2019/7/16

(無題)  

阿万中学体育歌
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 ピアノ練習は続けているのだが、思い出したように『阿万中学体育歌』を片手伴奏で弾いてみた。この歌を独りで声を張り上げて歌うと、私の世界は中学時代もどる。新地、まっしゃん、おうちゃん、ちいやん、やっしゃん、かずや君、いのっさ等の男子の面々、女子バレー部、野球部、陸上部等のレベルの高かったクラブの威勢のいい顔顔顔が次々に浮んでくる。一度でいいから、もう一度、みんなで『大いなり・・・』を歌いたい。誰か 伴奏してくれないかな、と心から希望する。美恵子さんへ。まっしゃんはこの歌が本当に好きなのをご存じですか。同窓会の
最後には必ずまっしゃんが音頭をとって『大いなり』を歌うのです。
 口伝えでも 私の思いが有志に伝わったら 嬉しい。
 簡易伴奏でも、この歌の伴奏はなかなか難しいと思います。
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2019/7/15

(無題)  

天才を育てた女房
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 読売テレビが開局60周年で制作した2時間ドラマ。文化勲章受章者で我が国随一の数学者岡潔を支え続けた妻みちの夫婦愛の物語。いつの頃か録画しておいたのを昼食後観始めた。天海祐希と佐々木蔵之介が好演した佳作だった。
 岡潔のことは学生時分から知っていた。兎に角学者としては第1級の数学者。先輩の学者がレベルが低いと、その後を行くものは人生を狂わせられたり、いろいろ余分な苦労をさせられるという典型的な学者人生を歩んだ男。私が兵教組の教育文化研究所に勤めていた時、本部の法政部長に久野麗子先生という奈良女子大理学部卒業の偉い先生がいて、互いに煙草を吸うために研究所にやってきては当時の学者の品定めをよくされた。彼女は岡潔の門下生で、彼が人間としてもかなり変わりものだったと話されたことがある。
えらぶつだったみちさん
 岡潔は京大理学部の講師をしていたのだが、努力して作成した論文を上司の木下主任教授に見せると、何と『君の論文は 私には理解できない』という返答とともに、何度も突き返されたという。これでは埒が明かないと、両親に学資を支援してもらってフランスに留学する。帰ってからも木下教授の岡潔の論文に対する評価は変わらず、同僚たちがアメリカに留学していた湯川秀樹を通して、フランスのかの学者まで論文が届けられ、やっと彼の理論は陽の目を見た。
 奥さんのみちさんはドラマではえらぶつで描かれている。実際そうだったのだろう。内助の功どころではない。度胸の据わった人だった。
 今日の録画は、観終わっても余韻が後々まで気持ちよかった。

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2019/7/14

(無題)  

徐々に変わってきている
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(元女子レスリング 世界チャンピオン吉田沙保里選手)
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(解説者席で 舞の海秀平さんと)
世界に誇る稀に見るアスリート! 
 最近の大相撲も少しずつだが徐々に変化してきている。未だに女性が土俵の上に上がれないとか、印象としてまだ女性差別的な体質が幅を利かせている相撲界だが、名古屋場所も早中日のなった今日、幕の内力士の土俵入りから観賞した。今日の解説席のゲストは、日本人が世界に誇る元女子レスリングの世界チャンピオン吉田沙保里さんが 舞の海秀平さんの横に座っている。
 正確な数字ははっきり記憶していないが、世界チャンピオン連続16期、公式戦2百数十連勝と、とてつもない記録を打ち立てた 日本人が世界に誇る偉大なアスリート。
 現役時代から私も彼女の熱烈なファンだった。スポーツマンらしい溌剌とした試合マナー、試合後のテキパキした言動が気持ちよかった。
怪我が大敵!
 気持ちのいい選手と言えば、今日の解説者の舞の海のファンだったという相撲愛好者はたくさんいるだろう。『小よく大を制す』彼の取り口は日本人の中に相撲ファンを広げたし、女性ファンも増えた。あんな小兵で長期間幕内力士で居続けることは、想像以上の陰の努力をしていたのだろう。あの激しい土俵上は怪我が大きな敵でもある。最近では私の愛した小兵力士の宇良も怪我に泣いた。怪我と隣り合わせと言えば、レスリングも然り。あの激しいリング上で選手で長期間怪我をせず居続けられた吉田選手は、並外れたスポーツセンスの持ち主だろう。野球界で世界一の選手はイチローだと私は自信を持って言えるが、彼が様々な偉大な記録を作り続けられたのも、怪我をしなかったことだろう。シーズンの半分でも怪我で欠場すれば、彼の記録の少なからずは消えていたろう。
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2019/7/13

(無題)  

今年も立派な桃が・・・
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 立派な野菜、果物を育てる名人
 今年もお隣のM先生から畑で自ら作られた立派な桃をいただいた。このところ、毎年この時期になると、心待ちにしている私である。彼の畑は、県道バイパスから少し奥まった所にあり、私が知っているだけでも、栗、柿、マクワウリ、スイカ、桃、夏ミカン等々、品も多彩なら、それぞれの味も一級品だ。我が家は労せずに常にお裾分けにあずかっている。
 今日は7月13日。昨日は私の73歳の誕生日、今日は息子の42歳の誕生日。私はM先生の誕生日を知らないから、多分彼も私の誕生日は知らないだろう。しかし、毎年7月の12日か13日に決まったように、マクワウリか、スイカ等々いずれかの果物、野菜をいただく。
 兄弟のように
 私とM先生は1年違いで、小学校から大学までずっといっしょだった。大学は彼は文学部で、確かイギリスの文豪サマセット・モームを卒論のテーマにした記憶がある。私は教育学部で教育社会学を専攻した。お互い故郷に帰って教壇に立ったのだったが、結婚後もカミさん同士が同級生、子どもも年がよく似ていたので、いたので、互いの子を家に呼んで教え合ったものだ。親戚のような兄弟のようにかわいがっていただいて、今日まできている。ありがたいことだ。
 もう一つ、今まで不文律のように続けていることがある。両家の子どもが帰省したら必ず挨拶に表敬訪問することだ。子どもの頃にお世話になったことを忘れないためだ。このことは親は進めないのに、未だに続いている。
 いい先輩に恵まれて 幸せな私たち夫婦である。
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2019/7/11

(無題)  

森上ミュージアム その2

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1.森上助次(すけじ)の生涯
 上の2枚の写真は、昨日紹介したように京都の綾部市から明治時代、単独でフロリダへ移民、広大な綿花畑を成功させた助次本人と、今もデルレイ市一角に日本人はじめ現地の長年の友人たちが 彼のために作った墓である。
 かれが如何にして綿花畑で成功したか云々については述べないが、ごく簡単なことだけ述べるなら、財を成して他界する前、お世話になったデルレイ市に財産の大部分を寄贈し、郡の方はその厚意に報ゆべく、跡地の一部を市民に開放する広大な森林公園を作り、『森上ミュージアム』と名付けたこと。そして、後年、現在まで、綾部市とデルレイ市は姉妹都市提携し友好を深めている。
 2.綾部市、天橋立へ
 北島総領事との約束とは言え、重い腰を上げて、ディズニーランド、ナサ、そして『森上ミュージアム』まで足を伸ばしてよかった。帰ってから、綾部市を訪問し、助次の先祖の墓にもお参りできた。
 どういう経緯だったか思い出せないが、護国寺の三富住職が綾部市のご出身というご縁で市役所はじめ道案内をしてくださった。森上家の先祖代々の墓にもお詣りできた。
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