2019/4/30

(無題)  

我が家の家宝 その2
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日本が誇る音楽監督
 今日は、小沢征爾氏に書いていただいた色紙。音楽が好きな方なら小沢征爾氏のことはご存じでしょう。単身アメリカに渡って、世界の最高峰のボストン・シンフォニーで30年に亘って音楽監督を務めた名指揮者であり、ボストン・シンフォニーの企画者。私はボストン滞在中、3年間で10回ほどボストン・シンフォニーに通った。全て小沢氏が指揮をする時だった。あのダイナミックな指揮は 派手好みのアメリカ人には人気抜群だった。もちろん彼が指揮する演奏も良かったのだろうが。
アフリカンの人たちへのサービスから
 毎年4月にボストン・シンフォニーの一行は、市内の一角にある大きな体育館で演奏会を開く。有名なアフリカンのプロバスケット選手が若くして病気で亡くなった。彼を偲んで、居住地だった体育館で無料で演奏会を催す。シンフォニーの合唱隊のメンバーだったゴールド文子さんに連れられてカミさん共々会場へ行った。小沢氏が指揮する最初の曲は、ベートーベンの『運命』だった。
独立記念日に
7月4日はアメリカ合衆国の独立記念日。ボストン界隈は、本国イギリスと最初の独立戦争の火ぶたが切られた土地だけに、盛大な催しが行われるが、ボストンシンフォニーは、弟分のボストン・ポップスとともに、大きな野外活動で市民に演奏会をプレゼントする。もちろん小沢氏が指揮を行い、舞台で踊る。こういうパフォーマンスが自然に出来るところが根強い人気を持ち続ける彼の豊かな個性だろう。
 最後の指揮の後で
 小沢氏は2002年の3月にウィーンフィルの音楽監督になるべくボストンを離れた。その最後の彼の指揮は 前年の12月にタクトを振った。私とカミさんは奮発して出来るだけ良い席で聴いた。
 その演奏が終わったのち、合唱隊のゴールドさんにお願いして、小沢氏にアポをとっってもらった。シャワーを浴びて作務衣姿で舞台裏で面会してくださった小沢氏。『お疲れのところ、誠に無理なお願いなのですが、小沢先生がボストンを去る前に、日本人学校の子どもたちに記念の思い出をお願いしたい』と色紙を書いていただいた。その折、チャッカリと私の分も書いていただいたのが写真の色紙。小沢さん、ありがとうございました。
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2019/4/29

(無題)  

我が家の家宝
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 三日間練習して
 我が家の書斎の壁面にずっと飾られている一枚の色紙。ノーベル賞を受賞したマサチューセッツ工科大学の利根川進教授が何十年ぶりかに筆を執って書いてくださったもの。額面通り、2−12年2月22日、教授の邸宅に招いていただき、直にいただいた。
 芸能人の色紙を見るまでもなく、一流と言われる色紙やサインは何を書いているのか判読できない『達筆』ばかりだが、利根川教授の色紙は高校生が書いたような楷書で丁寧に書かれている。奥様によれば『習字道具一式買ってきて、3日間練習した』そうだ。高校を卒業した頃から筆を握ったことがない方が、一念発起して書き上げてくださったのだという。先生の人がらが滲み出た色紙に私は感銘を受けた。
『秀 英 知』の意味
 真中に『秀』『英』『知』と三つの漢字が大書されている。これは3人の子どもさんの名前を書き出している。上から長女の『英(はな)』さん、長男の『秀(ひで)』君、次男の『知(さと)』君。漢文読みすると『英知に秀でる』となる。私が在任中、3人の子どもたちといっしょに学校生活を送り、真由美奥様は子どもたちの登下校の世話をされた。この3人の子育てをしながら
、彼女はMIT(マサチューセッツ工科大学の大学院で学位を取得、何冊かの子育てに関する書物を出版された。
半端じゃない学校貢献
 私の赴任2年目、ボストン日本語学校は創立25周年記念事業を学校の総力を結集して挙行した。校章を作成し、校歌を公募して作り、全米の補習授業校でいち早くホームページを立ち上げた。10余りの委員会が学校運営委員会、PTA本部委員会、ボストン日本人会、ニューイングランド企業懇話会等が力を合わせて25周年記念事業に関わってくださった。寄付もたくさん集まった。もう時効だから言ってもいいと思うが、利根川教授は3000ドル(当時のレートで30万円)ポンと寄付してくださり、全校生と保護者に対する記念講演も無料で引き受けてくださった。
 制作された校歌は、詞は高校部の女生徒、作曲は本校職員で作曲のプロ。素晴らしい曲で、今もたまにCDを引っ張り出しては聴いている。
 いつまでも思い出が薄れないボストン日本語学校であり、利根川教授のご家族を筆頭に学校に協力的な熱い集団が今も私の胸に脈打っている。

 
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2019/4/28

(無題)  

