2007/12/31

Farewell to 2007  ノンセクション

 2007年がとうとう終わった。無事に過ごせたこと、いろいろ励ましてくださった方、お世話してくださった方、助けてくださった方、皆さんに心から感謝です。

 今年の5大ニュースは
@ 慶應義塾普通部で中国映画の講義。教壇に立つという形で30年前のリベンジ成功。
A 岡田茉莉子さんの真後ろの座席で、茉莉子さんの香水の香を感じつつ『やくざ囃子』を観る。
B 『ロン・ハワード論』の完成が目前になってきた。
C 暮れの最後のギリギリに松たか子結婚のニュースが飛び込んできて立ち直れなくなる。
D 茨城大の講義で機材トラブル。20分近くを即興でしゃべることになって蒼白。

また来年、よい年でありますように。
1年間お読みくださった皆様。いつもありがとうございます。どうぞよいお年をお迎えください。

2007/12/30

今年のベスト10  映画

 楽しいから今年のベスト10を。以下、順不同で。
●『夜顔』(マノエル・デ・オルヴェイラ)
●『ブラック・スネーク・モーン』(クレイグ・ブリュワー)
●『長江哀歌』(ジャ・ジャンクー)
●『ボビー』(エミリオ・エステベス)
●『ブラックブック』(ポール・バーホーヴェン)
●『サッド ヴァケイション』(青山真治)
●『グラインドハウス in デス・プルーフ』(クエンティン・タランティーノ)
●『レディ・チャタレー』(パスカル・フェラン)
●『恋人たちの失われた革命』(フィリップ・ガレル)
●『ロッキー・ザ・ファイナル』(シルベスター・スタローン)
●『ゾディアック』(デビッド・フィンチャー)


 えっ? 11本じゃないかって? 数え間違いでは?
 それにしても、スピルバーグもイーストウッドもゴダールも宮崎駿もいない年は、ベスト10を選ぶのがとてもらくちんだ。ほとんど迷わずにどんどんあげることができた。

 『ベオウルフ』と『レミーのおいしいレストラン』を入れるスペースがなくなったのは残念。前者はまだ次のウルトラ・ビッグ・リープを見込めそうなのと、後者は自分にとっての必要性の切実さの問題だけ。『エヴァンゲリオン』は入れるつもりだったけど、これは4作全部そろったときにぶちあげたい。
 『不完全なふたり』を入れそびれたのは痛恨。日本映画は1本以上入れたくないので、致し方なし(ほんとはフランス映画だけど)。
 
 ワーストは趣味じゃないからあげないけど、もうぶっち切りのワーストは『殯の森』。今年のというよりは、腹が立ったという意味では歴代のワーストかも。
 来年は、スピルバーグもキャメロンも宮崎駿もエヴァもあって大変だ。

2007/12/29

『ONCEダブリンの・・・』,『ペルセポリス』,『チャプター27』  映画

ジョン・カーニー『ONCE ダブリンの街角で』
 これは傑作の誕生か? と、思わず深く座り直して衿を正したが、いいのは上映時間にしておおむね40分をすぎたところまでだった。
 シーンでいえば、ヒロインが主人公の歌詞がまだついていないメロディに詩をつけようと、深夜のコンビニでウォークマンかなんかの電池を買っての夜道をハミングしながら歩くシーンまでだ。
 そこから先は、電池を買ったというのに、まさに電池が切れたかのように、映画は一気にパワーダウンしてしまう。残念ながら作者は、この題材でこれ以上をひっぱるイメージを創造できなかったのだろうと思う。この後は、似たような場面の繰り返し。
 
 逆にいうと、そこまでは見事。特に、男と女(役名もGuyとLadyだ―エンドクレジットで知った)が出会ってから、2人が楽器店のピアノとギターで初めて音を合わせるシーン。ぴったり寄り添うカメラが、まさに音楽の創造の瞬間をとらえていてすばらしかった。
 ヒロインのマルケタ・イルグロバはやたらにかわいくて非常に感動。

マルジャン・サトラピ/ヴァンサン・パロノー『ペルセポリス』
 外国に行ってタクシーなどに乗ると、かなりの確率で「どこから来たの?」と聞かれる。「日本から」と答えたくないので、いつも口ごもる。
 じゃあ、なんと答えたいのかと言われると困るわけで、とにかく「日本人」と思われたくないだけの話だ。1度だけ「From the country of Kurosawa」と答えたことがあるが、それっきり会話は続かなかったので助かった。

 イランに生まれ、現在はパリで暮らす作者の少女時代。多くを書く余裕はないけれど、革命と戦争に明け暮れるイランの現代史。人間の度し難い愚かさが描かれる白黒アニメ。日本のアニメはたしかに世界最強だと思うけど、こうした広い視野の作品がもうちょっと出てきてもいい。
 
