2009/7/31

コミコンのジェームズ・キャメロン アニメは映画じゃないなどと言ってる場合ではない。  映画

 一昨日触れた、サンディエゴのコミコン。
 ジェームズ・キャメロンとピーター・ジャクソンのパネル・ディスカッションがアップされている。
 5つのファイルに分かれていて、合計50分弱の長時間セッション。ほれぼれと見る。
http://www.youtube.com/watch?v=rNyE9z0lTf8&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=6ospb1YaFMg&NR=1
http://www.youtube.com/watch?v=Tyolmy8IU94&NR=1
http://www.youtube.com/watch?v=-1z0e_uZ4I4&NR=1
http://www.youtube.com/watch?v=VDc479fpDUA&NR=1
 このディスカッションの中で、例のビッグニュース、『タイタニック』の3D版が進行中。だいたい14カ月くらいかかる予定、という爆弾発言が披露されている。うむ!

 その他、3Dを中心とした映画の未来について、あれこれ語るわけだが、しかし、ジェームズ・キャメロンという人は、ピーター・ジャクソンもだが、「映画鑑賞」というのを、どこまでも「身体的体験」としてとらえているのだな、とつくづく思う。

 ジェームズ・キャメロンがすごくいいことを言う。
 映画作りでは、できることと、できないこととの2種類があって、できることをやるのは面白くもおかしくもない。だからそんなことに興味はない。だからといって、できないことを無理にやろうとするのは、ただの酔狂だ。だってできないんだもの。
 私にとっていちばん興味があるのは、そのできることとできないことの中間を実現しようとすることだ。映画作りでいちばん面白いのはそこなんだ、とのことである。さすが。

 なお、コミコンでは、ジェームズ・キャメロン単独の講演も行われた。これはロイターの記事から。
http://www.reuters.com/article/entertainmentNews/idUSTRE56P0NH20090726
 ここでも3Dについて、やはりいいことを言っている。
 『アバター』を観る人は、すぐにこれが3Dかどうかなんて、気にもしなくなるだろうな。それより、物語にこそ心奪われるはずだ。一番時間かけたのはそこだしね。
 重要なのは、生命の吹き込まれた人物であり、魂のこもった演技であり、要は生命感なのだといったような内容。
 そして、ここでもジャクソンとの会談で述べたのと、似たようなことを言っている。
 いわく、ファンタジーには違いないが、まるっきりファンタジーでもダメなんだ、と。

 ところで最近、「アニメは映画じゃない」みたいな、偏狭な見解をブログに書いた、「ある映画作家」がいるが、その人はこうした高い志の発言をどう感じるのだろうか。
 実写は映画だが、アニメは映画じゃないといった、そんなちっぽけな次元で言いがかりをつけてる場合じゃないのだ。
 それってまるで、世界では産業革命も起こって、どんどん発展しているというのに、そんなことも知らず、のんきに鎖国していた、百数十年前のどっかの国と同じと言えないか。
 世界の頂点では、議論はすでに3Dから、さらにもっと高い次元で「映画」を考え始められているのだ。

2009/7/30

ケニー・オルテガ という人  映画

 その主題歌が頭に鳴り響いて離れなくなったので、これはいかんと、ロバート・グリーンウォルド『ザナドゥ』(1980)のDVD(それにしても、オリビア・ニュートン=ジョンの歌声はいい!)を引っ張り出して見始めたところ、これは迂闊にも知らなかった。
 何とコレオグラファーとして、ケニー・オルテガのクレジットが。
 しつこいようだが、この人は『ハイスクール・ミュージカル』のクリエーターだ。

 ちょうど先だって、マイケル・ジャクソンの幻に終わったロンドン公演の、リハーサル風景がカメラに収められていたそうで、それを劇場公開用映画にするべく、編集真っ只中というニュースを知ったが、その編集者もケニー・オルテガだという。
 というか、そのロンドン公演のディレクターが、そもそもケニー・オルテガだ。
 
