2010/3/31

スティーヴン・キング『夜がはじまるとき』  

 スティーヴン・キング『夜がはじまるとき』(白石朗 他・訳 文春文庫)読了
 
例によって私的なことで恐縮だが、学生時分にロサンゼルスを貧乏旅行していたとき、なぜか流れ星を見ようということになり、高度3千だかなんだかの山に車で登った。
まったく完璧に何もない、マジでオオカミとか出そうな山道の途中に、公衆トイレ(?)があったので、そこで用を足そうと扉をあけた。
 開けて青ざめる。あたり一面、便器はもちろん、壁から床までびっしょりと、赤黒く染まっている。血の海だったのだ。鮮血は天井にまで飛び散り、手洗い場の鏡にも黒々と血痕がある。

 こんな光景は映画の中にしかあり得ない、と思っていたので言葉を失う。用を足すのも忘れて車に戻り、同行者に事態を伝えると、見に行った彼らも顔色失う。
 信じられない何かが起こったのだ。幸か不幸か、死体はなかった。
 よく考えたら、こんな人っ子ひとりいない道路に、トイレなんかなくても、そのへんの茂みで用を足せばよさそうなものなんだが。
 あわててその場を離れて、この話はお終いである。驚きのあまり、写真を撮るのを忘れたのが痛恨だ。
 
 このエピソードは、この本を読んだ今、唐突に思い出したのだけど、こうした体験をもとに、途方もない短編をしたてられるか、あるいはそのまま忘れてしまうかが、天才と凡才の違いなのだろう。つくづく思い知った。
 そんな感じの短編ばかり6つ。一向に枯れない作家である。

2010/3/30

『しあわせの隠れ場所』、『ウディ・アレンの夢と犯罪』  

 アラン・レネの合間を縫って。
 ジョン・リー・ハンコック『しあわせの隠れ場所』
 老若男女全員に見てほしい作品とはこのことで、アメリカ合衆国にはいい加減嫌気がさしても、アメリカ映画をやめられないのは、こういう作品が出てくるからだ。
 そして、選考の頓珍漢さにあきれながらも、アカデミー賞はごくたまに、こうした映画に光を当てる。(たとえば『ヤング・ゼネレーション』や『シービスケット』)

 宿なし同然の黒人少年をひきとって育て上げる、善意あふれる南部の主婦の物語。基本的に悪人は出てこない。子どもをうまく使う。年頃の少女も実にうまく使う。思春期で反抗盛りのはずだが、実に分別ある性格なので話が鬱陶しくならない。
お父さんは教育については一見、母親任せだが、必要なところはきちんと的確なアドバイスを与える。父権的抑圧などいささかもなく、家族の役割分担が的確なのだ。
 
 不幸な生い立ちの黒人少年の、出自のトラウマは最小限にして、ほとんど描かないことも賢明だ。不幸を強調せずとも、感動的なドラマを作れる見本のようだ。
 あと一歩うまく社会に馴染みきれぬ彼の、最大の長所が、誰よりも保護本能が強いこと、というのがいい。
 自分が愛する者は徹底的に守る。ここを伸ばすことで、本人も周囲も伸びていく。
 サンドラ・ブロックは言う。「私が助けているんじゃない。私が助けられているの」

 汎地球的に通用する物語としか言いようがない。この映画はあらゆる局面で的確だ。こうした映画を見て、少年・少女は映画に夢中になっていくのだ。

ウディ・アレン『ウディ・アレンの夢と犯罪』
 ツイッターでも少し書いたように、アラン・レネ『アメリカの伯父さん』を下敷きとしていることに、とにかく驚く。
 レネの「アメリカの伯父さん」とは、いつか幸せをもたらせてくれる、架空のアメリカに住む大富豪の肉親のことだった。
 けれど、この映画の「アメリカの伯父さん」は、とんでもない疫病神として、2人の兄弟の前に登場する。