 この映画の主人公も最後に、パリにやって来てタクシーに乗る。やはり「どこから?」ときかれて、「イランから」と答えるその言葉の重さは、私なんかではとても測り知ることができない。見事な作品。
 声はカトリーヌ・ドヌーブとキアラ・マストロヤンニという、世界最強の母娘。

J・P・シェファー『チャプター27』
 おそらくイエスを売ったユダを別として、人類史上もっとも憎まれている人物の1人がマーク・デビッド・チャップマンだろう。
 ジョン・レノンを撃ったという、神をも畏れぬという意味では『もののけ姫』のジコ坊も真っ青の人物だ。
 
 この映画はそのチャップマンがニューヨークにやってきて、ダコタハウス周辺でストーキング活動を開始し、レノンを撃つまでの彼の行動を描写した実験作。
 確かに力作だとは思うが、しかしこの件については「ジョン・レノンが撃たれた」というその事実のみが重要であるのと、私たちが愛し、近づきたいと思うのはジョン・レノンその人であって、その暗殺者の気持ちや行動なんかでは全然ないということだ。
 
 要するに関心が持てない。ジャレッド・レトがどんなに役作りをがんばって、錯乱していくチャップマンを演じても、「だからなんだ」という感想以上のものをまったく持ち得ないが故にこの映画は企画段階でNG。

2007/12/28

転倒!!  ノンセクション

 今日はとにかく大掃除。拭いたりこすったり磨いたりの大騒動。書物に手をつけるとそれだけで作業は終わってしまうから、今年はあえてそこには一切さわらないようにする。
 今回、力を入れたのはトイレ掃除だ。しかし、この便器に固くこびりついた黄ばんだ固形物はなんだ? 何が化学変化(?)を起こしてこうなるのだろう。全力こめてガシガシこそぎ落とす。

 夕方ごろ、ちょっと駅の方まで用足しに行こうとしたら雨が降っている。出かけるのをやめようとしたが、まあこの程度の雨ならと、自転車を走らせたらタイヤがスリップ!
下りの坂道でまともに転倒。
 身体の右側からすべりこんでいったので、右手少々、右足少々をおおいにすりむく。
 すりむいたのはいいけど、体中に激痛! これはきつい。「転んで痛い思いをする」という経験は、これまでの人生ほとんどないので、とにかくこたえる。

 ちなみに手袋は破れてズタズタに。転ぶというのは、こんなにも痛いものなのか!
 ひどいめにあったが、年の瀬にこんな痛い思いをして運が悪かったととるか、大事でなくて運がよかったととるか。まあ、運がよかったと思おうか・・・。

2007/12/27

「非在」と「偏在」  映画

 おそらくは青山真治と思われる、ある映画作家の日記に『アイム・ノット・ゼア』が取り上げられていて、保留つきの絶賛が与えられている。
http://diary.jp.aol.com/applet/wkvgm6xuzxev/msgcate3/archive

 なるほどそういう見方もあるか、とおおいに納得しつつも、そこで“I'm not there”という英語の語感について考えてみる。
 これは確かに、直訳すると「俺はそこにいない」という意味に違いないが、そのニュアンスは「俺はそこにいない(けれど、よそにはいるぜ)」という意を含むはずだ。
 であるが故に、〈アイム・ノット・ゼア〉は「非在」ではなく、やはり「偏在」という意味をいささかもはずしていないと思う。

 したがって、エンディングに「アイム・ノット・ゼア」を配したのは、「ネヴァー・エンディング・ツアー」をも射程に入れていると私自身は解釈し、だからこそ感動したのだった。私の12月18日のコメントは、そのへんの考えも込めたつもりではあったが、さて。

 こうした解釈の多様性におおいに刺激を受ける。『アイム・ノット・ゼア』封切にあたっては、ぜひ再見したいと思ふ。

2007/12/26

ヘルベルト・フォン・カラヤン  音楽

 2008年のカラヤンの生誕100年を記念して、あれこれ復刻企画が相次いでおり、けれどもなんだかこう、どこかズレてるなあと思うのは、「カラヤン・ドイツ・グラモフォン・コンプリート・レコーディング」というのが来年4月5日に発売だなんてニュースだ。
ユニバーサルの新譜予告で今日知った。
 240枚組、30万円だそうだ。

 特典としてリハーサル集のCDが2枚。100ページの読本と200ページの解説書。木製キャビネットつきとのこと。
 しかしそれってどんな人間が買うのだろうか。
 「カラヤン」のCDに30万円を出す気のある人なら、既存のCDを何枚も持っているに違いない。
 私だって、さすがに100枚はないだろうけど、らくらく50枚以上は持っていると思う。
 もちろんそれぞれに愛着はあって、捨てろと言われるとちょっと逡巡する。