 そこまで来るとさすがに只事でなく、WikipediaやIMDBでさらに調べてみると、マイケルのデンジャラス・ツアーとヒズトリー・ツアーもこの人の仕事。
 映画の方では、私が偏愛する『ダーティ・ダンシング』(1987)の振り付けを手掛け、さらに私の生涯ベストに数えたい『セントエルモス・ファイアー』(1985)と『プリティ・イン・ピンク』(1986)の振り付けも。
 ん? 「セントエルモ」と「プリティ」の振り付けってどの場面? 「プリティ」はモリー・リングウォルドに恋心を伝える、ジョン・クライヤーのキモダンスかな?
 また、これまた素晴らしい、『ある朝フェリスは突然に』(1986)の振り付けもやっていて、これはもちろん、群衆を前にしたマシュー・ブロデリックの熱唱シーンか。
 あと、印象的なところでは、マドンナ“The Material Girl”のPVもこの人の仕事。

 なんというか実はこの人、80年代からのカルチャーのしかるべき部分を形作った(しかもおいしいところを見事におさえた)、影の大立者ではないか。
 そういう目で、改めて『ザナドゥ』を観ると、いやはやさすがにこの映画は、ジーン・ケリーまで引っ張り出しているのに、展開の訳のわからなさは、でたらめの極みと言わざるを得ないが、横広がりの群舞を手前から奥に、何層にも高低つけて配置し、その中央を主役が出たり入ったりする、『ハイスクール・ミュージカル』の基本パターンが完全に出来上がっている。30年近く前の仕事だというのに。

 ELOの音楽とオリビア・ニュートン=ジョンの魅力がこれほどすごいのに、映画としてもうちょっと何とかすれば、歴史に残ったはずなのにと、大きなお世話だがとても悔やむ。

2009/7/29

サンディエゴのコミコンに、宮崎駿 登場  映画

 2009年のコミコンがサンディエゴで開催されたそうで(7/22〜7/26)、何が起こっているかはあれこれ伝え聞くが、しかしジェームズ・キャメロンが登壇し、ついに最新作『アバター』の映像が披露されたといった話や、ピーター・ジャクソンとの対談では『タイタニック』を全編3D化するといった発言が出たそうで、興奮をおさえられぬ。

 が、それに匹敵してすごいのは、何といっても宮崎駿の登場だ。渡米してたのか!
 ジョン・ラセターの司会で、なんと宮崎駿登場。通訳を介してインタビューにあれこれ答える宮崎駿という、コミコンとはそんなにすごい場だったか、と驚くことしきり。

 宮崎駿の答弁はここで見ることが可能。ジョン・ラセターは本気でマスターを尊敬しているんだなあというのが、雰囲気から滲み出ていて好感が持てるのと、この後、どうもポニョのクリップも上映されたようだが、そこが切れてるのは残念。が、主要部分はおさえられているはず。
 貴重な記録だと思う。拝して見るべし。

http://www.cinemablend.com/new/Comic-Con-John-Lasseter-And-Hayao-Miyazaki-Together-At-Last-14077.html

2009/7/28

ジョン・グリシャム『謀略法廷』  

 ジョン・グリシャム『謀略法廷』(上・下 白石朗・訳 新潮文庫)
 大企業を相手取った個人弁護士と弱小市民による訴訟ざた。いつも通りの、グリシャム展開。圧倒的に強大な権力に対して、取るに足らぬ弱者が戦いを挑む、ストレスに満ちた状況で、今回もまた物語は暴走する。

