2010/7/30

実相寺監督のこと  文化・芸術

コメントでお問合せ頂いた実相寺監督については、エピソードと言っても、なんだかどうもひとことではお話できそうにありません。映画監督としての世界を俯瞰する鋭い視点と真贋を見分ける目、そして興味を持ったものに対して深く潜入する純粋な心を持った方でした。
いまもどこかの路地裏からひょいと顔を覗かせて、「こっちこっち」と声が聞こえてくるような錯覚に襲われることがあります。
出会いは私が帰国したばかりの「ヴォツェック」や「エレクトラ」の仕事でご一緒したのが最初でしたが、その後も意気投合し、オペラについていろいろな構想を話し合ったり「多田羅さんは、役によって七変化するから、映画の乱歩作品やウルトラマンの隊長にきっといい」などと飄飄とした笑顔で言われたことなども懐かしく思い出します。たくさんの引き出しをもったけれど教養をひけらかすことのない粋で素敵な人でした。
もう一度、一献傾けることができたらなぁ
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来月にはまた実相寺演出『魔笛』の稽古が始まりますが、監督が亡くなって3年以上が過ぎたとはなんだか実感できません。

モーツァルト『魔笛』
http://www.nikikai.net/lineup/mateki2010/index.html
歌唱は字幕付原語(ドイツ語)、台詞は日本語上演
日本語原台詞: 実相寺昭雄
新国立劇場 オペラパレス
2010年9月9日(木)18:30 11日(土)15:00

追悼 実相寺昭雄 Akio Jissouji 
2006年12月2日。実相寺家菩提寺「麟祥院」(東京都文京区)で監督のご遺体へお別れした私は、弔間の参列者の人いきれを離れて大通りに出た。先程まで私の近くで目頭を拭っていらした小澤征爾さんが、車を拾おうとして私と目が合うと、「昨日の通夜ではね、監督と一緒にやった『ヴォツェック』の舞台を思いだしていてね。君の顔も思い浮かべていたところだったんだよ」と懐かしそうにおっしゃった。
誰にも人生のなかで忘れられない瞬間がある。その前日の12月-日、実相寺監督が演出をするはずだったハイドンのオペラ「月の世界」の演奏を聴き終え、白い秋の月を眺めながら、私も、あの21年前の舞台を回想していた。

私と実相寺監督との出会いは、1985年の新日フィルのオペラ・コンチェルタンテ形式によるベルクの「ヴォツェック」。指揮が小澤征爾さん、演出がウルトラマン、ウルトラセブンで一世を風靡し、映画や音楽番組の世界でも活躍しておられた実相寺監督だった。これが初めてのオペラ演出だとおっしゃっていた。私は10年ばかりの在外生活を経て、ドイツから帰国したばかりだったが、そのヴォツェック役を歌う機会に恵まれた。
コンサートホールでオペラを上演するときは、歌手達が舞台上に並べられた譜面台の前に立ち、楽譜を見ながら歌うのが普通だった。その常識を破り、オペラ上演には向かないはずのコンサートホールの悪条件を逆手に取った、オペラ上演の新しい可能性を引き出すオペラ・コンチェルタンテを日本に定着させたのは、小澤さんと実相寺監督で、この強力コンビが実質的に草分けであったと言っていい。特に実相寺監督の「ヴォツェック」の舞台装置は、レールの上に乗った山台が歌手たちの演技空間となり、それがオーケストラの頭上で前後に移動するというもので、前代未聞のすごいアイデアだった。

「ブラボー」の嵐の中で、舞台と客席の垣根がひとつ取り払われた手応えを実感しながら、私は2人のマエストロの懐を借りて、存分に演奏出来たことに深い安堵を覚えていた。
その後も同じ新日フィル小澤による『カルミナ・ブラーナ」舞台上演でも監督はその手腕を大いに発揮され、オペラとオラトリオ両方で高い評価をうけた。
私の勤務する大学に教授としてお迎えする時も、大学の奏楽堂というコンサート専門ホールを使ったオペラやオラトリオの舞台上演に、監督の才能を発揮して頂きたいという思いがあった。その奏楽堂のこけら落としで、監督の演出による「魔笛」上演も日本演奏史に残る斬新な舞台であった。
監督は「演出コンセプトを何も考えていないのが、私のコンセプトだ」などと歌役者をだまして油断させるが、どっこい大人の美学と遊び心を失わず、スペクタクルの独自な世界を着実に創出し、夢を実現してゆく慧眼の持ち主だった。聴衆には媚びないがサービス精神旺盛で、その視点の柔軟さにいつも目から鱗が落ちる思いだった。
元来、外交官試験に合格しておきながらアフリカ勤務になっては好きなことも出来ないと、あっさり辞めてテレビ局にはいってしまったような潔い人だった。思い出は尽きない。本当に残念でならない。

