新型インフルエンザについて、長く予防接種の副作用問題に取り組んできた友人が重要な指摘をしています。まだ内部的なMLでのディスカッションなので、ここでは匿名でその要旨(文責中山)を掲載しておきます。本人がさらに別途詳細を確認整理しているので、調整が済み次第、また編集しておしらせします。
======2009.5.18(
誤字等修正しました)
■新型インフルエンザ問題に対するM氏の指摘・見解(文責中山;細かいデータなどはのちほど修正の可能性がありますので転載等注意ください)
●今回の新型インフルエンザ対策は「水際対策の失敗」というより、そもそもインフルエンザ感染症に対する基本的な認識の誤りではないか。
●今回の事態に対し、ようやくマスコミでも紹介されるようになったが、基本的には慢性的疾病を抱えている方々への重点的な対処策に転換すべきだ。
●インフルエンザワクチンは、「学校が流行の拠点」として1962年から集団接種がはじまった。1974年に、インフルエンザだけでなく、天然痘、ポリオ、百日咳などの被害者がたちあがり、全国訴訟団が結成され、勝訴判決を勝ち取った。そこでの論点は、予防接種という「まだ起きていない感染症」に国家政策が媒介となって強制的に接種する伝染病対策の是非が争われた。その結果、任意の個人接種という形に大転換した。
●この闘いの中で、伝染病とは何か、小さな子供を抱える親の病気のへの恐怖感、接種しない家族への排他的な圧力などさまざまなことを思い、感じた。被害者家族の一切の予防接種を拒否する対応と、訴訟支援者であっても被害を受けていない子供たちを伝染病から守るためには接種が必要ではないか、という迷いもあった。しかしこの迷いこそが運動のエネルギーであるというのが自分の基本姿勢だった。
●例えば伝染病のはしか。自分たちの世代はほとんどが自然感染して終生免疫を持っている人が大半。はしかは重病で今でも年間に50人くらいの子供達が命を奪われている。かかってしまうと高熱、そして体力が落ちる中で肺炎で死亡するというケースも起きる。はしかは「命定めの病気」と言われるくらいに、子供の成長過程のひとつの儀式的意味すら与えられていた。回復するまでに3週間はかかる。小児科医の中でも、(インフルエンザ予防接種などに批判的な)山田真さんや毛利子来さんですら、共働き世代の多いこの時代、はしかの予防接種は受けたほうがいいと主張している。しかし、よき理解者でもある彼らとも論争し悩みながら、自分の子供3人については、3人ともはしかワクチンは接種していない。そのかわり、徹底した学習と対処策を学んだ。つまりは、昔の人たちの対応策。次女は自然感染し「多島状の斑点」が発症し、素人としてもはしかを確信して小児科医に連れて行ったこともある。
●はしかの予防接種の場合、ワクチンの免疫力が実は100%でなく、75%くらいと推測され、中学生でもう一度ワクチン接種、という対策も生まれた。そして接種率が高くなり、はしかにかかる子供達がいなくなった。そして何が生まれたか。大学生のはしか流行だ。この問題についての疫学的分析もまだしっかりとはなされていないが、ワクチンの免疫力の限界とはしかが流行しなくなって社会的免疫力が低下した、ということの結果ではないか。
●こうしたことから導き出される結論は、ウイルスとの闘いにおいて、絶滅させるというよりも共存の道を選ぶ以外に基本的な対応策はないということではないか。
●鳥インフルエンザ対策の誤りも指摘しなければならない。鳥から人への感染が確認されているが、その死亡に至るケースについての疫学的調査報告を日本政府はいまだ掌握していない(昨年の11月段階)。にもかかわらず、その鳥から人へのウイルスを使って、人から人へのパンデミックワクチンとして製造し、その工場建設は全額税負担、2000万人分も備蓄している。世界でタミフルの75%を日本が占めている。そして、映画やテレビドラマやマスコミの過剰報道で、今日のような強毒性のインフルエンザ対策としての危機管理戦略が打ち立てられてしまっている。