 ここでは今世紀来、ますます優遇される大資本が、いかに思いのままに世の中を動かせるかを淀みなく描く。司法を変えるためには、根こそぎ仕組みごと変えてしまえばよい。
 人心コントロールなど、二期にわたって前政権を作り出した国民とあらばたやすいことだ。多少なりとも、人道的な動きはいとも簡単に握りつぶされる。
 キリスト教原理主義と、保守層の無知蒙昧さがいかにアメリカ(と自分自身)の首を絞めているかが明快に描かれるが、ことはそう簡単ではない。
 なぜなら、その暴走を止めようとする側の動機もまた、利害により裏付けられるからだ。

 大資本に有利に傾く裁判所判断の動きは弱者を打ちのめすが、そうした動きを阻止すべく動く法廷弁護士側の動機は、ひとえに大企業有利の裁定が判例化していくと、そもそも企業責任を問う訴訟自体が無意味。
 すると、法廷弁護士は存在意義を失い、依頼そのものがなくなり、大金を得る術を失うということだ。

 どちらに理があるかということそれ自体は、火を見るより明らかだ。けれど、グリシャムはもはや、『ペリカン文書』や『評決のとき』の頃のように、理がある方のためには必ずしも執筆していない。
 資本主義の絶望的な欠陥をひたすら追求し、最後の1ページまで天秤の針がどちらに振れるのかわからぬおそるべき展開と共に、昨今の金融危機とてらして、ジョン・グリシャムによる本書は、もはや警告ですらない。

2009/7/27

叫びとささやき  ノンセクション

 昨日は何がなんでも、自分の子どもの感性の標準をハリウッドレベルに持って行きたくて、『モンスターVSエイリアン』に連れて行ったものの、もうひとつ反応が悪い。つまんなかったわけでもなさそうだが、さりとて楽しんだという様子もない。
 『ウォーリー』でさえさっぱりだったので、3Dならどうだと気負った私がバカだった。

 やはり娘の方は、赤いジャージを着た極道の跡取り娘が教師をやったり、お金持ちの御曹司4人組が貧乏人の小娘にあれこれ世話を焼いたりしないと満足できないようだし、息子の方は同じモンスターでも、赤と白のボールに閉じ込められたのがバトルするのでないと納得できないようだ。
 実に道は険しい。日本のボックスオフィスの大半が日本映画だというのも道理だ。
 こいつらが『マイノリティ・レポート』とか観る日は、きっと永久に訪れないだろう。

 という沈鬱な思いとともに、買っておいた藤子先生の『オバケのQ太郎@』を、「ほれ、買っといたぞ。そのかわり読む時は石鹸で手を洗い、カバーははずすように」と手渡したところ、「あ!」とそこそこ反応するが、直ちに「あんた、それまさか全部買うつもりはないでしょうね」と、非常に険しい目つきでうちの奥さんに難詰される。

 「あ、いえ、Qちゃんはそろえるつもりなんですが…」とヘドモドしたところ、「ふーん。で、全部で何巻あるの?」と問い詰められたので、「あ、はい、ご覧の通り、分厚い本ですので3〜4巻かと…(うそ。全5巻。しかもたぶん第2期で「新オバQ」も刊行されるからその倍以上のはず)」「まあ、いいかげんにしときなさいよ」と、とりあえずその場ではそれ以上のお咎めはなく終わる。

 あまりに恐ろしくて、とてもじゃないが、実は『ドラえもん@』と『パーマン@』も買ってあるのだとは言えなくなる(そもそも、てんとう虫コミック版で持ってるし)。
 「全集」というのはすべからくそうだが、どうして出版社は、買う側が収納に困るということを考えて造本してくれないのか。
 買う気は満々だが金の問題でなく、収納の問題で買えないんだ、と発想してくれないと出版の未来は真っ暗のはずだ。

2009/7/26

『モンスターVSエイリアン』  映画

 ロブ・レターマン/コンラッド・ヴァーノン『モンスターVSエイリアン』
 昨日の続き。3D版で鑑賞。ドリームワークスのアニメ担当として、レターマンは『マダガスカル』、ヴァーノンは『シュレック2』の監督。

