昨日の新聞各紙にも載っていますが、県は国民保護計画の素案をまとめ、パブリックコメントを求めています。
それに先立ち、24日は平和センターらとともに県へ緊急申し入れ。
それにしても一昨日の県の協議会は悲惨でした。知事の質問にろくに答えられない部会長、およそ非現実的な想定、いまだ細部は何も決まっておらず、「あとはマニュアルで」の乱発。
基本的人権の尊重など当然のことを訴えるだけでなく、仮にこのような計画が必要であったとしても、現在の計画に決定的な欠落・問題点があることを、僕は指摘したいと思います。
明日、1月28日(土)13:30〜16:00総合生協本部会館 (新潟市新光町6-6)にて、国民保護計画を考える講演・シンポジウムが開催され、僕もパネラーとして発言予定です。
以下、そのシンポジウム資料に若干手を加えたもの。
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新潟県国民保護計画「第1編 総論」部分についての問題点
(特に重要な点のみ抜粋)
■第1章「計画作成の趣旨」について
まず、これまでの戦争や「有事」の歴史を踏まえ、有事の際、国家の利害と個人の生命・財産・人権を守ることとはしばしば矛盾することをあらためて認識・確認する必要がある。
<例えば、以下のような事例を注視>
◎第2次大戦中、ドイツ軍による空爆で大きな被害を受けたイギリスは、その後ドイツ軍の暗号機「エニグマ」の解読に成功した。しかし攻撃の場所・日時が判明しても、当時のチャーチル首相はイギリスの暗号解読能力を知られることを恐れ、その爆撃目標地の公表や市民の避難をおこなわなず、1941年、コントベリー(ロンドン近郊の町)は無防備のまま空襲を受け、壊滅的な被害を受けた。第2次大戦時、いわゆる民主主義陣営に属していたイギリスでも、国家の利益のために多くの市民が見殺しにされた。
◎日本では、太平洋戦争直前から気象情報さえも軍事情報とされ、その漏洩が罰則つきで禁止、天気図も秘密になり、新聞・ラジオ等から天気予報は全面的に消え去った。その結果、台風の位置・進路だけでなくその存在すら秘密にされ、終戦までの間に大きな被害をもたらした台風が5回襲来、地震も6回発生、これら情報が統制されていたためまともな避難や救援もままならず、死者・行方不明者7000名以上、破壊家屋約約54万戸、船舶約8000隻が犠牲になった。これらの犠牲全てが情報統制の結果によるものだと断言はできないものの、情報が公開されていれば犠牲者を減らせたことは間違いない。
◎沖縄戦で軍隊の利益のため多くの住民が犠牲になったこともよく知られるようになった事実。
◎大戦末期、新潟への原子爆弾投下計画の存在が明らかになった(投下指令書も現存)が、内務省は新潟市民の疎開に反対した(にもかかわらず、当時の県・市は国の意向に逆らって、8月10日から疎開を決定)。
これら歴史的事実から、そもそも「国家の利益」と「国民ひとりひとりの安全」が必ずしも一致しないということが、まずあらためて確認されなければならない。
県の協議会の議論は、こうした歴史的事実の検証を怠ったまま、侵害排除のための措置に県民が邪魔にならないよう図るためとしか思えないような意見が横行している。
「武力攻撃事態」の中で、自衛隊や米軍による侵害排除のための措置と「県民の安全」のための具体的な計画の利害が抵触する場合は容易に想定され、その際、県はあくまで県民の安全の立場にたつということが確認される必要がある。
これは非現実的な問題提起ではなく、あの「戦時」統制的政治体制下の終戦末期、上記新潟への原爆投下計画の際、発揮された県の「英断」−「自治体の平和力」の意義をあらためて確認する必要がある。
■第2章「国民保護措置に関する基本方針」および第4章「新潟県の地理的、社会的特徴」について
計画の基本方針の中で、「国際人道法を的確に実施」と謳っていながら、戦時国際法の文民保護規定を考慮した形跡が全く無い。
例えば、ジュネーブ条約第一議定書「人口密集地域及びその近傍への軍事施設配置の回避(58C)」は、軍事施設への攻撃から一般市民を守るための規定であるが、少なくない県内基地の状態はすでに上記第一議定書「人口密集地域及びその近傍への軍事施設配置の回避」に抵触していると言える。関連施設周辺住民の安全確保は全く検討されていない。
特に新発田市にある防衛庁情報本部直属の小舟渡通信基地(明日のシンポジウムで詳細報告予定)に至っては、住宅地の中に設置された施設であるが、国際的にも注視された第1級の重要軍事施設であり、有事の際に真っ先に攻撃される可能性があるにもかかわらず、県の保護計画にはぞの所在すら記載されていない(他の県内軍事施設は全て明記)。
これらの事実は、「国民保護」とは名ばかりで、県も防衛庁も本気で県民保護を考えていない証拠でもあると言える。

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