2010/9/28

中山悌一先生の思い出  文化・芸術

9月29日は中山悌一先生の一周忌です。
素晴しい声のバリトン、そしてわが国オペラ界を支えた素晴しい総監督でした。
急に秋めいて雨の日が続く中、いろいろなことを思い出しました。
このところ、90歳のマエストロ、ヘルムート・ヴィンシャーマン氏の
「マタイ受難曲」の稽古、オペラ研修所の試演会、そして10月2日の
追悼コンサートを控え、なんだか慌しくしておりました。
30日のトリフォニーも10月2日の津田ホールも、、もうすっかりチケッ
トも売切れとか…
今年の夏は記録的な暑さでしたが、いつお会いしても本当に溌剌と
若々しい近藤政伸さんが、突然体調を崩したとのこと。
心配ですが、一日もはやい回復を願っています。
http://www.nikikai21.net/concert/golden30_sp.html

中山悌一先生の思い出
渡欧の前、私が演奏の方向について迷っているとき「タタラ、人間はな、やらねばならないと思う事をやるのではなく、自分が本当にやりたいと思う事をやるのが幸せなんだよ。」とおっしゃって下さって、それが心の中にすとんと落ちてゆき、迷いが消えたのでした。先生のこの言葉がなければ、きっと今の私はなかったでしょう。
また、帰国した後のことですが「冬の旅」や「詩人の恋」の指導をして頂いていた頃、小澤征爾さん指揮『さまよえるオランダ人』に出演する際に「期限は満ちた」のオランダ人のアリアを持って伺った時のことです。このアリアは演奏時間が12分以上もかかる長大な難曲で、歌うのも大変ですが伴奏するのも専門のピアニストでさえ骨の折れる曲なのです。「これを弾くのは何年ぶりかなあ。少し待っていろよ」と先生はおっしゃって、楽譜をじっと目で追っていらっしゃいました。そうしてレッスン室に静寂の中にもページをめくる音だけが聞こえる時間が3分を過ぎようとした頃、私は伴奏者を同伴しなかった事を悔やんでいました。「よーし、では始めよう」とおっしゃって先生がピアノを弾き始められた時オーケストラを彷彿とさせる、えもいわれぬ素晴らしい音色と音楽がそこにありました。アリアの最期まで一度のミスもない完璧なピアノ演奏でした。私は歌いながらその伴奏の音楽の素晴らしさに身体が震えるのを止めることが出来ませんでした。先生は歌手として超一流なだけではなく、ピアノの名手として、いや、音楽家として超一流な方でありました。

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この写真は二期会40周年記念『フィガロの結婚』1990年秋の稽古場での風景。すごく貴重な写真です。
中山先生がPianoに肘をついてにこやかに見守っていらっしゃり、
私も近藤伸政さんも痩せていて若い!近藤さんの右隣はケルビーノの青山智英子さんですね。
そして騎士のように胸に手を当てながら、演出について話してくださっているのが栗山昌良先生です。
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タグ: 想い出

