一川防衛大臣が国会答弁で95年の沖縄少女暴行事件の詳細を問われ「詳細は知らない」と答えた件で、自民党が防衛相の辞任を要求している。
本当にあの事件の詳細を知らないとしたらそれは確かに防衛大臣としての資質を問われる問題だ。
しかし、自民党にこそ問いたい。日本にとって、自民党にとって「沖縄少女暴行事件」とは何だったのか。そこから何が変わったのか。
アメリカ追従しか頭になく、まともな交渉もできない日本(自民党)政府がアメリカと96年当時「合意」した「普天間基地返還」などというのは、最低でも現状維持、うまくいけば米軍のためにより効率的な新たな基地建設という「欺瞞」に他ならない。しかも、植民地支配的な日米地位協定の改正も強く求められていたにもかかわらず、運用の改善にとどめた。そのような外交しかできず、普天間・沖縄基地問題を解決できなかった自民党政府が、ここぞとばかり防衛相を口汚く罵るのは、あまりに見苦しく、滑稽であり、そして同時に怒りに耐えない。
さらに今日のニュースでは、先日の質問でヒットしたのに気を良くしたのか、自民党の佐藤正久参院議員は今度は「琉球処分」を持ち出し、またもやこれに防衛相が答えられないことをいいことにさらに「普天間移設問題の担当として資質に大きな問題がある」と「痛烈に批判」したとか。
これもほとんど悪い冗談か悪夢と言える。
琉球王国を近代日本の支配体制の一部に強権的に組み入れた「琉球処分」そのものは明治にさかのぼるが、現代にあって、普天間基地「返還」合意や、事実上ほぼ沖縄県など基地周辺自治体にしか適用されない米軍基地特措法など、沖縄基地問題に対して歴代自民党政府がとってきた対応こそ、「現代の琉球処分」と多くの知識人やジャーナリストが指摘している。佐藤議員こそ、自分の所属する政党の歴代の沖縄政策を「知らない」のか、「知って」いるのに攻撃材料に利用したのか。どちらにしても、「資質」が問われるのは防衛相だけではない。
沖縄少女暴行事件を契機にして日米政府が合意し、大々的に当時の新聞紙面を躍らせた「普天間基地返還」の実態は、実は新しい「合意」などではなく、アメリカ政府が長年望んでいた「米軍基地を統合・強化・近代化する計画」そのももでしかない、ということを沖縄の真喜志さんが鋭く強く指摘している(
→こちら)。
少女や沖縄県民の犠牲を顧みず、普通に生きていく権利や、平和のうちに発展する地域の権利を踏みにじってきた自民党が、相手を非難するために、自分たちが踏みにじった「事件」を利用(こういうのを「悪用」と言う)するのは天に唾を吐くようなものだ。
この際、自民党は徹底的に現政府の沖縄政策を追求せよ。その追求を本当に誠実な立場から行なうならば、自分達の歴史的な責任を自覚し、そして長期間固定化されている普天間基地の返還、辺野古新基地の撤回を始め、日米安保関係の見直しを通した沖縄基地問題の根本的転換の必要性に気づかなければならない。そこに至らない追求は、単なる政争以下の勝手な言い草だ。
「沖縄少女暴行事件」も「普天間問題」も、沖縄の人々が平和のうちに生きるという、本来きわめて当然の権利−「平和的生存権」の問題だということをあらためて認識する必要がある。−自民党や民主党はもちろん、私たちも。

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