2019/10/3  0:51

僕、エサウ!依存する人。  

僕、エサウ!

依存する人は、赤ん坊と同じです。
感情を強く出せば、相手が自分の思い通りに動くと思い込んでいます。
感情を強く出すって、わがままを強く押し出すってことです。

依存する人の判断基準は、その場その時の自分の気持ちです。
自分の気持ちが一番大切なので、自分の気持ちに反することは悪だと思ってしまいます。
自分の快は善、自分の不快は悪だと思っているのです。
客観的に判断することを知らず、主観的な判断が普遍的なものだと思い込んでいるのです。

依存する人って、自分の気持ちの強さで全てを押し切ろうとします。
他人に対する反感反発という気持ちを強く打ち出せない人は、そのような人の気持ちに気圧されて、依存されてしまうのです。

依存されたくなかったら、他人と気持ちで勝負をつけようと思わないでください。
気持ちという土俵では、負けてしまう可能性があります。
なので、依存する人の知らない土俵を選んだらどうでしょうか。
自分の気持ちから離れて、客観的な理性的な言葉で相手に語ってみたらどうでしょうか。
依存する人は、客観的な理性的な言葉を語る相手が苦手なのです。
赤ん坊は、客観的な理性的な言葉を理解できないのですから。


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2019/10/2  0:00

僕、エルミット!思い出してみてください。  

僕、エルミット!

ペットを飼うなら、そのペットに責任を持つのは当たり前のことです。
病気になった時にケアし、死に瀕した時に看取るのは当然です。
ペットに必要な躾をしたり、栄養や衛生面の管理をするのも当然です。
必要ならば去勢、避妊をさせなければなりません。
飼い主は、動物が居心地よく生活するように気をつける責任を持たなければいけないのです。
飼った時から最期の時まで面倒をみるのは当たり前なのです。

ところで、自分の子供に対しての責任を忘れているような人がいるみたいですね。
親に虐待を受けていたことに気づかずにいる人、親が無責任だったと批判できずに育ってきた人もいるようですね。
で、ペットの飼い主を批判する人の中には、自己正当化を図っている人もいたりするのですが。
自分の親への不満を隠している人や自分の子供に対して無責任な人の自己正当化が、ペットの飼い主への非難だったり八つ当たりだったりすることもあるのですが。

ペットの飼い主を非難する人、それも特に激しい怒りを込めて非難する人は、ちょっと考えてみてください。
自分と親との関わりがどうであったかを少し思い出してみてください。


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2019/10/1  0:00

ぼく、フランソワ!強がりを止めようよ。  

ぼく、フランソワ!通称、ぶぅちゃん!

ねえ、強がりを止めようよ。
強がっていると疲れるだけだよ。

知ったかぶりや見下しも強がりだよ。
他人に負けまいと頑張ったって、本当の実力はつかないよ。
自分の至らなさや弱さを隠すことばかりに気を取られてしまうよ。
知らないことや出来ないことがあったって、いいんだよ。
人間って、神様じゃないからね。

他人に対して強がるよりも、自分に対して強がっているのは、もっとタチが悪いよ。
自分の本当の姿が分からなくなっちゃうよ。
疲れた、落ち込んだなんて、自分の弱さを自分で認めてあげようよ。

強がっているのって、張り詰めた糸の状態だよ。
そのうちプツンと切れちゃうよ。
だから、強がりを止めて、自分を休ませるんだ。
弱さを認めると、緊張が減るよ。

ありのままでいいんだよ。
ありのままの自分を知って、必要ならその上に積み重ねていけばいいんだよ。


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2019/9/30  0:00

妾、シャホールでございます。不純物にも価値があるのではないでしょうか。  

妾、シャホールでございます。

フランスのパリのセーヌ川の中には、シテ島とサン・ルイ島が浮かんでおります。
シテ島にあるノートル・ダム・ド・パリは有名でございますが、その反対側に裁判所がございます。裁判所の中には、サント・シャペルと呼ばれる今では使われていない礼拝堂がございます。
この礼拝堂は、ステンドグラスで有名でございます。
そのステンドグラスの深みのある青色は、今では出すことのできない色とされております。
この礼拝堂が作られたのは13世紀でございますが、当時のガラスの精製技術は今よりも劣っており、ガラスの中には幾多もの不純物が混じり込んでいたそうでございます。
そのステンドグラスの深みのある青色は、不純物のおかげで作られた色と言われております。
現在のように精製技術が進歩した世の中では、逆にその深みのある色を作ることは難しいとされているそうでございます。

不純物と言われるものにも、それなりの価値があるのではないかと、妾、思うのでございます。

たとえば、勉強や仕事に集中しなければいけない時、邪念が入るといけないと思う人は多いでしょう。
でも、妾、邪念には邪念なりの意味があるのではないかと思ったりするのでございます。
邪念のおかげで、少し休息が取れるのではないかと、視野を広げる可能性があったりするのではないかと思ったりもするのでございます。

水だって、そこに混じっているもののおかげで味わいが出るのではないでしょうか。
バラの花束だって、かすみ草を混ぜることでその花の色が引き立つのではないでしょうか。

妾、純粋なものばかり追い求めては、何かが欠落するのではないかと危惧しております。
若い頃は純粋さ、ひたむきさが価値あるものと思いがちかもしれませんでしょうが、歳をとるにつれて不純物の価値を知るようになるのではないかと、妾、考えているのでございます。


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2019/9/29  1:47

俺、ウィンウィン二世!権利と義務って。  

俺、ウィンウィン!