 この映画がたとえば『タロット・カード殺人事件』ほどには、深い感銘を与えてくれなかったのは、犯罪(事件)の前と後とで、登場人物の状況にあまり変化が起こらないせいだろうか。決定的な事件が起こるのに、もう一つ起伏に乏しい。
 抽象的な言い方をすると、ウディ・アレンの映画とは「質量保存の法則」である。
 すなわち、反応の前後で物質の質量は変わらない。これを、アレン映画に当てはめるなら、「やってしまった」後に確実に状況に変化が起こって、その対応に追われはするのだが、しょせん人間のポテンシャル(質量)など、変わりはしないので、慌てふためくばかりであることの悲喜劇。これではないだろうか。
 
 相変わらず、とても隙のない物語で、つくづく舌を巻く。けれど、あともう一つ意外な何かを見せてほしかったな、という、ほとんどないものねだりな感想を持つ。

2010/3/29

「アラン・レネ全作品上映」その3  映画

日仏学院に場所を移して、アラン・レネ第3戦。
  『ヴァン・ゴッホ』(1948/18Min/DVD)
  『ポール・ゴーギャン』(1950/13Min/ベータカム)
  『ゲルニカ』(1950/13Min/DVD)
  『彫刻もまた死す』(1950-53/30Min/35mm)
  『アトリエ15の秘密』(1957/18Min/ベータカム)
  『六つの心』(2006/122mm/35mm)

 短編5本については、これを乱暴に「死に至る病」としての芸術・労働、と勝手に要約してしまおうと思う。
 『彫刻もまた死す』冒頭で、廃墟の中にごろりと転がされた、時代としてはいつのものとなるのだろうか、石像の数々が苔むし、または風雨にさらされた結果、表面がひどく醜く摩滅し、その姿からは、爆撃・虐殺の廃墟に残された死体の数々=『夜と霧』に通じる=を直ちに連想させられる。

 そのような深刻な想いにとらわれつつ見た、『六つの心』の清新さは、ちょっと衝撃的でさえあった!
 ここには、かつての『二十四時間の情事』や『去年マリエンバートで』に見る、映画芸術の権化のようなアラン・レネのイメージは微塵もない。

 英語による海外評のいくつかは、これを“ソープオペラ”と表現していて、まったく言い得て妙だと思う。
 海外のホテルで、何となくテレビをつけると、よくこういうタッチのドラマをやっているのを見かけないだろうか。
 途中からなので、何のことやらわからぬまま眺めていると、やがて短い音楽と共にCMとなり、また始まると、さっきとは場面が変わっていて、全然違う人たちが話しあったりしているというパターン。
 
 『六つの心』が、まさにそんな感じなのだ。もっぱらテレビドラマの音楽を手掛けてきた、マーク・スノウを起用したのは、そのためでもあるだろう。
 スノウ=雪、という冗談とも本気ともつかぬ駄洒落を、どこまで意識したかはわからないが、おそらく映画史上もっとも激しく、ひっきりなしに雪が降りしきる作品でもある。
 これだけ降り続けたら、記録的な豪雪となるだろうが、なぜかその雪は必要以上に降り積もることはない。そもそも野外の雪の風景など一度も写らないのだが。

 積もらないが、降りしきる雪。この雪を通奏低音として、「6つの心」が交錯する。
 冒頭、カメラは雪の降る街の遠景から、とあるアパルトマンにどんどん近付いて行く。やがてその一室の窓に外から侵入しようとして、よくこんなの撮ったなと思った刹那、女性の唇の大写しとなって、「狭すぎるわ!」の意味もなく無情な決然とした一言。
 このヒッチコック的導入の切れ味から、女性たちに翻弄される男どものドタバタが動きはじめる。

 その後、別に“唇”が映画を牽引するわけではないのだが、いずれにせよ“6つの心”は、接吻を含む他者に対する淡い期待のようなもの、を求めている。
 何しろ、いい歳の登場人物全員が独身である。正確にはランベール・ウィルソンとローラ・モランテは夫婦なんだが、ほどなく別居。それぞれ独身者であるかのように振る舞うので、全員独身とみる。
 ここに極めて低い現代フランスの結婚率という、アラン・レネが時事的な風俗を持ち込んだのかどうかは定かでない。

