2011/11/30

2011年11月末 心より・・  心と体

もうすぐ12月。その後いかがお過ごしでしょうか。
予期せぬ震災に日本という国が揺らいだ2011年。
今年はやはり何か特別な想いがあります。
皆様の心に平安がありますように。

下記の文章は、2011年12月1日に創刊70周年を迎える「音楽の友」特集号の為に書いた原稿です。

あなたにとって《第九》を歌うということは、どのような意味がありますか? 
◆シラーの「歓喜の歌」のメッセージが現代においても、なお普遍性を失っていないことに驚きと感慨を禁じ得ません。そしてその詩に共感して、この交響曲の第4楽章に声楽を伴った楽章としての構想を実現させた、ベートーベンの強い表現力に溢れた素晴らしい音楽に、一人の演奏者として参加出来ることの喜びを噛みしめながら歌っています。
 
《第九》に関する思い出深いエピソードがありましたら教えてください
◆その《第九・特別演奏会》が行われたのは、目白の「東京カテドラル教会」という祈りの場でという、珍しい事例でした。
1986年12月28日の雪の降りしきる日、小澤征爾指揮、新日フィル、晋友会合唱団の皆さんと、私を含めたソリスト陣が祭壇の一部に設えられたステージに座っての演奏が順調に進み、第3楽章が後半に差し掛かった時、天井の明かりが点滅を繰り返したかと思うと、突然全ての照明が消えてしまったのです。楽員の皆さんは譜面灯が消えたにもかかわらず、記憶を頼りに演奏を続け、小澤先生も薄暗い中で指揮を続けて、第3楽章の終りまで辿り着きました。薄暗い客席からは賛嘆の拍手。カテドラル修道士の方々が何本かの蝋燭を客席とステージに運んで下さって、辺りは幻想的な雰囲気に包まれましたが、譜面灯の代わりとなるほどの十分な光量にはならず、第4楽章を前にそのままの状態で電源の復帰を待つことになりました。当時、東京カテドラル教会では自家発電をしていて、停電の原因は大雪の仕業ではないかとの情報でした。待つこと5、6分、電源が復帰して灯りが揺らめきつつ復活すると、客席には歓声が響き渡り、雷のような拍手が沸き起こりました。それは混沌の暗闇から「光あれ!」とお命じになった創造主の存在を想わせるかのようで、その後に「歓喜の歌」を歌い上げるのに相応しい神々しい瞬間でした。−「世の人々よ、創造主を予感しているか?」−その気持ちが演奏にも現れ、感動的な〈歓喜の歌〉となったのは言うまでもありません。誰もがそこに居合わせた事に心から感謝を捧げたくなるような貴重な体験でした。 
     多田羅 迪夫
 (初出 2011年11月18日 音楽の友)

■第26回 群馬交響楽団 館林第九演奏会
 12月10日 (土)18時30分開演 館林市文化会館
指揮:手塚幸紀 管弦楽:群馬交響楽団 合唱:館林第九合唱団
http://homepage3.nifty.com/tatebayashi_daiku/page010.html
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■群馬交響楽団 前橋第九合唱団39周年演奏会
12月11日 (日)14時開演 ベイシア文化ホール
指揮:手塚幸紀 管弦楽:群馬交響楽団 合唱:前橋第九合唱団
http://www8.wind.ne.jp/maebashi-daiku/
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2011/11/27

ドン・ジョヴァンニ 雑感  文化・芸術

雑誌「音楽の友」が2011年12月1日「創刊70周年」を迎えるそうで、12月号に特別付録として創刊号(抄)の復刻版がついていました。日本の音楽界の歴史をあらためて感じます。
私も「第九」についてのエピソードを依頼され、短い文章を書きました。

来年は二期会も60周年、今月は日生劇場で『ドン・ジョヴァンニ』の公演が行われています。
2005年『フィレンツェの悲劇』『ジャンニ・スキッキ』で初来日したカロリーネ・グルーバー演出ですが、今回はライン・ドイツ・オペラ(Deutsche Oper am Rhein)との共同制作で日本公演が先の新制作です。
日生劇場という東京文化会館より1000席ほど少ない1300人ほどの座席数の劇場なので、モーツァルトオペラを聴くにはちょうど良く、出演者たちも余裕を持って声の濃淡にめりはりを聴かせるなど、きめ細やかな演奏が出来ますし、指揮の沼尻竜典さんと東京モーツァルトプレイヤーズの連携も洗練された密度の濃い音を響かせています。
アンナ、エルヴィーラ、ツェルリーナなどの女性たちがステレオタイプでなく描かれているのは、やはり女性演出家ならではの新鮮さですし、ドン・ジョヴァンニが時空を越えたような存在として登場すること、騎士長が終幕で別の存在(キリスト教世界における権威)として現れるなど、地獄落ちとは異なる結末と観終わった後のすっきりとした印象に、カロリーネさんの演出家としての進化を感じました。いつか国外でも日欧混合キャストで出来るとよいですね。
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また、今回はマゼットも素朴な村の青年ということではなく現代風に描かれていました。
バリトン歌手にとっては、マゼット、レポレッロ、ドン・ジョヴァンニを順次演じてゆくということも多く、私も若い頃はドイツでマゼットを最初に歌いました。演じる役の目線が変わる事によってオペラがより立体的に見えてくることもあります。女声のアンナとエルヴィーラのような一見両極端のような役を両方レパートリーにする場合もあります。今回の演出ではアンナは深窓の令嬢という先入観を払拭する大熱演でしたが。

