2011/2/27

ピアノを修理してもらって  趣味

 ピアノの修理してもらって

 一月間楽しんで
 2月に入ってから再開していたピアノ練習。 三日坊主にならず、 今も続いています。毎日少ない日でも、 15分はピアノに触れる日課を続けています。 かつて弾けていた『埴生の宿』 『浜辺の歌』 『アンニローリー』を曲がりなりにもクリアし、 『ふるさと』 『旅愁』 『野バラ』(ウェルナー)もかなりものになって来つつあります。 そして新たな挑戦曲として『別れの曲』にも手を伸ばしています。 しかし、 これは部分的にかなり難易度の高い所があって、 目下の所、 私の指がついていけないのですが、 肩が凝らない程度に、 ゆっくりゆっくり、 繰り返し繰り返し練習しています。


 ピアノの修理を
 ところが、 数日前に初めて気がついたのですが、 低音部の黒鍵で2ケ所、 音が出ない所が出てきました。 なんてったって『年代物』のピアノですから・・・。 カミさんが高校3年生の時、 親に買ってもらったんだそうですから、 少なくとも45年位昔の物。

 我が家の子どもたちもこのピアノで練習しましたから、 その頃までは調律を毎年やってもらっていたのですが、 息子が高校を卒業した頃からかれこれ20年余り、 調律しない状態で来ていました。

 調律は毎年していると経費はそんなにかからず、 間を置くほど高くつくそうです。 友人の奥さんでピアノの先生がいて、 『私の腕前では調律してもらうのはもったいないから、 故障している所だけ修理してくれる人はいないだろうか?』 と虫のいい相談をしたところ、 早速島内の方に話をつけていただきました。

 調律はしてもらわなかったものの、 全体を点検して、 傷んだ所を丁寧に修理してくださいました。

 気のせいではなく、 実際にそうなったのでしょう、 音が澄んで、 しっかりしたように思います。

 『梅雨時になると音が出にくくなることがありますから、 その時はまた呼んでください。』と言ってくれたそうです。

 6月まで果たして練習が持続出来ているかどうか・・・。
 続けていきたいと思います。
 
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2011/2/26

若者の大衆娯楽文化の盛衰  趣味

 若者の大衆娯楽文化の盛衰

 娯楽文化の継承 

 全国各地方、 津々浦々に伝わる『伝統文化の継承・発展』が国民的な課題となって久しくなりますが、 私の周囲を見渡してみれば、 『文化の断絶』は何も伝統文化に限ったことではないんですね。 私たちが若い頃愛し、 こよなく楽しんだ娯楽の幾つもが、 現代の若者にしっかりと継承されておらず、 寂しさを感じる一人であります。

 閑散とする雀荘(じゃんそう) 

 『雀荘』って? 特に現代の若い女性には耳慣れないこの言葉。 場所代を払って『麻雀(マージャン)』をさせてくれる店のことです。 私らが若い頃は、 田舎・都会を問わず少し賑やかな繁華街には何軒も『雀荘』がありました。 特に学生街には多かったですね。

 実は、 今日の午前10時から夕方6時まで、 市内のとあるホテルの麻雀部屋で旧友と麻雀をしていたのです。 この頃は、 年に2〜3回しか手合わせする機会がなくなりましたが、 半年ぶりに訪れた広い部屋(7、8台雀卓があります)も、 私たち4名が貸し切りでした。 年齢はみんな『アラカン』です。

 学校の現役の先生方も市役所の職員たちも、 麻雀をしているなんて、 最近聞いたことありません。 現在50歳前後の先生方の中には、 私が50歳頃まではたまに雀卓を囲んでいた人が何人もいるのですが、 『最近は全くしなくなった』という声ばかり。