 けれど、そんな生活環境の中、『六つの心』は漠然とした期待の中で、動きかねている“風にそよぐ草”のような人物たちの、つましい物語であった。
 動きかねているから、ソファに座って、出るか出ないかわからぬビデオ映像を期待して、早送りボタンを空しく押し続けるアンデレ・デュソリエの姿が結局、すべてを代表する(だってうっかり先走ると(しくじった接吻)、大失敗するのだもの!)。

 さて、雪はやんで空も晴れた。部屋にこもっていられないから、外に出よう。ということで、動きだしてしまったが最後、結局どうなってしまうのか、というシミュレーションが、次回作『風にそよぐ草』であった。
 ここではもはや、“淡い期待”はちっとも淡くなくなり、盲信にも似た明きらかな“期待”に変わる(だからストーキングする)。
 (ここで“外に出る”ことの口実が、「止まった時計」の電池を変えることだった、ということは、いくら強調してもしたりない)

 もはやアラン・レネはかつてと同じ、“時間と記憶”の作家ではない。ほとんど新作を見る機会を閉ざされていた日本の私たちは、アラン・レネのことなど何一つ知らなかったのだ。

2010/3/27

アンネ=ゾフィー・ムター「ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ全集」(DG)  音楽

 アラン・レネ『メロ』で重要なモチーフとなった、ブラームスのヴァイオリン・ソナタ。
 まさに折しも、アンネ=ゾフィー・ムター/ランバート・オーキスの最強コンビによる、新譜「ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ全集」が出た(ドイツ・グラモフォン)。
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 ムターのほとんどファシズムすれすれの、響きに響く分厚い音色は、ブラームスの激情が最もふさわしい。
 ブラームスという人は、自身がピアニストであるが、その書くメロディはよくビブラートがかかった弦楽器によく似合う。

 ベートーヴェンをこそ至高としたブラームスは、けれど受け継いだのはそのスケール感と、ロマンチシズムであって、“苦悩を経て歓喜に至る”という肝心な部分がまるでダメだった。
 ブラームスはたぶん、ベートーヴェンがイメージした唯一無二の“歓喜”に並び立つ、もう1つの“歓喜”を作ることをよしとしなかったのではないだろうか。
 それは、敬愛するシューマンの妻であるクララへの、おそらくは「純愛」を貫いたこととも重なるような気がする。
 自分の音楽を、ベートーヴェンの“歓喜”と並べることなどできないように、クララの“夫”として、自分をロベルト・シューマンの後に座ることなど、できはしないということだ。

 ブラームスにとっての“歓喜”、その別名を仮に“クララ”と名づけよう。夫ロベルトの死後に、クララの再婚相手として名乗りをあげぬ、ブラームスの純情あふれる生涯は、常に“歓喜”の途上にあったと言えるだろう。
 だからその書く音楽は、決して至ることのない“歓喜”の過程の、“苦悩”だけが残る。

 後年、その残された作品を聴く幸せに恵まれた私たちは、ベートーヴェンなしでは生きられないかもしれないが、ブラームスなしでも生きられないのだ。
 ブラームスのいない生活は、きっと何かを欠く。

 クララ・シューマンは1896年に、77歳の高齢で亡くなる。
 彼女より14歳、一回り以上年下のブラームスは、クララが亡くなった翌年の1897年に後を追うようにこの世を去る。死因はガンとされているが、しかし何たる純愛だろうか。

 そのようなブラームスのメロディを演奏する者は、決して抑制的であってはならない。だからこそムターのヴァイオリンが求められる。
 ムターはブラームスのソナタ全曲を、1982年19歳の時に、アレクシス・ワイセンベルクのピアノで録音済みで(EMI)、その28年前の演奏も誰にはばかることのない、怒涛の超絶音色で歌いに歌っているが、この新譜の勢いはその比でなく、さらに進化している。何しろ、28年前のムターに比べて、おそらく体重は減ったと思われるが、立場が違う。
 それに演奏時間がより長くなっている。
 ことに1番なんか、各楽章で1分ほど長い。そこまで徹底的に音を響かせているのだ。
 
