2005/11/28

「道」  公演情報

インターネットの普及で世界中の最新ニュースがすぐに検索できたり、沢山の曲をダウンロードしてアイポッドに入れて持ち運べるようになったり、ブログだって携帯電話から更新できるのだから、本当に便利な世の中になったし、ここ10年程の間の変化はとても大きいと思います。
戦後の高度経済成長に加えて、住居も木造で台風や地震にも晒されてきた日本には、昔から一年の厄や禍なども水に流すという感覚が根底にあることもあってか、古いものより新しいもの好きというところもあるかもしれません。灼熱の砂漠で水を求めて争ったり、堅牢な石造の家にアンティークに囲まれて何世代も住むような文化とは異なり、四季に恵まれ、空気や水も当たり前にように手に入った時代も長かったですから物を使い捨てにすることへの抵抗感というものがあまりないのかもしれません。でもどんどん便利な新製品が出てきて購買意欲を煽られたり、流行追求することと、自分の個性やスタイルを持つということが両立しにくい時代だから、何だか人間や都市が疲弊しているかなと思うこともあります。でも江戸時代に戻るわけにはいかないから、私たちはこの平成の時代をどうポジティブに生きられるかを考えてゆかなければならないわけですがそれがなかなか難しい。
私たちの平均寿命は信じられないほど延びたのに、なんだか皆、急ぎ足で、ミヒャエル・エンデの「モモ」に出てくる、時間どろぼうの「灰色の男たち」に追われているように忙しい。自分の日常も含めて、確かに私たちの時間の尺度がどんどん早まっているように感じます。だから時々、そうでないモノサシがあることを忘れてしまいそうになる。
そんな時に想うのは、1883年にスペインのカタルニア人である建築家アントニ・ガウディが取り掛かり、ライフワークとし、いまもなお建築途中であるバルセロナのサクラダ・ファミリア教会。1926年にミサに向かう途中路面電車に轢かれて亡くなったガウディの遺志をその後も弟子たちが建築を引き継ぎ、完成予定はなんと2026年頃だそうです。またイタリアのルネッサンス時代の壁画を修復している人たちも気の遠くなるような長いタイムスパンでの仕事をしていますが、自分たちが生きている間に何かを完成しようなどというせっかちさとは程遠い時間軸を生きているんだなぁと思います。今を大切に生きるということと、刹那主義になることとは自ずと異なることをそうした文化の担い手たちは無意識に知っているのでしょう。
日本の建築家でも、以前、都市を語る雑誌で、黒川紀章さんがイタリアで街づくりをした時の話をなさっていて、アブルッツィ州の街づくりで、とにかく世界一のプランを考えてほしいと依頼されて15年計画位の計画を議会で説明したら、市長が「それは素晴らしい。ぜひ来年から実行したい。けれど予算が足りないので125年計画で行おう」と言ったそうです。何か大事業があると自分の任期中にとにかく完成させたいという自治体の長が多いという日本とは随分違っていて、文化によって時間のモノサシが違うことを痛感したという話がとても面白かった。
さらに都市というものは、頭で考えただけの論理やヨーロッパに似せた合理性だけでは栄えたり、住みやすかったりしないし、歴史的に見ても東洋の都市には広場というものがなかったのだから、日本の都市にも広場はそぐわない。必ず街の中心に広場があって、そこから遠近法のように都市が見渡せる西欧の街と違った中心のない文化の中で発展してきたのだから、日本の街にリズムをつくるには無理に広場をつくるのではなく、広場の役割を果たしてきた絵巻物のような〈道〉という空間を大切にする方がよいのだということをおっしゃっていました。
劇場という建物ひとつにしても立派な外観であっても、いざ使う段になると照明機構や舞台の奥行きが足りないとか、階段が長くてお客様には大変だとか、いろいろな事が後からわかる場合もありますしね。
世界にはいろいろなモノサシがある。それは変化し続けてゆくけれど、そのことを知った上で自分たちのモノサシを持つことが必要とされる時代が来ているのだと感じています。
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