(最初のバージョンは書いた時アルコールが入っていたので、校正して書きなおしました)
核持ち込み密約が明らかになった。
■信じていた市民は、保守系も含めほとんどいなかった。
「騙されていた」という論調もある。しかし、「非核市民宣言運動・ヨコスカ」の発行する機関紙「たより」によれば、1983年当時、横須賀市議会立候補者全員に核持ち込みに関する質問を送ったところ、回答のあった22人中、「持ち込まれている」が実に20人、「持ち込まれていない」と答えたのはゼロで、回答者の中には自民や公明の議員もいたという。
議員はそれを支える市民の象徴でもあると考えれば、「事前協議が無いから持込は無い」という政府の説明を信じていた市民は、ほとんどいなかったとも言える。
■自治体はどうだったのか
これまで、米軍艦船が入港するたびに「核疑惑」を懸念する市民に対して、当該自治体は「国に問い合わせたところ、事前協議が無いので持込はないと考える」と判で押したような回答を公表してきた。新潟県ももちろん当事者だ。
彼らにあらためて問いたい。
市民の懸念に正当な根拠があったことがあらためて明らかになった(※注)と言えるが、これまで自治体が取ってきた対応・回答は、いかなる根拠でなされてきたのか。
冒頭の横須賀の対議員質問で明らかになったような「常識」がありながら、自治体は漫然と従属的になのか、あるいは確信犯的になのか、「事前協議が無い=持ち込み無い」というウソの論理を、住民に対して答弁してきたことになる。
「国がそう言って来たのだから」を根拠とするなら、悲しむべきことだ。
ほとんど誰も信じていない事実に対して、「国が言っているから」というただそれだけの理由で、目をそらし、耳を塞いできた、ということを告白するに等しいことだからだ。
百歩譲って、「ほとんど誰も信じていない事実」かどうか留保したとしよう。しかし今回の結果は、少なくとも、国の言うことを単純に信じることはしばしば騙されることでもあり、場合によっては住民の生命財産を危険に陥れる可能性がある、ということを証明している、ということになる。
一方、「自分たち自身で主体的に考え、事前協議無し=持ち込み無し」と考えた、と言う自治体も現れるかも知れない。
そういう自治体は、主体的に考えようとしたのは誉めてやるけど、結果的にその判断は全く間違いで、住民の常識やさまざまな団体の指摘を無視しており、社会感覚や情報分析能力が無い、という点で悲劇的だ。
■自治体の主体的立場と判断こそ必要
したがって、これまでの対応を現時点で自治体がどのように取り繕ったとしても、どのように弁解したとしても、以下のことが言える。
−すなわち、自治体は、国の見解を鵜呑みにしてはならず、例え「安保」や「国策」に関わることであったとしても、それが住民の安全に関わる問題である限り、客観的な事実や情報から自ら主体的に解釈・判断すべき、ということだ。今回はそれを教訓的に示していると言える。
注:実は現在、米国は政策上、いわゆる洋上艦の核は撤去しており、最近の期間内で核が現実に持ち込まれた可能性は低い。しかし、自治体はこのような米軍の戦略を理由にはしてこなかったので、この事実は今回の論理展開に影響を及ぼさない。

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