昨日は先日お知らせした伊勢崎氏の講演会。
マスコミ等で案内されたこともあり、知らない人たちも参加してくれました。
100日間で民衆が民衆を80万人虐殺した(核兵器並み!)ルワンダの事件で国際社会がどのような状況で、いかに役割を果たせなかったか、というテーマを皮切りに、アフガンでの武装解除などの経験、紛争に対する国や国際社会の介入のあり方、その法的根拠、そしてその観点から見た日本の「テロ特措法」の問題についてお話してくれました。
アフガンでの武装解除は国連の中で日本が中心的に担った(そのリーダーが伊勢崎さん)が、それがうまく行った理由のひとつに「美しい誤解」があった、と語ってくれました。アフガンの軍閥リーダーにとって日本のイメージは、まずロシア艦隊を打ち破った勇敢な民族(自分たちもソ連に侵攻された経験から、ある種の共感があるようだ)であり、その一方でアメリカによる広島長崎の被害、そして戦争をしない国というものだそうです。
小泉政権は9.11後のアフガン攻撃を真っ先に支持したわけで、そういうイメージとは異なる実態があるわけですが、幸か不幸かそこまでは知らない。憲法9条に寄って培われた日本人の「体臭」が、武装解除の際の信頼感となったのだそうです。
しかし今、安倍政権以来、テロ特措法が最大の政治課題などと打ち上げることにより、その「誤解」は消えつつあるだろう、自分がテロリストだったら次は日本人を狙う、と話していました。
また、民主党の「対案」についても批判。アフガンで展開されているISAFに対して誤解があるのではないか、国連に指揮権があって限定された戦力と作戦しか持たないような軍事行動ではなく、結局NATOがおこなっている活動で、この指揮下に日本が入ることは大きな問題がある、とのこと。
また、伊勢崎さんは9条世界会議の呼びかけ人でもありますが、平和を実現する上でも「軍事」を無視すべきではない、という点を強調。自分たちが武装解除活動を展開できた背景にはPKOの軍事力がある。平和運動が単純に「軍事援助より民生支援」と言うが、民生支援も自分たち当事者たちにとってはきわめて危険な作業だ、ということを言っておられました。さらに、民生支援が逆に強権的な国家の固定化や悪化につながることもある、との指摘も考えさせられました。
軍隊は無い方がいい、しかし、おそらく300年くらい、それはなくならない。日本人やアメリカ人んひとりの命とアフガンやアフリカの人たちの命が平等だと考える想像力がもてるなら−現実にはその価値は大変な格差があるが−、実際に軍事でしか衝突や虐殺を回避できない局面があり、それをいかにコントロールしながら有効に使うかということも考える必要がある、と指摘しています。
その一方、そうした軍事力の介入を安易に制度下するべきではない、人間はそこまでまだ賢くない、とも指摘。
「右」も「左」も、自民党も護憲勢力も、こうしたリアリティや悩みと無縁の議論があまりに多いように思います。
さて伊勢崎さんは講演のあと懇親会をやって東京へ。なんとジャズバーでセッションに参加、トランペットの演奏をやるのだそうです。カッコイイ。

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