5月12日分の日誌で、この「法令順守」条例案が、そもそも言葉の使い方からして法令に「遵守」していないことなど、条例が全く不十分な準備で進められたものであることを書きました。今日はその続きを書きます。
■約30年ぶりの「委員外発言」
27日は総務常任委員会でこの条例素案やパブリックコメントの説明。
僕らの会派は5月26日から所属常任委員会をみんなでチェンジしたので文京経済常任委員会に所属しました。で、通常なら異なる委員会の質疑に加われません。
でもどうしてもここでひとこと言いたい、ってことで、会議規則でも認められた「委員外発言」を駆使して質疑をお願いし、委員会に諮られ、議論の結果認められることに。
過日自治法109条を活用した「所管事務調査」を26年ぶりに実現させたことに続き、実に約30年ぶり!のことだそうです。会派ごとに委員会のメンバーを決めおり、メンバー以外の発言を可能にしてしまうこの権利の濫用は避けられなければなりませんが、そこはどうしても必要な場合、節度ある質疑ならば認められます。議員としては、やはり制度上可能な権限を駆使することに常に意識的であることも重要です。
許可に賛成していただいた総務常任委員会の方々にこの場をお借りしてあらためて御礼申し上げます。ありがとうございました。
■条例の問題点
ここで指摘したことは、以下のような点です。
この条例自体、もともと官製談合問題を契機にしており、その反省に基づいて、「内部告発制度」と「(不正な)働きかけ防止」(「要求行為」)を2大柱にしています。それは必要なことかもしれない。しかし、では、仮にこの条例があれば、これで「官製談合問題」を避けることができでしょうか?
新潟市の官製談合事件の本質は、個人の不適切な漏洩行為」や「議員や業界の働きかけ」だけではなく、「構造的問題」であった、と新潟市の調査委員会自身が強く、鋭く指弾しています。
そして、個人の予定価格漏洩だけでなく、談合を成立させる決定的要件である「指名業者の範囲」を市が組織的に事前に漏洩(開示・公表)してしまっていたことも、重大な問題であった、と調査委員会は指摘しています。
しかし市は、自ら設置した調査委員会が指摘しているこの問題を、単に「不適切だった」と述べるにとどまり、じゃあ一般論として「不適切」なのか、倫理上「不適切」だったのか、法的に考えて問題だったのか、全くわからない説明しかしていません。
談合事件の決定的要素であったこの問題が、では「法令遵守」の観点から見て問題があったのかなかったのか、あったとすればどこに問題があったのか、具体的にいまだに明確にされていないのです。
この「指名業者漏洩(開示・公表)」は、法の理念から言えばあきらかに問題となる制度であり、僕の問い合わせに対し公正取引委員会も「好ましくない」との見解を示しています。
しかし、ここで驚くべき事実も。
実は国の機関や県、他の多くの自治体でも同様に行なわれており、だからこそ市は長年にわたり「当然」のこととして続けていました。このような制度は、誰かが個人的に「漏洩」していたものでもないし、議員や業者が「働きかけ」て漏洩されたものではありません。だから誰も「問題だ」と思っていたわけではないのです。
このような、市の「制度」や「施策」自体が法令の精神からそもそも逸脱しているような場合、それは個人的になされていることではないので、「内部告発」や「働きかけ防止」を2大主軸とするこの条例ではほとんど対処できません。
つまり、「法令遵守の推進」と謳いながら、「告発」と「働きかけ防止」という「内向き・後ろ向き」な内容が主体となっており、法令精神や自治体業務の倫理精神を積極的に推進・実現し、市の施策や制度が法令・倫理にかなっているかチェックし改善するような積極的な要素が欠けている、と言うことができる、と思います。
談合事件を契機に作られているにもかかわらず、その事件の一方の決定的要素のひとつである問題について、法令遵守の視点から公式かつ客観的な判断・評価を下すことができないまま「法令遵守条例」が提案されており、したがってこの問題が制度的に避けられる実効性がないのです。この条例の存在意義も疑われます。
こういう側面を考えやすくするためにもうひとつ例を。
昨年マスコミをにぎわした事件で「法令遵守」の観点から見ても大きな問題だったものに、僕が本会議で明らかにした「
本町露店市場管理事務所がヤクザ事務所とつるんでいた!」事件があります。
あの事件でも、事務所の嘱託の職員(警察と消防出身!)2名が、自分たちの勝手な判断で、積極的にヤクザ事務所との協力関係をつくり、一般市民まで巻き添えにして恐ろしい目に遭わせたわけですが、これも「内部告発」(ふたりとも問題と思っていないので告発するはずがない)と「働きかけ防止」(むしろ事務所側の方から積極的にヤクザと関係を持ち、お伺いを立てているので、「働きかけ」ではない)では全く防止することができません。こういうことを考えると、市の考え方にも問題点や遺憾という感覚を通り越し、怒りさえ感じてきます。
結局、談合問題やヤクザ問題を「個々の不適切な行為の問題」としてしか受け止めれていない、組織的な構造や制度や政策的な問題として受け止めることができていない、と感じざるを得ません。
「推進条例」と謳いながら、「推進」するための指針も、推進体制も明確にされないまま、条例の大半は内部告発と働きかけ防止が主体。こういうのは「推進条例」とは言えない、と僕は思います。

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