実相寺昭雄 Akio Jissouji
演出家 享年69歳
1937年、東京生まれ。中国・青島で育つ。早稲田大学卒業後、TBSテレビ(当時・ラジオ東京)入社。テレビ演出部でドラマ、音楽番組を演出した後、映画部に移り、円谷プロに出向、「ウルトラマン」「ウルトラセブン」などを監督する。79年、ATGと提携した映画『無常』を自主制作したのを機に、フリーに。「帝都物語」など映画以外にも、舞台、題字、コンサート演出、執筆と多才さを発揮した。舞台美術家の金森馨の薫陶を受け、オペラなどクラシックの分野でも活躍した。主な演出作として「ヴオツェック」「カルミナヴラーナ」「兵士の物語」「狂ってゆくレンツ」など。2000年2月の「魔笛」はスペクタクルな演出で評判を呼び、05年に再演、07年7月にも東京二期会で演出することになっていた。映画監督協会会員。日本文芸家協会会員。東京藝術大学名誉教授。11月29日、胃がんのため東京都文京区の病院で死去。

初出 モーストリークラシックVol117(2007年2月号)
 
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2010/7/24

シューマン生誕200年  音楽

ついこの間、シューマン没後150年だったと思ったら、2010年は生誕200年であちこちでシューマンの特集が組まれている。
私のところにもエッセイの依頼などいただいたので、思い出して前に書いた原稿をひっぱりだしてみた。

都会の杜で思う  シューマンの歌曲集を聴きながら 
草木枝葉繁(しげ)る五月、江戸川乱歩や森鴎外が暮らした千駄木の団子坂を自転車で駆け抜ける。この町には坂が多い。何しろ文京区だけで百以上の坂があり、東京の坂の三分の一が集まっていてその名の由来を知るのも楽しい。今朝は少し足を延ばして十数年ぶりに神田明神を訪れた。社殿の修復・塗り替えで見違えるようになった緑濃い境内の東の崖(がけ)から、眼下に見下ろせるのは銭形平次が住んでいたことになっている神田明神下だ。そ景観も整備されだいぶ変わったような気がする。街から路地裏が減った分、人は寄り避をすることも少なくなった。現代の日本人の心は、鎮守の杜(もり)や道祖神を身近に感じていた時代の人たちの心よりもずっと疲弊しているのではないかと思う。そんなことを考えながら、シューマンの歌曲集《リーダー・クライス(作品39)》を聴いていた。
ローベルト・シューマンはドイツロマン派の作曲家で、今年は生誕200年。シューマンは師の娘クララとの試練に満ちた長い恋がやっと結実することになる1840年(29歳)から翌年にかけて、140曲以上もの優れた歌曲を作曲しており、ハイネの詩による歌曲集《詩人の恋》などが特に有名だが、それらの歌曲の中でことさら私が親愛の惰を感じるのが、アイヒェンドルフの詩によるリーダー・クライス(作品39)だ。この歌曲集には、起承転結のストーリーがあるわけではないのだが、人間の心の奥深い襞(ひだ)に踏み入るようなドイツの奥深い森や自然が描かれている。特に第3曲の「森の対話」では、若者が森の中で美女に出会い、対話をするが、彼女は森の妖精(ようせい)の女王ローレライ(ライン川を通る船を美しい歌声で魅了して沈める魔女としても知られる)だったというもので、若者がもはや夜更けの森から抜け出ることができない様が耽美(たんび)に表現されている。
 ドイツの民謡には森や妖精がたくさん登場し、音楽にも多くの影響を与えている。ヴェーバー!の《魔弾の射手》にも、狼谷に棲(す)む悪魔ザミエルの助けを借りて百発百中の魔弾を鋳造する場面や、森の隠者が悪魔から恋人たちを護(まも)る話が出てくるし、またライン地方出身の作曲家フンパーディンクは、グリム童話を素にしたオペラ《ヘンゼルとグレーテル》に豊饒(ほうじょう)な音楽を与えたが、森の中で迷子になった兄妹に眠りの精や露の精そして12人の天使たちが訪れる場面の曲はすこぶる美しい。
私自身、ドイツオペラに親しみドイツに長く住んだことや、声種がテノールよりも陰影のある音色のバリトンであることも影響してか、イメージとしての森にどこか郷愁を覚えるのかもしれない。暗くて深い森に迷い込むと、逃れることのできない深さのなかで人は森を畏(おそ)れ、そして森を敬う。音楽は、歴史や文化や社会や民族の記憶とともに目にみえない世界、そして人間の心の深層へと繋(つな)がっている。
シューマンの静謐(せいひつ)な情感に溢(あふ)れる音楽の杜は、私たちが近代社会の利便性と引き換えに置き忘れてきたものが何だったかを思い出させてくれるようだ。
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タグ: シューマン

2010/7/24

大暑の候  公演情報

初夏から7月にかけてジャスミンのようなふくよかな甘い香りの白い花をつけるクチナシ(梔子)。
先だって艶やかな新芽がたくさん出てきたと思ったら、あれよあれよという間にはらぺこ青虫のやからに新芽ばかりをかじられてしまいました。どうやらオオスカシバに卵を産み付けられていたらしい。それでかなり新芽を摘まなければならなくなってしまい残念。
クチナシにはこの蛾が来ますが、アゲハチョウは蜜柑の葉や山椒の葉を好んで食べるそうで、昆虫の種類によって食べる葉の種類も違っているのは不思議ですけれどね。どうやって好きな植物の種類を選ぶのかと不思議に思う。
クチナシには「とてもうれしい」とか「とても幸せ」という花言葉があると教えてくれた人がいましたが、暑さや害虫に負けずに育ってほしいもものだと思います。皆様も大暑の候、ご自愛ください。クリックすると元のサイズで表示します
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