 実に破綻のない物語構成で、商品としてほとんどケチがつけられない。
 ただまあ、この手のアニメ作品にありがちな、子どもを連れて来た保護者向けのネタを満載にして、媚を売るのはさすがに鼻につく。

 たとえば、地球侵略に来た宇宙人とコミュニケーションをとろうと、合衆国大統領が『未知との遭遇』の5音を鳴らすなんてのは、あまりにベタすぎる(といっても、5音目を弾き間違えて、その場の全員がシラけるというギャグには不覚にも爆笑したが)。
 「未知との遭遇」作戦がきかないとわかるや、『ビバリーヒルズ・コップ』のアクセルFのテーマでブレイクダンスを踊るというのも、あからさまに現在40歳代の私たちへのウケ狙いだし、そのボケ大統領が、ニクソンとレーガンとブッシュ(子)を足したような造形というのはともかく、宇宙人に遭遇するカップルがカーステレオでかけている音楽が、ジャーニーの“Who’s Crying Now”って、それでいいのか?
 確かにこうしたパートは、親は笑えるけど、子どもにとってはあまりに遠いギャグだ。

 子どもをおいてきぼりにしてまで、(しかも世代的なネタによって)親を笑わせる必要なんかまったくないので、あくまで物語勝負でやってくれれば十分。
 そこを踏まえぬことには、ドリームワークスのアニメは、永久にピクサーに及ばないように思う(一つ目のモンスターとか、キャラデザインの二番煎じぶりには目をつぶるとしても)。
 
 なお、3Dによる迫力は抜群。ゼメキスの『ベオウルフ』ではまだ気になった、3D特有の画面の暗さもずいぶん改善された。ただ、3Dでの効果を狙って奥行き感のある構図ばかりの画作りというのは、次第に単調になる。
 始まって20分くらいは、かなり驚くのだが、90分も観ていると3Dに対する刺激はだんだん慣れてくるんだなと改めて思う。

2009/7/25

『バーダー・マインホフ 理想の果てに』  映画

ウリ・エデル『バーダー・マインホフ 理想の果てに』
 力作。冒頭、いきなりジャニス・ジョプリン“Mercedes Benz”の激烈な歌声から開始。ぐぐっとこちらの気持ちを引きつけ、掴みはばっちり。
 続く、ヌーディスト・ビーチ(!)での主人公の家族団らんのシーンの、くだらないボカシの連発で、がくっとしらけさせられ、配給の弱腰を呪うが、やがて続くデモ闘争のシーンにとにかく力が入っていて、すべて挽回される。

 その闘争は、イランのパーレビ国王夫妻の西ドイツ訪問のパレードの現場でおこる。国王万歳を叫ぶ中東系の学生たちと、親米派の近代資本主義の権化として国王夫妻を盛んに野次り倒す左派の若者たち。大量のエキストラ。
 両者間のただならぬ緊張を、左へ左へと進む動きが見事に表現。

 当初は互いを無視し合っていた両派だが、やがてキレた中東側が、左派側に角材持って殴り込みにかかる。それを止めようともせぬ警官隊。やがて何かのきっかけで、警官隊も警棒持って加勢にかかるが、しかし警官が暴力をもって征伐するのは左派の若者たちである。阿鼻叫喚の大惨事へ。
 やがて1人の警官が、故意か恐怖のあまりか、ついに銃を抜いて1人の若者を撃ち殺してしまうことで、この闘争はひとまずの終了となる。

 以後、ヴェトナム戦争の悲惨や、キング牧師やボビー・ケネディの暗殺などのニュースリールをリズミカルに織り交ぜながら、激動の時代をドラマ化していく。
 物語の中心は、女性ジャーナリストのウルリケ・マインホフと、活動家アンドレアス・バーダーらの、反帝国主義のテロリスト・チーム「バーダー・マインホフ」(後、ドイツ赤軍「RAF」)による一連の闘争。