 現代日本社会では、 壮年層の娯楽から麻雀はほとんど消えかかっているかのようです。

 囲碁・将棋も・・・

 この麻雀と同じ衰退の一途をたどっているようなのは、 囲碁と将棋。 都市部では囲碁教室や将棋教室があって、 学んでいる小学生もいますが、 人口は確実に減っているんじゃないでしょうか。 現に、 私たちの世代の男子では将棋のルールは半数以上の者がマスターしていたんじゃないでしょうか。 昔は少なからずの家が、 夏になると『涼み台』を軒先に出して、 夕方の社交場となりました。 私もそこで大人たちが指す将棋を見ながら覚えたのです。 
 一昔前には役場の昼休みには、 『早指し』で将棋を楽しんでいる人をお見かけしたものですが、 今はどこを探してもこんな光景は見つけられませんね。

 私は40歳の時、 囲碁を覚えました。 沼島小学校へ赴任し、 寮生活を始めた頃です。 夜の団らんに『囲碁をやろう』と後輩に呼びかけ、 食堂でやり始めたのです。

 ところが、 この囲碁も市の大会等幾つかの島内の大会がありますが、 参加者は高齢化の一途をたどっています。 後継者がいないのです。

 麻雀、 将棋、 囲碁の3つは確実に愛好者の人口が減り、 問題は後継者が激減していることです。

 パチンコ、 ボート、 競馬は?

 この3つは私自身あまりたしなんだ経験がないのではっきりしたことは分かりませんが、 パチンコは今の若者にも一定の人気があるようです。 年齢を問わず、 私の周囲にもちらほら愛好者がいますから・・・。 明石市で勤務していた頃、 日曜日にたまにパチンコ屋に行きましたが、 『これはまず勝てない』と達観して、 すぐに足を洗いました。 競艇場へは先輩の先生が何度か連れて行ってくれました。 少額でも舟券を買うと熱が入ってくるもので、 今も彦坂郁夫、 野中和夫、 岡本義則とかいう一流選手の名前が浮かんできますから、 一時スポーツ新聞で『研究』したのかも知れません。 しかし、 ボートも今では周囲の後輩たちから話を聞くことはありませんね。

 群れて遊ぶ・・・
 
 今の若い人たちの娯楽は何なんだろう、 と思うことがあります。 確かにゴルフ人口は増えているようです。 これは健全なスポーツですし、 自分の力量アップに向け努力もし、 努力した分だけ上達もします。 年齢を問わずいろんな人とラウンド出来、 世間も広がります。 ただ、 まだまだ日本はプレーフィが高いのが問題です。

 ゴルフをたしなまない若者に人気のある現代の娯楽は何なんでしょうか? 友人と群れて遊べる何かがあるのでしょうか? 一度『娯楽について』、 若い人たちと話してみたいです。
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2011/2/21

『継続は力」になるか?  趣味

『継続は力』になるか?
  〜初級ピアニストのレッスン

 二冊の練習曲で
 今月初めから再開したピアノレッスン。 教則本は『子どものバイエル』と『中学生のためのピアノ曲集』。
 前者は多分、 私の子どものどちらかの教科書だったのでしょう。 後者はカミさんが中学生時分に買った本ですから、 もう半世紀経っています。 結婚してからはカミさんの家でちょくちょく練習しましたから、 私が持つようになってからでも40年近くなります。 表裏の表紙は取れてしまい、 外側の部分から茶色に変色してきていますが、 背の部分をセロテープで留めてあります。 

 少しずつ 根気強く・・・をモットーに

 再開当初は、 『バイエル』をゆっくりゆっくり練習していきました。 1番から順番に。 43番で『上巻』は終わり。 2月の10日頃にはそんなに根を詰めなくても辿りつくことができました。

 続いて『下巻』に進もうかとも思ったのですが、 案じていたよりも運指の老化が進んでいないと判断したので、 『懐かしのピアノ曲集』に入ることにしました。

 以来、 『埴生の宿』、 『浜辺の歌』の2曲に挑戦してきて、 8分通り弾けるようになっています。 どちらも40歳ころまでは暗譜で弾けた数少ない曲ですが、 今の所譜面を見ないと全くダメです。

 さらに、 『アンニローリー』、 『ふるさと』、 『別れの曲』も少しずつ並行して練習を始めています。 これらも一度は弾けた曲ばかりですが、 今は、 だいたい1行ずつ( たとえば『アンニローリー』なら、「あしたつゆおく 野のしじまに(堀内敬三訳詞)」の部分を繰り返し繰り返し弾きます。 