 その1番。アラン・レネの『メロ』では、この曲を「ブラームスの愛の告白なんだ」とアンドレ・デュソリエが説明した。
 この映画での彼の独白は、ヴァイオリニストである彼がこの曲を演奏中、客席にいた恋人が、他の男との愛の目配せを、舞台上から発見してしまう、という内容だった。
 
 言い伝えでは、ブラームスがクララの死後、友人のヴァイオリニストと、静養中の別荘でこの曲を演奏している折、不意にクララへの追慕がこみ上げて来て、演奏を続けられなくなり、庭に走り出てしまったという。

 しかし『メロ』のアンドレ・デュソリエの方は、その時、感情をかき乱されながらも、この曲を演奏しきったという。しかもその結果は、かつてないブラヴォーの大盛況だったと。
 ここから『メロ』の物語は、ブラームスの純愛を裏切り続けることになるだろう。

 翌日、デュソリエは、彼の部屋に来た親友の妻、サビーヌ・アゼマと、この曲を演奏する。が、第一楽章の主題を弾きかけて、その弓を彼女の心臓に突き刺すかのように突き付け、「遊んでいるだろう」と、夫に秘めた彼女の奔放な性生活を見破るのだ。
 ブラームス的ストイシズムを、言葉だけでは示すデュソリエだが、ほどなく2人はこの曲(とバッハ)に導かれるように、性の地獄へと転げ落ちていく。
 そして、映画の中で以後もう一度だけ、この曲が繰り返されるとき、その時こそ本当の純愛の曲として奏されるだろう。

 ブラームスのソナタは、これほど恐ろしい激情を秘めた楽曲である。
 そして、そのような曲の魔力を十二分に引き出すためには、アンネ=ゾフィー・ムターの悪魔的な音色しか、絶対にダメなのだ。
 名演を超えた、超凄演である。

2010/3/26

「アラン・レネ全作品上映」その2  映画

 「アラン・レネ全作品上映」於ユーロスペース。
 2戦目。いい感じで業務収めになって午後から渋谷へ。よかった。今日の3本は以下。

 『巴里の恋愛協奏曲』(2003/115Min/35mm)
 『メロ』(1986/112Min/35mm)
 『風にそよぐ草』(2008/104Min/35mm)

 封切以来久々に再見する『巴里の恋愛協奏曲』の、幸福感みなぎるミュージカルの悦楽に目頭が熱くなり、しかし『メロ』を偏愛する身としては、こちらを見たら『巴里の恋愛協奏曲』の感動が、すっかり『メロ』にさらわれた。
 そして、最新作『風にそよぐ草』の自由闊達さに、感動するというよりは、愕然としてしまって言葉を失う。

 『風にそよぐ草』の一般公開は未定なのだそうだが、そんな事態を許すわけにはいかない、と自分では何もできない癖に思うものの、一般封切に踏み切れない気持ちもまたわかる。何の映画なのか、まったく説明のしようがないからだ。「アラン・レネ最新作」という以外に売り文句が見当たらない。
 この映画の得体の知れなさは、スコリモフスキ『アンナと過ごした4日間』にとても似ていると思った。あまりにも屈折した純愛ものである。

 『巴里の恋愛協奏曲』と『メロ』の2本は、レネの「20年代もの」とひとまず言えようか。前者は1925年を舞台とする、同年に発表されたオペレッタの映画化。後者は1926年を舞台とする、アンリ・ベルンスタインによる1929年の同名戯曲の映画化。
 しかし『巴里の恋愛協奏曲』のただごとでない、ハッピー感覚のミュージカルに対して、『メロ』の深刻極まりないストレートプレイ。
 レネのまったく違うルックを持った作品が、けれど例によって“記憶”を巡る―しかし、ここではそれをいかに打ち消すか―という点でまったく同じベクトルを持つ。
 そして、どちらの作品も画面に舞台の幕を写し出す。
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写真:『メロ』より。ここで曲はブラームスからバッハにおもむろに変わる。この曲は、彼にとって苦い愛の記憶でもある。写真リンク元