 物語の後半は、オリバー・ヒルシュビーゲル『es[エス]』にも近似した、刑務所内での彼らの神経戦に傾くきらいはあるが、その分、もはや赤軍の活動は彼らの思惑を超えていき、第二、第三世代によるテロリズムは、拡大するものの本来的な意味は拡散していくという絶対的な真理を映画はおさえる。終盤の要人暗殺の連鎖などは、まるで『ゴッドファーザー』さえ思わせる無常感さえ漂う。
 つまりアクション映画としての興奮を維持しつつも、非常に限られた音響でそれを描くことで、うっすらと虚無をまとわせる。劇映画としてとても巧みに作られている。

 RAFのリーダー格、アンドレアス・バーダーを演じるのは、モーリッツ・プライプトロイ。スピルバーグ『ミュンヘン』にも出演している。エリック・バナのテロ開始以前の友人役だ。映画でも『ミュンヘン』が描く「黒い9月事件」は当然触れられる。何しろ、イスラエル選手団を人質にとった、「黒い9月」の要求の1つが、このウルリケ・マインホフとアンドレアス・バーダーの釈放なのだ。
 この映画はスピルバーグ『ミュンヘン』との関わりにおいても、必見だろうと思う。

2009/7/24

藤子・F・不二雄全集 刊行!  

 給料日。そして、狙いすましたかのように刊行される、「藤子・F・不二雄大全集」!
 朝日朝刊では、いきなりの1ページ全面広告で、朝っぱらから興奮冷めやらぬ気持ちで、帰宅帰りに即購入。そのずっしり感がたまらない。と思いつつ、これを全巻そろえたとして、いったい家のどこに置くのだろうと、鈍い不安が胸をよぎる。

 第一期全33巻の、第1回配本。
 『ドラえもん@』、『オバケのQ太郎@』、『パーマン@』。ドラえもんにいたっては、実に762ページ。
 通読はまだまだこれからの贅沢な娯しみだが、さくっとひもといただけで、3作いずれにも読んだ記憶のないエピソードが含まれ、これがまた興奮をあおる。

 藤子・F・不二雄のすばらしさは、ひとえに、その登場人物たちの行動における、「人としての正しさ」だ。人間が卑怯で弱くズルい存在であることを、前提にふまえたうえで、それでもなお踏み外さない一線というものを教えてくれる。
 藤子先生の作品を幼児期から熟読していれば、悪い人間に…なる可能性はあるが、少なくとも絶対に正しい人間になるはずなのだ。

 先日、うちの子ども達がポケモンかなんかの時にTVCFを見たらしく、「パパ、あれほしい!(特にうちにないオバQ!)」と言うのだが、「もちろん買うが、汚されたくないから、キミたちに読ませるつもりはないぞ」とうっかり言ってしまい、激しく後悔する。
 私も読むが、子どもたちにもおおいに読ませよう。ページを破ったり、落書きしたりしたら許さないが、本がバタバタになってもかまわない。暗記するほど読んで、その言葉と語彙の豊かさと、人のあるべき姿を心に刻み込んでほしい。
 今、手元にある新品の3冊の、あまりに美しい藤子先生の滑らかな描線を眺めつつ、そう思う。

2009/7/23

金田伊功 逝去  映画

 またも思いがけない方の訃報が入る。金田伊功さんが、心筋梗塞で亡くなった。57歳。若い。

 私はアニメ作画家の仕事を細かくフォローしているわけではないので、その業績の1億分の1も理解してはいない。けれど、金田さん担当パートは、どの作品であろうと一発でわかるというだけで、すごすぎる個性であり、才能だったと思う。

 私にとっては、ラステルを乗せたトルメキア船が風の谷に落下する一連のシーン。
 ナウシカがじっと気配を読みつつ、爺たちにメーヴェを持ってこさせ、落下する船に向けて飛び立つあたり。金田さん担当の、あのシーンの素晴らしさは語りようがない。
 奥歯をぎゅっとかみしめつつ、前方やや上を見ているナウシカの凛々しい表情。