 こんな調子なので、 1曲根を詰めて練習するとすぐ飽きてくるのです。 10分ほど練習して飽きてきたら少し休憩して、 次の曲の『1行』を始める・・・といった塩梅です。


 興津憲作先生と谷口博子先生

 『中学生のためのピアノ曲集』は、 60曲収録されていて、 それが『バイエル』卒業程度の力量でも弾けるように簡易伴奏を着けてくれているのです。
 
 『サンタルチア』 『シューベルトの子守歌』 『ローレライ』 『故郷の人々』 『故郷の廃家』 『ロング ロング アゴー』 『旅愁』 『野バラ』 『楽しき農夫』・・・

 これらは中学時代に習った曲ばかり。 この他にも『この歌も歌ったなあ・・・』と懐かしさがこみ上げてくる曲が少なくありません。 私はこれらの曲を興津憲作先生と谷口博子(字が違っているかも)先生に教わりました。 お二人とも私のフィーーリングに合ったのか、 私は音楽の時間が待ち遠しかったです。 今、静かな夜更けに 『更けゆく 秋の夜 旅の空の・・・』と口ずさむと、 不思議にも、 あの古ぼけた音楽室と同級生の顔が浮かんできます。 中学時代の音楽は威力があるんですね。

 興津憲作先生はベートーベンのように口を真一文字に結んで、 威厳のある弾き方をされる先生でしたし、 谷口先生は大学出立ての美人の先生でした。

 この一年、 ゆっくりと、 無理せず、 楽しみながら、 これらの曲のレパートリーを広げていこうと思います。
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2011/1/31

ふれあい文化芸能祭での決意  趣味

ふれあい文化芸能祭での  
     新たな決意
 
 今月26日から2月2日までの8日間、 市内の4つの公民館で『第3回南あわじ市ふれあい文化芸能祭』が開催されています。 『盆栽』『書道』『絵画』『写真』『手工芸』の5部門の作品が、 4つの会場に分かれて期間中展示されていて、 『芸能』部門は、 昨日30日、 三原公民館大ホールで、 子どもから高齢者まで様々なジャンルの芸能を41種目発表されました。

 『もう・・・』ではなく『まだ・・・』 

 私も議長の代理で出席し、 祝辞を述べさせていただいたのですが、 その前に1時間ばかり演技を観賞させていただきました。 いつも感心させられるのが、 高齢者の日本舞踊や詩吟です。 後期高齢者と思しき方々が上品に舞い、 吟じます。

 ( 実は今日の午後、緑庁舎で、 市の社会福祉協議会関係の会合に出席していたのですが、 その席で一人のメンバーの話に啓発されました。 『私は 「もう○○歳だから・・・」と思わないようにしている。 「まだ△△歳だから」と思うんです。 まだ75歳だから、 これなら挑戦出来る! と自分に言い聞かせるんです。』と。 )

 舞台で演じている後期高齢者の方々は、 正に『まだ』派の人たちなんでしょうね。 実に堂々として、 生き生きしています。 生活年齢に関係なく 『自分はまだ若い、 進化するんだ。』という信念のようなものをしっかり持ってないと、 あのような自信あふれる動作や声を出せないでしょう。

 『 ものは 考え様 』とはよく言ったものです。 『私はまだ65歳なんだよな。』・・・ 彼の顔を見ながら、 妙に若返ったような感じになりました。

 ピアノに再挑戦しよう!

 これまでも芸能祭を見るたびに『何か一つ、 あのように演じられるものがあったらな・・・』と思ってきました。 音楽関係で何か一つの楽器を奏でられるか、 人並みに歌えたら・・・と いつも思うのですが、 詩吟はどうも・・・、 かと言っていまさらギターやバイオリン等の弦楽器もダメ、 和太鼓は体力的に無理・・・。

 やはり『ピアノ』にもどってきました。 去年だったか、 練習を再開したのですが、 以前得意としていた私の数少ない『レパートリー』の曲が全然弾けなくなっているのに愕然・・・。 それで挫折してしまったのですが、 『もっとゆったりやろう。 初心者として1から始めたらいいんだ。』と思い始めたのです。

