住まいへの匠へどういう住まいを伝えられるでしょうか?移ろい行く人生における熟練者に寄り添う住まいとは、どういう住まいなのでしょうか?
「安心できる住まい」。
防犯ガラス、耐震構造などが「安心できる住まい」につながるでしょう。安心を感じる対象は犯罪や地震や火災になり、家はそれら守るべき財産です。ただ、ここまで何度も述べてきたようにシステムや構造が家族のあいだの安心の想いを満たしてくれるかどうかは疑問です。
居心地、という安心。
安心を感じる対象は家そのものです。不安を家の外にある何かから感じるのではありません。
住まい、暮らしする上で感じる、何とはない安心を住まいの匠へ伝えたいと想います。
「快適な住まい」
高気密・高断熱住宅、健康住宅、バリヤフリー住宅などに住むことが快適な住まいで暮らすことかもしれません。一定の温度で過ごす、健康な材料につつまれて過ごす、また段差のない住宅で過ごすのは快適な暮らしといえるでしょう。
これらの機能性は住まいをよりよくするために必要な要素です。ただこれらが備わる家を器として見てしまうと、住まい手の想いは置き去りにされたままになってしまうでしょう。
居心地という快適さ。
居心地には、空間からのアプローチも必要になっていきます。もちろん、機能的な空間や機能的な動線を確保する、ということではありません。住みやすい空間の演出といえばいいでしょうか?
では、お年寄りに必要な空間はどれほどのスペースでしょうか?
子どもが結婚して、二人だけの住まいになった場合、二階の子ども部屋が不要になった、階段を上がるのが億劫になった、一階だけで暮らしたい、という声をよく聞きます。
結局、工事では二階をそのままにして、一階のみをリフォームすることになります。二十年、三十年の時を経た家が老後に暮らしやすいとして有り様を構えたとき、その家は半身を削られた姿で建っていなければならないのです。解体はされませんが、その家は住まいとして住まいの匠が安心、快適に暮らせる家なのでしょうか?
二十年でつぶれなくても、たとえ五十年、百年住宅へ移行するまえの過渡期の建物であったとしても、半身がすでに家として解体された、といえば、いいすぎになるのでしょうか。その家はほんとうに老後の安心、快適な空間を提供できていますか。

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