 それなのに240枚組30万円で分売不可。1枚あたりの単価も1250円と、大容量BOXセットとしては決して安くない。ちょっとあり得ない企画のような気がする。
 どっかの図書館とかで入れるなら別だけど、いまどきそんな気のきいた施設なんてないだろう。

 というわけで、『夜顔』の余韻を味わいつつ、カラヤン/ウィーン・フィルのドボルザーク8番を聴くのであった。

2007/12/25

レイモンド・チャンドラー  

レイモンド・チャンドラー『〈チャンドラー短編全集3〉レイディ・イン・ザ・レイク』(小林宏明・他訳 ハヤカワ文庫)読了

 いよいよチャンドラー風味が炸裂の第三巻。さがしものをめぐって、屋敷から屋敷を移動するが、扉をあけたら必ず底には死体が転がっている。ほとんどの場合、その直後、後頭部をブラックジャックで殴られ昏倒する。気がついた後、別の屋敷に監禁されていたり、捨てられたりしているが、腕力というよりは話術と度胸で切り抜ける。とにかく話運びの手際がいい5編。さすがに表題作は、群を抜いていい。

 38年から39年にかけての作品。時期的には『大いなる眠り』執筆中のはずだ。
 今回は最終話の「真珠は困りもの」の翻訳が残念ながらイマイチ。確かに少しスラップスティックで、微妙にヴォネガッド的というのか、後の村上春樹を強く感じさせられる作品には違いないが、それにしても第一人称が「ぼく」というのは違うんじゃないか。何が何でも「俺」である必要はもちろんないにしても。あるいは趣味の問題なのかもしれないのだけど。

2007/12/24

『ナショナル・トレジャー/リンカーン暗殺者の日記』  映画

ジョン・タートルトーブ『ナショナル・トレジャー/リンカーン暗殺者の日記』

 あまりにもストーリーが複雑で、さっぱりわからない。この人たちは何をどうしようとしているんだろうか。それなのに、ジョン・ボイトが出てくるわ、エド・ハリスが出てくるわ、ハーヴェイ・カイテルは出るわ、ヘレン・ミレンは出るわで、キャスティングだけはアート系である。

 あまりに難解な物語なので、途中で筋を追いかけるのはやめて、ダイアン・クルーガー様を眺めることに専念。いやはや、もう信じられないくらいきれいな人である。『戦場のアリア』とか『敬愛なるベートーベン』とか、3流映画に出るのをやめて、同じ3流なら「こっち」に徹してほしい。

 リンカーン暗殺とかラシュモア山というモチーフは、映画にとってすごく神聖な題材であるはずなんだけど、それをとやかく言うのもちょっと。

 ただ、決して悪い映画でもなくって、地底からの脱出で見せるジョン・ボイトとヘレン・ミレンの、何だかんだいっても通じあっている老夫婦の愛情には、ちょっとホロリとさせられる。

 細かいことだけど、最後の冒険に向かうとき、ダイアン・クルーガー様が、かかとのないペタンコ靴をはいていて、おー、この人準備万端、やる気満々だね、というのがほの見えて、こういうところには感動する。

 アメリカの歴史に特化した冒険ものという、シリーズの趣旨は決してきらいじゃないけど、もう少しきっちりした考証に基づいて、うんちくたれるのだったら、けっこう画期的な映画になると思うのだが。企画として悪くないだけに、かなり残念。

 また、最近のアメリカ映画は『ダイ・ハード4.0』にしても、『ボーン・アルティメイタム』にしても、カーチェイスを撮る技術が完全に失われてしまっていることが、これでわかった。アクションの基本が、消滅しつつあることの悲哀を感じる・・・。

2007/12/23

『呉清源』,『夜顔』,『PEACE BED』  映画

田壮壮『呉清源 /極みの棋譜』
 碁も将棋もチェスも、ルールを知らないので、自分でやったことはないのだけど、碁ばっかりは、子どもの頃より変なデザインのゲームだよな、と思っていた。
 あの碁石というやつは、どうしてこう真ん中が盛り上がっているんだろう。安定しないじゃないか。碁盤にピシリ!と置いたあとも、ぐらぐら揺れていて落ち着かない。
 『呉清源』で主人公が手を打ち、碁石がアップで映されるとき、そんな子どものときからの印象を思い出す。

 呉清源はまさにそうした、揺らぎの人生を送った人物で、映画『呉清源』はそんな揺らぎをとらえた作品だった。
 中国人として日本への帰化問題、新興宗教への帰依、その中での碁の道に対する迷いなどなど。
 だが、碁石は打った後、しばし揺れているがやがて静止する。呉清源も、迷い多き人生だったようだが、老境に達ししかるべき場所に落ち着く。立ち読みパンフによると、実に現在93歳の今もなお健在であるとのこと。