 それにしても『巴里の恋愛協奏曲』の楽曲の豊かさはいかに。この音楽の美しさの多くは、ほとんど全ての曲がアンサンブルになっていることだ。独唱がない。
 2重唱が3重唱になり、果ては7重唱にまで展開していく。その根本はズバリ、ハーモニー。ことに3人の少女たちが「キスして、キスして」と、声をそろえて歌う和声の美しさ。いや、長3度の和音はかくも美しいかと痛感させられる。または主演者3人による、華麗なフーガ。

 まったく出し惜しみすることなく、音楽を全面展開する『巴里の恋愛協奏曲』に対して、『メロ』はブラームスの感情が高まるところで、ピタリと音楽を止めてしまう。
 その代わり、ここでは奔流のようにあふれ出すダイアログに、惜しみがない。
 2本を同時に見ることで、アラン・レネがいかによい耳をした監督か、ということがよくわかる。

 問題の最新作『風にそよぐ草』だが、『X-ファイル』の作曲家マーク・スノウを音楽に迎えて、まるでアメリカ映画のような音楽のつけ方をする、奇っ怪な映画なのだが、作品そのものも奇怪極まりない。
 どう奇怪なのかは、説明が難しいのだが、登場人物が次に何をどう行動するか、どんな感情が芽生えるかが、まったく予想がつかない、ということだ。少なくとも私の人生経験の中にはない。
 
 ことの発端は、サビーヌ・アゼマがひったくりに会い、現金を抜いて打ち捨てられた彼女の財布をアンドレ・デュソリエを拾ったことにある。
 拾ったデュソリエは、財布の持ち主が女性と知るや、あらぬ妄想とふざけた期待のとりことなるのだった。
 私はこれをアラン・レネの、ひねりにひねったアメリカ映画回帰と、仮説をたてているが、それに対して確信があるわけではない。
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写真:『風にそよぐ草』より。映画館とカフェ。この写真の上の方にある“SUSHIYAKI”という謎の食べ物はスキヤキのただの間違いなのかな?映画館でかかっているのは『トコリの橋』 写真リンク元
 
 ともあれ、風にそよぐ草は、いくら風が吹こうとも生えているその場を、びくとも離れることはできないが、人はどうとでも動き回れるのである。
 動き回るといえば、この映画は「電話に出る」ということの労働の億劫さを描いてもいるわけだけど。
 『風にそよぐ草』のつかみどころのなさは、人間のつかみどころのなさでもある。それはつまりアラン・レネのつかみどころのなさなのだが。

2010/3/24

青山真治『シネマ21 青山真治映画論+α集成』  

 青山真治『シネマ21 青山真治映画論+α集成 2001-2010』(朝日新聞社)読了
 私がこの本について一番好ましく思ったのは、すでに相当な分量があるだろうに、著者の対談・インタビュー・講演など、要するに「口語篇」ではない、ということだった。
 すべて書かれたものであるということ。話されたものや、つぶやかれたものは、瞬発力は確かにあって、場合によっては、言葉の切れ味で勝るかもしれないが、集中して執筆されたものに勝る濃度は望めない。

 本書の白眉はやはり「InterCommunication」誌に連載された、「アメリカ映画の現在」だろう。この一連の論考は、たとえば安井豊さんがかつて提示された、「キャメロンの時代」という主題の意味が、「カイエ・ジャポン」や『ロスト・イン・アメリカ』の頃は、正直よくわからなかったのだけど、ここでは実にすっきりと腑に落ちるように書かれている。
 そして、ここで(2004年から2006年の連載)「「見ること」への執拗さ」と指摘されたキャメロンの基本姿勢は、そのまま『アバター』に踏襲されているという、この先見性に今回改めて驚かされた。

 そして、これだけ的確かつきめ細かに「アメリカ映画の現在」を活写できるのは、スピルバーグとイーストウッドという定点からの距離測定が、徹底されているからだろう。
 また、それを可能にするのが、丁寧で誠意ある映画との接し方である。
 