●そもそも1919年のインフルエンザ流行の世界で2000万人死亡したとするパンデミックが、今日の医療体制の充実、公衆衛生の完備、栄養状態の向上という事態の中で、同じ2000万人死亡論で危機をあおる手法は一体誰のためか、という疑念が生まれる。これは世界的なグローバルな薬メーカーの策謀ではないかと疑いたくなるような事態だ。日本国内のインフルエンザワクチンの例をとってみても、集団接種が中止になるまで年間2000万人分のワクチンが製造されていた。が、ボイコットキャンペーンと前橋市医師会の疫学調査によって、ワクチンを接種してもしなくても感染には関係ないという結果で、94年集団接種中止で48万本にまで製造が落ち込んだ。しかし「高齢者施設でのインフルエンザ感染で死亡者続出」キャンペーンが新聞紙上などではじまり、2001年に法律改正で高齢者への接種への公的補助が始まり、現在2000万人分製造までに回復している。
●強毒か弱毒か、ここは確かに疫学的分析が必要で全ての危機管理戦略をまちがいとは言えない。しかし、今日、弱毒性がほぼ確認され、また、感染が広がり始めている段階でこれまでの水際作戦はほとんど効果がない。普通の季節性のインフルエンザ対策で十分で、症状の軽減(中山追記)や重篤な患者をどう回復に導いていくかという対応に転換するしかない。
●都市化された先進国側と、医療体制がままならぬ途上国での対応策は区別される必要がある。また、感染症という国家が媒介する危機管理を私達がどう批判するのか、是認するのか。感染症の不安に対して人間の免疫力をどこまで信じるのか。ワクチンという異種蛋白の注入による免疫効果の副作用を含めた評価をどうすべきなのか。そもそも、ウイルスと人間は共存するしかないのではないか、など論点はいくつもある。少なくもワクチンは、被害者訴訟の中では、ワクチンの安全性、社会としての必要性、ワクチンの効き目、この3つがそろわなければワクチンとしては認定できない、が結論として示されている。
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(以上、要旨転載終わり)
非常に重要な指摘だと思います。
ところで、はしかだけでなく、今回の新型インフルエンザの感染者も、若者に多いのが特徴です。学校という「感染の機会の頻繁さ・濃厚さ」という点を除いたとしても、やはり圧倒的に多いと言えそうです。
僕が調べた文献によれば、今回の爆発的な流行の前に散発的に報告されていたアメリカでの11例のケースをレビューした結果でも、圧倒的に若者に多く、単純平均でなんと10歳。
このM氏の「社会的な免疫力の低下と若者での感染拡大」の論点を考えると、これまで指摘してきた「工業的畜産」の問題とも通ずることが見えてくるように思えてなりません。
以前紹介した「サイエンス」誌の論文では以下のような指摘をしています。
−すなわち、米政府の統計によれば、過去10年間、大規模養豚業者は増加し、多くの小規模業者が消え、5000頭以上の豚まを持つ業者の割合は1993年に18%だったのが2002年には53%に増加(つまり、小規模業者が淘汰された)。5000頭の集団の中にウイルスが発生すれば、それは100頭の集団の場合よりも、その中での遺伝子の変異や拡大の可能性は格段に上昇する、というものです。
このような「工業的畜産」(日本のような屋根つきで鳥の糞などから保護されているような比較的「清潔」なものではなく、中南米にあるアメリカアグリビジネスの工場の実状は先日の
ブログでも紹介した記事を参照ください)、大量の抗生剤とホルモン剤が投与されています。日本でも国内で販売される抗生剤の約半分が家畜用に消費されているという試算が公的に報告されており、アメリカは約70%です。
自然免疫獲得が重要であることは論を待ちませんが、免疫という観点で見るならば、抗生剤と成長ホルモンを大量に投与しながら劣悪な環境下で飼育される畜産工場はウイルスの培養工場のような実態になっているのもまた想像に難くありません。養豚場の中で拡大・発生する過程と、今の若い人たちの中で急速に拡大する過程は、もしかしたら同じ側面や問題を別の形で現わしている、と言えるかもしれません。
新型インフルエンザウイルス問題は、個別には感染症に対する社会の考え方や政府の対応の間違いが現れていると同時に、問題の根源的な背景として、食文化の変化と食糧産業の巨大化、そしてグローバル経済のあり方そのものを問うていると言えます。
今回の対応策が過剰であることはほぼ証明されつつありますが、その一方で、人間社会だけでなく動植物や地球環境が、今後も、多国籍企業の行動の自由とそのための規制緩和によるリスクに晒され続けるのだということにも関心を払う必要があると思います。

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