勘ちゃん お帰り
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 昨日、佐野のベーグル店へ行った帰りに、広田のニトリへ立ち寄って、カミさんがアニマルクッションを買った。ソファーの周辺に置いて、抱っこしたり、背もたれにしたり、ご婦人が自由に活用するんだという。もちろん我が家にはこれまでなかった。長いこと家族の一員として可愛がってきた勘九郎が亡くなって以降、カミさんは勘ちゃんに似た猫を正視できなかったようだ。それが やっと最近その抵抗感がなくなり、勘ちゃんによく似た猫のクッションを身近に置いて可愛がりたくなったんだという。私も3月に『吾輩は猫である』を半世紀ぶりに通読、再び猫が身近に感じられたところでもあった。
 やはり犬や猫は可愛い。私はどちらかを飼ってもいいのだが、カミさんは反対だ。ペットを残していくのが忍びないという。我が家はアニマルクッションで辛抱することになる。
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2019/4/27

(無題)  

名主園のふじの花
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佐野のベーグル店へ
淡路市の佐野にオープンしたベーグル店、大坂から若者夫婦が古民家を借りて、ベーグル専門店を開業している。金、土、日曜の週3日だけの営業。初めてカミさんに連れていってもらった。以前にもブログで紹介したように、普通のパンより固めの丸いパンで、私はロックスというイタリア人の店で昼食としてよく食べた。イタリアのハンバーガーで、クリームチーズをたっぷり塗り込んで、スモークサーモン、玉ねぎ等の野菜を挟んで食べる。私はこの『ロックス』が性に合って、マクドのダブルバーガーとともに、よく食べたファーストフードだった。一番シンプルなベーグルを2個買った。場所が分かったのでいつでも通える。
広田の宮脇書店で
 次は予定通り、宮脇店で、漱石の文庫本の続きを4冊購入。『坊ちゃん』『草枕』『門』『明暗』。3月辺りから読み始めている漱石本は、50年前に逗子の図書館で読みふけって以来で、中身はほとんど忘れている。『こんな本だったな』と輪郭が記憶にあるだけである。今年中に本屋にある文庫本は再読したい。やはり漱石という作家は破格の小説家だったなと改めて敬服する。これだけの量の小説を10年余りで書き上げているのだから。それも大衆小説家のように書きなぐったものでなく、内容が豊かだ。
もっといいカメラがほしい
 志筑で昼食、市まで帰ってくると、名主園の生垣にきれいなふじが大きく花を咲かせている。カメラの腕前が初心者レベルなので、被写体には申し訳ないと思うことしきり。もう少し若ければもっと上等のカメラを奮発するのだが、そこまでの情熱もない。毎年この時期楽しませていただいている阿万さんが入院しているのがさびしい。
 
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2019/4/26

(無題)  

信長の健康診断
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山の昇降で体を鍛える 
NHK BSで毎週『偉人達の健康診断』を観ている。今週は織田信長。あの乱世でいち早く天下統一の一歩手前まで駆け上った武将だけに、周囲の武将が真似出来ないような奇抜な発想をして、それを実現していった。彼は30代と40代に岐阜の山と琵琶湖畔の滋賀の安土に壮大な山城を築き、その天守閣に住んだ。それまでの天守閣は住む所ではなく祭りごとをする場だった。ところが信長は天守閣を居城とし、政治は麓に作った建物で行ったのだった。天守閣に住んでいるのだから、政務のたびに麓まで歩いて通うことになる。往復で1時間半、毎回厳しい山を登り降りした。トータル15、6年もそんな生活をした。
普段の運動も昇降運動
 国民の健康増進が国策の一つになっている我が国、厚生労働省が国民に推奨している5つの課題がある。@運動 A食生活改善、B節酒 C禁煙 D適切な睡眠の五つ。この中でも、特に強調されるのが、運動である。歴史資料には 戦国大名の健康状態を記した記録が残されているが、信長だけは、2回鉄砲の球がかすった傷があるだけで、病気になるような記録が皆無だという。その原因として、山の昇降を10数年続けたことが大きいと現代の歴史学者や医者は指摘する。それともう一つ、独特の藁草履をいつも腰にぶら下げていたという。歩いて不具合になった草履の代えを常に持ち歩いていたという。余談だが、私たちの子ども時分、運動会のかけっこで選手は先輩がどこかから調達したこの足の半分の大きさの草履を履いて走ったものだった。
食生活の改善に気を配る
 今日の『信長の健康診断』もぬかりなく録画しているので、じっくり復習したい。最近ブームになっているウォーキングも、平地を歩くだけではあまり効果がないそうで、昇降運動が足の筋力を鍛えるんだという。
 それから、食生活の改善も大きいだろう。炭水化物を極力抑えて、たんぱく質をしっかり採る。一日一日、一食一食気を配りながら食生活も向上させよう。
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