 私は、葛城ミサトさんが、ネルフ作戦司令室のモニターパネルで戦況を見つめる時の、やや上から見下ろすアングルで、こちらをぎゅっと見据えたバストショットがたまらなく好きなのだが、金田ナウシカは、このミサトさんの表情に遠く影響を与えていると思えてならないのだ。ただの妄想にすぎないけれど。
 巨神兵の溶解シーンを担当した若き庵野秀明が、ナウシカの現場で金田伊功の技術を見つめていただろうことは、たぶん間違いないと思うし、金田ナウシカから、ミサトさんにまでエコーが届いていると想像すると、力ある才能の息吹はなんと不滅だろうかとつくづく思う。

 金田伊功の仕事を私ごときが語る資格はない。そのかわり、以下の引用を示すにとどめる。金田作画の偉大さをこれほど伝えてやまぬ描写はないと思う。
 島本和彦『アオイホノオ』(小学館)第2巻。ここでは実に8ページにわたって、金田伊功のすごさを語りまくっている。必読。
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写真:島本和彦『アオイホノオ』2巻(小学館)P.100より。金田礼賛ページはP.96〜103。
撮影:Incidents

2009/7/22

エレニ・カラインドルー“Elegy For The Uprooting”  音楽

 エレニ・カラインドルー“Elegy Of The Uprooting”(ECM)。DVDで。
 DVDも出ているとは知らなかった。音源そのものは、すでに2枚組CD化されている(2006年)。タワー価格でCDより安いので仰天。2005年3月、アテネでのライブ。

 言うまでもなく、カラインドルーはアンゲロプロスの作曲家。DVDが出てよかった。当たり前だがCDでは想像するしかなかった、コンサートの雰囲気がよくわかる。
カラインドルー本人もピアノで出演。彼女の顔や演奏タッチも、初めて見る。

 演奏会コンセプトとしては、『崖の上のポニョ』と同時DVD化された、「久石譲in武道館〜宮崎アニメと共に歩んだ25年間」に近い。
 あれほど贅沢に、超大人数のオケを編成してはいないが、オケのバックにスクリーンを置き、映画のワンシーンを投影しつつ、楽曲演奏がされる形式。
 そういえば、カラインドルー/アンゲロプロスは、しばしばフェリーニ/ロータの関係になぞらえられるが、曲調も映画のイメージも、宮崎駿/久石譲の方がより近かろう。

 編成は、小編成のオーケストラ(ソロのオーボエ、ファゴット、ハープ、アコーディオンが大活躍する)他、合唱隊とギリシャの民族楽器群、そして堂々たる女声ソロ。ギリシャ楽器については、なるほどこの音はこんな楽器で出していたのか、ということがわかり、とてもうれしい。琴のようなのから、まるで尺八のような楽器まで、実に興味深い。

 プログラムとしては、どちらかというと舞台劇『トロイアの女たち』の方がメイン。アンゲロプロス関連では、『エレニの旅』の楽曲が最多。
 もちろん、どれを聴いてもカラインドルー独特の、哀感あふれる旋律の連続。個人的には『霧の中の風景』のテーマに落涙。
 オケ後ろのスクリーンに、『霧の中の風景』の姉弟が寒々しい風景の中、たちずさむ姿を見せられつつ、あのリリカルなテーマを演奏されたら泣かずにいらりょうか。
 今の私の子どもたちが、この姉弟にだいたい近い年齢ということもあるんだが(2人の身長のバランスが、自分の子どもたちとほぼ同じなんだもの)。でも、これはまあ私事。

 アンゲロプロス/カラインドルーを愛する者なら必見の映像。
 ちなみにCD未収録のアンコールも、DVDにはしっかり収録。



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