 そして迂闊にも観た後に知ったが、冒頭の老人たちの談笑は現実の呉清源とその奥さんだとか。その好々爺ぶりと、その人生の過程を参照すると、何ともいえない感動が(後から)こみあげてくる。
 ちなみに呉夫人を演じた伊藤歩の美人ぶりに超感動。

マノエル・デ・オリヴェイラ『夜顔』
 ブニュエル『昼顔』の38年後を、今年99歳のオリヴェイラが撮るという卒倒しそうな企画だけで、観る前から今年のナンバー1に決まっているだろうとは予想したが、本当にぶっちぎりのナンバー1だ。ヨーロッパ文化の底知れぬ豊かさに圧倒される。

 今では未亡人となっているセヴリーヌ。彼女のかつての「営み」のすべてを知るアンリ。38年のときを経て、偶然に再会する2人。

 無言の食事シーン。食前酒が注がれて、一皿目の前菜を食べ終わるまで実に1カット。以後、メインディッシュに続くデザートまでを無言で食べる。
 一切の台詞なしに、ときどき目を合わせつつ、食事がきっとべらぼうに美味なのだろう、セヴリーヌは次第に笑みさえ浮かべつつ、互いが互いの(というよりはもっぱらセヴリーヌがアンリの)出方をうかがうただならぬ緊張感。
 ただひたすらに食べるだけで、なぜにこんなテンションが生じるか!?

 食後、2人はうってかわって饒舌に、かつてあったことについて、言葉の応酬を開始する。残酷に、しかしにこやかに傷つけあう2人。
 (時間経過に伴い、テーブルのろうそくが1本1本消えていき、やがて真っ暗になる!)

 フランス料理の粋をきわめたような食事シーンの、最高貴のヨーロッパ人だけのものと思しき、ミシェル・ピコリとビュル・オジェによる究極のテーブルマナー・・・と、ギャルソンのサービス。(このシーンをもってオリヴェイラは『永遠の語らい』の食事シーンを自ら乗り越えてしまった)

 人生の何もかにもを極めつくしたであろう、99歳のオリヴェイラによるシナリオで、演技道の極限をきわめた82歳のピコリと、67歳のオジエが言葉による殺し合いを行う。

 この映画がもっているはずの、ヨーロッパ文化というあまりにも巨大なバックグラウンドの前には、一匹の極東の40代男などゴキブリ以下の存在である。
 映画がこれほどまでに大きな芸術たり得るかという神のごとき70分。
 こんなものに太刀打ちなどできるものか。いったいなんなんだ、これは。

デヴィッド・リーフ&ジョン・シャインフェルド『PEACE BED/アメリカVSジョン・レノン』
 その歌のメッセージ色というよりは、彼のもつ絶大な集客力=影響力=大衆の扇動能力に、体制側がいかに警戒色を強めたかという、さして目新しさはないドキュメンタリー。
 これからビートルズやジョン・レノンの音楽を聴こうという初心者にはナイス。それ以外の者にはいまさらな内容。

 しかし今さら言うまでもなく、どの曲もすさまじいパワーがあって、ことにエンディング・クレジットで流れた“Instant Karma”を久々に大音量で聴いて、
“Well,we all shine on/Like the moon and the stars and the suns!”
のあたりの、突き刺さるようなシャウトは痛切すごいな! と感じ入り、この人もやっぱり紛れもなくナンバーワンだなと改めて思う。

2007/12/22

その者青き衣をまといて金色の野に降り立つべし  ノンセクション

 うちの奥さんが唐突に『風の谷のナウシカ』サントラのピアノ譜を図書館から借りてきた。図書館が大嫌いな私としては、図書館に楽譜があることなど露知らず、早速音を拾いながらぽつぽつ弾いてみる。
 ブラームス4番の4楽章をパクった「ナウシカレクイエム」から、エンディングまでを一気弾き。

 映画でいうと、身を挺して王蟲の暴走を止めたが、意識を失って倒れたナウシカを王蟲の黄色の触手が持ち上げ復活。金色の野に降り立つ♪ラン、ランララランランラン♪の久石譲・娘の唄を経て、「メーヴェが帰ってきた!」のフルオーケストラから、エンディングのピアノソロまでの一連の音楽。

 弾きながら、場面のあれこれを思い出して涙にくれてくれて、もうボロボロに。気味悪がった娘に、自分の部屋から出て行けと蹴り飛ばされる。

 ゴダールもスピルバーグもへったくれもなく、やっぱり自分にとっての生涯のベスト&オンリーワンのこれ1本って『風の谷のナウシカ』なんだな、とつくづく思ふ。



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