自分の権利にばっかり執着する人って、自分の義務を忘れがちなんだよな。
一方、自分の義務ばかりにとらわれている人って、自分の権利を忘れがちなんだよな。

いわゆるクレーマーと呼ばれる人って、自分の権利ばかり主張するんだよな。
例えば、自分は客だから、何を言ってもいいなんて思い込んでいるんだよな。
周りの迷惑なんてどうでもいいんだ、自分は金を払っているからどのような要求をしてもいいんだなんて、自分の権利を過大評価しているようなものなんだよな。
自分の権利にこだわる人って、自分に落ち度は無い、相手が悪いんだなんて思い込み、自分のわがままを追求するんだよな。

それとは逆に、自分の義務ばかりを念頭に置いて、他人に要求するのは悪いことだなんて思い込んでいる罪悪感と義務感に縛られている人もいるんだよな。
給料をもらっているから仕事が終わるまで休むことも食事をすることもいけないなんて思い込んで、体を壊す人だっているんだよな。
どんなに子供がいじめられても、いじめられる方にも問題があると信じ込み、誰に助けを求めることもなく、学校に行くことは義務だと思って子供を無理に学校に行かせる親や、無理して学校に通わなきゃと苦しんでいる人だっているんだよな。
自分の義務ばかりにとらわれている人って、相手の落ち度まで自分が悪いせいだと思い込み、他人に利用されがちになるんだよな。

権利と義務って、表裏一体だぜ。
どちらか一方に偏ったら、バランスを崩してしまうんだぜ。
自分の権利ばかりを主張していたら依存的なわがままな子供になってしまうし、自分の義務ばかりにとらわれていたら、他人に依存されて他人の奴隷になってしまうんだよな。
権利と義務についてよく考えろよな。


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2019/9/28  1:15

僕、ヴィタル!芸術って。  

僕、ヴィタル!

うちのお母さんの父親は腹部動脈瘤破裂で急死したけど、その臨終の時にうちのお母さんは、「山川草木転荒涼」という乃木希典の漢詩の一節を思い出したんだって。これから大変なことになるなという気持ちをこの漢詩を心の中でつぶやくことで整理したんだって。
その30年近く後、うちのお母さんは、自分の母親が危篤だと病院から電話を受け、タクシーを探している時に雀を見て、「のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にいて足乳根の母は死にたもうなり」という斎藤茂吉の短歌をふと思い出したんだって。焦りの気持ちがちょっと消えたんだって。
病院について、昏睡状態に陥った母親の荒い呼吸音を聞きながら、ヴィクトル・ユゴーの『緒世紀の伝説』のなかの一つの詩「眠れるボアズ」の美しい数節を心の中でつぶやいていたんだって。
これは、『旧約聖書』の『ルツ記』を基にした詩なんだ。興味のある人は、日本語訳があるかもしれないけど、フランス語で読んでみると味わい深いよ。
祈りより先に、20代の時にフランス語で暗唱したこの詩がうちのお母さんの心の中に浮かんだんだって。耳から入ってくる母親の苦しい呼吸が、ボアズの安らかな呼吸に心の中で変質していったんだって。
そして、頭の中では、モーツァルトの『レクイエム』が鳴り響いていたんだって。

若いうちにいろんな本を読んでおくと、何かの時にふとその記憶が蘇り、心が慰められたりするんだよ。
宗教の本だけじゃなく、文学でも、哲学でも、音楽でも、美術でも、若い時からいろんなものに触れていると、何かの時に心の助けになるかもしれないんだよ。
芸術って、美しい素晴らしいものだけじゃないんだ。鑑賞するだけじゃないんだ。
気持ちの整理の手伝いにもなったりするんだ。
生きる力を与えてくれることだってあるんだよ。


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2019/9/27  0:32

私、ディアーヌ!素直と依存。  

私、ディアーヌ!

私、時折感じることがあるのですが、素直であることと他人に依存することを混同している人がいるようです。
支配的な親に育てられた人にこのような傾向があるのではないかと、私、思うのです。

素直とは、周りのものを拒絶せずに受け止めることです。
他人の意見を拒絶せずに、自分のものとして考えることです。
しかし、他人の意見に盲目的に従うことではありません。
周りのもの、他人の意見は、自分なりの意見を形成しようとするための一つの手がかりなのです。
視野を広げて、自分なりに考える材料を取り入れようと他人に心を開く態度が素直なのです。

親や舅、姑、上司など支配的な人達に従順に従うことが素直だと思っている人がいるようです。
でも、他人の意見に従うだけでは、素直というよりも依存していることになるのです。
自分の意見を持たずに誰かに頼るという点で、依存心を抱いているということになるのです。

素直とは、自分の意見を持つ、自分の意見を持とうとする自立した態度です。
自分の意見がないと、自分の意見を形成しようとしないと、他人に依存したまま生きることになるのです。

自分がどのような態度でいるのか、いちど考えてみたらいかがでしょうか。


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