれた時はそれだけで喜んでいても、子供が育つにつれて欲が出て、勉強ができないといけないなんて言ったりするしね。
どうして、その子の生だけを喜び続けることができないのかしらね。

あたし、この5匹の中で1匹でも無事に成長してくれたらと、それだけを願ってるんだけどな。

おい、5匹のチビ達、しっかり自分の生を全うするのよ!
あたし、それだけが願い!
それだけが喜びなんだから!


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2019/9/23  0:01

僕、テオフィル!依存してくる人って。  

僕、テオフィル!テオ!

僕、依存してくる人って嫌だな。
何かしてあげると、「ありがとう」ってお礼を言ってくれたりすることもあるけど、次にはそれ以上の要求も平気でしてくるんだよね。
他人に何かをしてもらうことが当たり前で、「ありがとう」と言えば、何でも他人にしてもらえると思ってたりするんだよね。
それで、自分の希望が叶わないと困ったふりをしたり、文句を言ってきたりするんだよね。
不満をぶつけられるのが嫌でその人に何かをしてあげると、余計つけあがってくるんだよね。
本当に疲れるよ。

依存してくる人って、依存は当たり前、依存は悪いことじゃないと思っていることが多いんだよね。
人は互いに助け合うのが当たり前と言い、助けてもらうばかりで自分から人を助けようとはしないんだよね。
ひどい場合は、自分が助けてもらってることさえ気づいていなかったりするんだよね。
こんな人がそばに居ると、僕、時間もお金も労力も皆、その人にむしり取られてしまうような気がするよ。

どんな状況だって、どんな状態だって、自分でできることを出来る限りしようとする人は自立していると、僕、考えているんだ。
だけど、何でも人に頼って、自分が相手に迷惑をかけていることや自分の欠点も知らず、自分で先のことを考えることもしない生き方をしている人を見ると、僕、その人は寄生虫のように生きているんじゃないかと思っちゃうんだけどな。


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2019/9/22  1:32

僕、ブレーズ!それで良いのでしょうか?  

僕、ブレーズ!

「東海の小島の磯の砂浜に
我泣きぬれて
蟹とたはむる」
これって、石川啄木の『一握の砂』という歌集に収められている短歌です。函館の大森浜が彼の念頭にあったとされています。

この歌集が出されてから35年ほど経つと、この砂浜には掘っ立て小屋がたくさん建てられました。戦争が終わった後、満洲や樺太から、たくさんの人が引き上げてきました。住む場所のない人達は、大森浜に掘っ立て小屋を立てて、乞食のような生活をしていたそうです。
目がギラギラした人達が、たくさんいたそうです。
うちのお母さんの母親は、この掘っ立て小屋から通う生徒達を小学校で教えていたそうです。家庭訪問のため、掘っ立て小屋に赴くこともあったそうです。ずっと後になって市営住宅ができるまでは、この人達は掘っ立て小屋で寒さをしのいでいたそうです。
親を失った子供は孤児院に送られて、これもまた飢えのため、目をギラつかせていたそうです。
うちのお母さんの父親も母親も小学校や中学校の教員をしていましたが、教え子の中に孤児院の子供達が何人もいたそうです。
でも、この人達は、住む場所や身なりにこだわってはいませんでした。
日本にたどり着く前に亡くなった同朋をたくさん目にした人達にとっては、住む場所や物など、どうでもよかったのかもしれません。
生きることが最優先でした。
食べてその日の命をつなぐことが最優先でした。
それが当たり前のことでした。
この人たちは、生きることの尊さを知っていたのかもしれません。

食べて生きていくためにはお金が必要です。
でも、お金って、生きていくために必要なものを賄うだけで良いのではないかと、僕、考えたりしています。
良い家に住んで、良い車を持ち、華美な服にこだわったり、宝石を求めたりして、一体どうなるのでしょうか。
外見を飾るものが、その人の価値を決めるのでしょうか。

僕、生きることの尊さを知っている人こそ価値のある生き方をしているのではないかと思うのです。
他人を助けて生きる人こそ、価値のある人生を知っているのではないかと、僕、思うのです。

今は、高価なものが巷に溢れています。
お金持ちを羨む人がたくさんいます。
外見の価値、お金で買えるものの価値を人間の価値と取り違えている人がたくさんいるように、僕、思うのです。

本当にそれで良いのでしょうか?


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