 新任教師の頃、 私は全くの独学で『バイエル』90番までクリアしました。 26歳の男が『0』からスタートして我流で練習して『ものにした90番』! 私は今も『よくやった!』と誇りにしているのですが、 その練習中、 『中学生のピアノ小品集』という作品も並行して練習していました。 『埴生の宿』『アンニローロー』『ふるさと』『浜辺の歌』など、 10曲位楽譜を見ながら弾けるようになっていました。

 40歳代までは弾けてたんですが、 今はもうダメです。

 『バイエル1番から少しずつ練習していこう』というのが、 今の新たな決意です。
明日は2月1日。 切りはよし! 一か月後どうなっているか・・・。

 64歳からの敗者復活戦! 無理をせず、 いらいらせず、 楽しんで練習していこうと思います。 『浜辺の歌』『埴生の宿』『ふるさと』・・・二人の子どもたちはよく聞いたと思います。 いつかまた、 母さんといっしょに聞いてもらいましょう。
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2011/1/12

青木光一さんにビッゥリ!  趣味

 青木光一さんにビックリ!

 一昨日の夕方、 大相撲が終わった後のNHK・BSテレビ『ライブ・ステージ』という番組を何気なしに観ていました。 懐かしい水前寺清子さんが出てきて、 彼女がホステス役の歌番組だと分かりました。

 85歳で1時間のショー 

 彼女の紹介で舞台に登場したのは、 何と『青木光一』さん。 もちろん若い世代の人たちは名前すら御存じない方が多いでしょう。 私自身ですら、(彼には失礼ですが)『まだ元気だったのか・・・』と目を瞠ったくらいですから。

 何と、 それから1時間、 85歳になっている彼は、 歌って話して・・・トークショーをこなしたのです。

 司会の水前寺清子さんも、 昔から司会もうまかったですが、 この日も青木さんから上手に話を引き出して、 聞く者を楽しませてくれました。

 青木さん、 85歳にもなると、 地を隠さないのがいいですね。 耳が遠くなっているらしく、 何回か水前寺さんの質問に『ええッ?』と耳をそばだてていましたし、 歌い終わるや、 ハンカチを取り出し、 『よだれが出てきちゃった』と口の周りをぬぐったり・・・ それでもしっかりしてますねえ。 声の張りも素晴らしかったし、 姿勢もよかった(失礼)です。 その前日に『釣りバカ日記』の最終編を観て、 三国連太郎さんの姿を見ていたから。 よく似た年だと思いますが、 青木さんの方がシャキッとしてますね。

 4年間シベリアで抑留生活

 この青木さん、 日本が戦争に負けた1945年は20歳で、 満州の軍隊にいたそうで、 それから4年間、 シベリアで抑留生活を余儀なくされました。 当時を振り返って青木さんは言います。 『最大の罪悪は戦争。 人生で一番素晴らしい時期は青春時代ですが、 私はこの時期をすべて戦争に使ってしまいました。』

 柿の木坂の家・・・

 昭和25年にデビューした青木さん。 私は4歳でしたが、 息の長い歌手だったんですね、 私も小学生時分から彼のことを知っていました。 『小島通いの郵便船』、 『山小屋のともしび』はよく耳に残っています。 特に後者は、 いっしょに観ていたカミさんが『この歌、 春日八郎と思っていたけど・・・』と言う位、 大ヒットしたんでしょう。

 一番私に馴染み深かった歌は『柿の木坂の家』。 かなり大きくなってからはやった歌なんでしょうか、 『山小屋のともしび』同様、 いっしょに口ずさむことが出来ます。 


 カミさんの両親も86歳と85歳。 二人を見ていると、 青木光一さんがいかに若々しいか分かります。 若い時の人気歌手で、 40歳過ぎて出てきて歌を聞いたら、 全く声が出ずがっかりさせられる人もいるのに、 彼の声量といい、 高音部の発声といい、 日常的に努力されているのでしょう。

 水前寺さんの力もあるのでしょうが、 実に親近感が持て、 心温まる番組でした。

 
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