いやあずっと更新をずっとサボってました。
先週というか先々週、4月18日には大学歯学部の同窓会の会議に参加した後、市議選再挑戦に向けたパーティを開催、大勢の方に御参加いただき、叱咤激励いただきました(これはあらためて)。
24日には研究室の新歓、それから「ナインにいがた」の懇親会とハシゴ、翌日は高校同期の仲間達男女8人くらいで飲み、盛り上がりました。
飲んでばかりいたわけではなく、研究論文などもがんばってしたためる一方、原発や人権・平和問題でもいろいろと忙しく動いております。
さて、今年も5月3日の憲法記念日が近づいています。
すでに憲法改正手続きに関連する国民投票の準備予算が予算化され、市町村の予算にも組み込まれています。「憲法」の重要性をあらためて考えることが必要です。
ところで、昨年、深刻な「内戦」を経て「独立」したコソボ共和国の憲法は、よく読んでみると、人権や民主主義の観点では極めて先進的な内容が盛り込まれていることを発見できることを、友人が発見しました。
確かに読んでみるとすごい。「国」ではなく、先進的なNGOなどの規約と勘違いしてしまいそうな中身となっています。このことにはあらためて後日触れたいと思いますが、コソボの国の実情がどうなっているかは別にしても、あるいは国際政治の思惑や力関係がらみの経緯ではあっても、おそらく、新しい国づくりの中で、その国際人道的な支援や国内の人権NGOたち、そして先進的な法学者などによる議論や今日の最新の考え方が反映されたものになっているのだと考えることができます。
そう考えると、日本の「憲法」も、単に「アメリカの押し付け」などではなく(実際、そんな単純な図式ではなく、そこにはさまざまな力関係や国内的な議論が反映されたものであったことも明らかになってきています)、未曾有の犠牲を生み出した悲惨な戦争を経て、国際社会が日本という新しい国の誕生に向けて、平和や人権、民主主義といった概念の、最新の理念を託したという意義も見つけることができます。
その意味でも、憲法議論は、戦争の実情を知らないプチウヨク政治家たちの言う「国家の大切さ」だとか「外敵の脅威」などといったの稚拙な議論に惑わされることなく、より国際的な、歴史的な課題として語られなければなりません。
さて、西区では「西区9条の会」の皆さんが呼びかけ人となって、市民グループや団体・個人で実行委が作られ、「ピースウオーク」が準備され、僕も関わってています。
特に今年は、昨年から続く世界的な経済危機により、多くの人々の生活が不安と混乱の中に投げ込まれている状況の中で、「9条」の問題だけではなく、生存権やそのための国の責任を明記した「25条」などの観点でも憲法を「活かす」ことの重要性が一層増していると言えます。
ということで、今日も多忙な日だったので、とりあえず紹介のみ。
↓下記の画像をクリックするとチラシ(両面です)のPDFファイルが開きます。


3