それから、ご質問を頂きましたが、ドン・オッターヴィオのアリアは2幕のIl mio tesoro(私の大切な人を)のみです。一幕のアリアはウィーンの再演時に追加されたものなのです。オッターヴィオもそうですが、今回は声質違うそれぞれのキャストたちが、一人の変更もなくそれぞれの持ち味を充分発揮しているのは嬉しい限りです。今日は最終日、そしてびわ湖公演もありますが、スタッフ・キャストの皆さんに心からの拍手を贈りたいと思います。

http://www.nikikai.net/lineup/don_giovanni2011/ 公演情報
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2011/11/8

バスのための3つの曲  音楽

11月になり紅葉が色づきはじめました。雨あがりには銀杏の実の匂いに秋の深まりを感じます。
6日(日)に私が歌ったのはこんな曲でした。
甘い恋の歌が多いイタリア歌曲の中でも珍しい内容です。

あの「マドンナの宝石」の美しいメロディで知られ、ヴェネツィアに生まれたヴォルフ=フェラーリは、一体どんな想いに駆られてこの激しい絶望的な歌詞に作曲したのでしょうか。
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III. Ermanno Wolf-Ferrari (1876-1948)
Tre canti per basso

III.エルマンノ・ヴォルフ=フェッラーリ
≪バスのための3つの歌≫

1.
Ero nel mezzo al mare e mi fu ditto
che la mia dama s’era maritata.             
Sollevai gli occhi al cielo e dissi: Cristo!
Non posso sopportar questa imbasciata.
Sollevai gli occhi al ciel, dissi: Oh, Signore!
Non posso sopportar tanto dolore!

1.
俺は沖に出ていた時、こう告げられたんだ、
俺の意中の女が、結婚してしまったのだと。
俺は天を仰いでこう言った、「キリスト様よ!
こんな音信には耐えられません」。
天を仰いで俺はこうも言った、「おお、主よ!
これほどの悲しみには耐えられません」。


2. 
La casa del mio amor vada ’n profondo,    
un lago d’acqua possa diventare!
Dentro ci piova coccole di piombo,
ed un serpente ci vada alloggiare.
Ed un serpente molto avvelenito
veleni lo mio amor che mi ha tradito:
ed un serpente molto avvelenato
veleni lo mio amor che m’ha lasciato.

2.
俺の恋人の家なんか底深く沈んじまえばいい、
そこに水が貯まって湖にでもなればいいんだ!
その中に、鉛の礫が雨あられと降ればいい、
蛇一匹が、そこを住み家にしてくれりゃいいんだ。
猛毒の蛇が、俺の恋人に毒を盛ってくれりゃいい、
あの女はこの俺を、裏切ったんだ。
猛毒の蛇が、俺の恋人に毒を盛ってくれりゃいい、
あの女はこの俺を、棄てたんだ。


3.
Non posso più di notte camminare,
ché m’è contradio il lume della luna;
non posso più la gente praticare,
ché non ci trovo fedeltà nessuna.
Non posso praticar più colla gente,
ché non ci trovo fedeltà di niente.

3.
俺は、もはや夜中には出歩けないのだ、
何故なら、月明かりが俺に背くから。
俺は、もはや誰とも付き合えないのだ、
何故なら、誠実さを誰にも見つけられないから。
俺は、もはや誰とも交際できないのだ、
何故なら、誠実さを何ひとつ見つけられないから。
 (対訳 多田羅迪夫)

またErmanno Wolf-Ferrariの作品には、オペラとして《Il Canpiello》イル・カンピエッロがあり、藝大オペラ定期演奏会で昨年秋に上演したばかりです。ヴェネツィア方言で歌われるオペラなので上演の機会は多くは無いのですが、ヴェネツィアの広場で繰り広げられる、市井の人々の中に貴族の男性がやって来て、ある娘に求婚する事になったために広場の周りに済む住人達が繰り広げるてんやわんやの騒動が生き生きとした音楽と、しっとりとした美しいメロディー満載の喜劇に描かれています。
「マドンナの宝石」は悲劇のオペラですが上演回数はもっと少ないこもしれません。序曲はとても有名なので、きっと皆さんもどこかで耳にされたことがおありではないでしょうか。
もっといろいろ知りたくなる魅力的な作曲家の一人ですね
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