2010/9/23

シューマン生誕200年に想う  文化・芸術

 ローベルト・シューマンの作品中おそらく最も一般に知られたメロディーは、ピアノ曲《子供の情景Op.15》の中の「トロイメライ」(夢想に耽ること)のそれでしょう。またそれは私生活の上でクラーラとの愛と結婚と、「歌の年」という創造につながる作曲家へのポジティブ・イメージになります。それと同時に、晩年に精神に破綻をきたしライン河へ飛び込んでの自殺未遂、その二年後に46歳にして療養所で逝去したというネガティブ・イメージ。この二つの先入観によって、特に晩年の彼の作品群に対して正当な評価が妨げられてきました。
 しかしシューマン没後150周年を迎えた2006年、そして今年シューマン生誕200周年の2010年を待つまでもなく、既に1960年頃には国際的にシューマンの作品の再評価が静かに、かつ確実に進んでいました。それによって従来あまり光を当てられることの少なかったシューマンの多くの大規模な声楽作品が、演奏会で取り上げられたり、録音されたりして世に紹介されるようになってきたことは、シューマンの素晴らしい声楽作品を愛する筆者にとって大変に嬉しい事です。
  その対象となった作品群をここに列挙してみましょう。
@ Th.ムーアの韻文物語「ララ・ルーク」による《楽園とペーリOp.50》。オラトリオの歴史上、転換軸を打ち立てた。
A 彼が完成させた唯一のオペラ《ゲノフェーファOp.81》。
B ゲーテの「ヴィルヘルム・マイスターの修業時代」から《ミニョンのためのレクイエムOp.98b》。
C M.ホルンの詩によるオラトリオ《ばらの巡礼Op.112》。
D L.ウーラントの詩による詩物語《歌手の呪いOp.139》。
E E.ガイベルの詩による詩物語《小姓達と王女にOp.140》
F ラテン語ミサ通常文による《レクイエム ニ長調Op.148》。
G W.ゲーテの《ファウストからの情景WoO.3》。シューマンの総合芸術作品とも呼ぶべき作品。
  今秋、東京藝術大学ではシューマン・イヤーを記念して、@《楽園とペーリ》を上演します。シューマンは「このオラトリオは祈りの会堂のためではなく、朗らかな人々のためのものです」と書簡に述べている様に、コンサートホールでの演奏を念頭に置いています。(印刷出版に際しては既成概念を避けるためにオラトリオの文字を外しました。)。
  ペルシャの王女ララ・ルークが嫁ぎ先のカシミールへ旅をする道中に随伴者から聞く詩物語のひとつがペーリの話。人生充実期のシューマンが、〈夏の名残のバラ(庭の千草)〉の美しい原詩でも知られるアイルランドの詩人、トーマス・ムーアの韻文物語にインスピレーションを得た、瑞々しい作品です。
  ペーリは花の香りを糧とする大気の妖精で、罪を犯してエデンの園を追われたのですが、天の赦しを得るための贈り物を探す長い試練を経て再び楽園に迎え入れられるまでが、透明感ある東洋的色彩豊かな作品として仕上がっています。天が受け入れた贈り物とは、悪徳の限りを尽くした罪人が、幼い天使のような無垢な子供の祈る姿に、かつては無垢な魂を持っていたはずの遠い日の自分を思い出して流した「悔恨の涙」でした。
  無垢な魂へ想いをめぐらすこと、それは他者への想いやりを失いつつある我々現代人にも通じるテーマに思えるのです。(たたら みちお)
2010年9月15日初出原稿

二期会ゴールデンコンサート 2010年10月2日(土)16:00開演 津田ホール
少しだけ試聴ができます


藝大《楽園とペリ》2010年11月19日(金)19:00開演

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2010/9/8

『魔笛』明日開幕  音楽

 いよいよ明日はモーツァルト『魔笛』初日です。
私は実相寺演出では、パパゲーノと今回の弁者(Sprecher)も何度も演じてきましたが、一幕の後半、王子タミーノがザラストロの城に着き、その扉を叩いて、弁者と出会うシーンでは
モーツァルトの音楽の荘厳な美しさに毎回身が引き締まる思いがします。
実相寺演出では高い階段があって、私はそこから降りてきてタミーノと問答するのですが、その舞台空間の使い方も監督ならではの精緻な緊迫感がありますね。

今月は30日に日本語訳でバッハ「マタイ受難曲」のイエスも歌うので、その日本語訳詞についてもこのところ納得がゆくまで何度も推敲して考えながら、やはり「マタイ」のイエスと『魔笛』の弁者には相通じるイメージがあるなぁと思っていたところです。

以前、2000年の頃にも実相寺監督と『魔笛』についていろいろ話していて、監督の考える弁者のイメージというものは、プロトタイプの教義を説く一面的な聖人然としている者ではなく、やはり『マタイ』のイエスのように、心の中に感じたことや揺らぎさえも自然と滲み出てくるような、血の通った人間らしさを持った立体感のある存在と言う風にとらえているのではと想像していました。

『魔笛』の初演は1791年9月、モーツァルトはその初演の2 ヶ月後に世を去ってしまいましたが、モーツァルトが遺してくれた天衣無縫なこの素晴しい作品を演奏できる幸せを感じています。
そして装置や衣裳の変遷はあるにせよ、この作品を風化させない実相寺演出に流れるバックボーンの確かな支えによって、またこのオペラに新しい生命が吹き込まれてゆくのでしょう。

東京二期会『魔笛』 オペラ全2幕
公演|2010年9月9日(木)18:30、10日(金)18:30、11日(土)15:00、12日(日)14:00
会場:新国立劇場 オペラパレス(初台)
指揮:テオドール・グシュルバウアー(Theodor Guschlbauer)読売日本交響楽団

http://www.nikikai21.net/blog/ 
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