 私なんかは、「こんなの見てられないから劇場脱出!」とか、作品に対して、しばしば不誠実な態度をとることがあって、それを書くのをためらわなかったりするのだけど、本書600ページ中のいずこにも、そのような汚らわしい振る舞いや言葉は書かれていない。
 そして映画に対する誠実な姿勢、いっそ言ってしまうと精神性のようなものは、ダニエル・シュミットの助監督として就くきっかけとなった、『書かれた顔』の足場組み立ての肉体労働を回想するくだりなどに、よりよく見える。
 同様に『月の砂漠』が出品されたカンヌで、孤独に打ちひしがれていた時、その「主演女優」に声をかけられたこと。
 このあたりは、近著『地球の上でビザもなく』を彷彿させるが、これもまた映画との生真面目な付き合いあればこそだろう。
 
 「愛されたければ、まず自分から愛さなければ」という、『ペリーヌ物語』のセリフのように、映画から愛されるには映画を愛するしかないはずなのだ。
 そしてこの本のどのページをとっても、(文学関連の文章も収められているとはいえ)映画に対してだけ発信された愛が書かれている。

 しかし本書が書かれた2001年から2010年までの期間、こうしてみると短いようで実に長い。スピルバーグでいうと実に『A.I.』から『クリスタル・スカルの王国』までだ。
 青山真治では『月の砂漠』から『サッド ヴァケイション』まで。
 で、私はというと、この10年間に、映画が好きだと自信を持って言えるような、いったい何を映画に対して為したろうか。

2010/3/21

「アランん・レネ全作品上映  映画

「アラン・レネ全作品上映」於ユーロスペース。
 まずは初戦。最終の『アメリカの伯父さん』の会では、劇場のあちこちで、六本木からの帰りとおぼしき方々が、嬉々としてミア・ハンセン=ラブのサインを見せあっておられ、大いに嫉妬する。根本的にスケジューリングを間違ったように思えてならない。

 今日の上映は3本
 『ミュリエル』(1963/116Min/35mm)
 『戦争は終わった』(1966/121Min/35mm)
 『アメリカの伯父さん』(1980/125Min/35mm)

 いずれも中学から高校の時に見ているので、再見にはなるが、そんな子どもの時に見たっきりだから、初見のようなものだ。当時まだトリュフォーも存命であり、『アメリカの伯父さん』を封切で見た当時、まだ『終電車』も封切られてなかったんだな、となんだかしんみりしてしまう。
 これは記憶が定かではないが、確か『アメリカの伯父さん』は高校受験が間近なので、映画はこれで最後にしようと、夏休みに入ってすぐに見た1本じゃなかったかと思うが、どうだっけ。いずれにせよ今日再見できて、ものすごく懐かしかった。

 この3本を巡って、いつものタッチで書くことはできないが、まだゴダールといっても、『勝手にしやがれ』と『気狂いピエロ』の2本しか見ていない中学生にとって、アラン・レネの方が断然カッコよく見えたのだ。
 『去年マリエンバードで』というタイトルがまた素敵に思えた(『勝手にしやがれ』だなんてタイトルのダサさは、今でも感じているが、子ども心にはなおさらだった。ついでに『大人は判ってくれない』というタイトルのダサさも、どこか許せなかった)。
 
 アラン・レネがカッコよく思えてしかたなかった、中学時代の私の感覚は、ひょっとしたら今の私の吉田喜重好きに通じるのかもしれない。大島渚も好きどころの騒ぎではないが、やっぱり吉田喜重だもの。
 ずっと後に(というかごく最近)、吉田監督の最愛の一本が『二十四時間の情事』と知って、いかにも然りと思ったものだ。

 そのカッコよさは、今日『ミュリエル』と『戦争は終わった』を見て、いささかもあせてはいなかった。
 ことに革命家イヴ・モンタンの3日間を描く『戦争は終わった』では、その3晩において最初の晩にジュヌビエーヴ・ヴィジョルド、次の晩にイングリッド・チューリンを抱くという、男冥利に尽きるわけだが、その2回とも、いかにも最後の一滴まで子宮の一番奥深くに、存分に注ぎ込み尽くしたと、生々しくわかる描写の鮮烈は、今の目にもまったく健在だった。これに少しでも肉薄するのは、ヌーヴェル・ヴァーグではゴダール『恋人のいる時間』冒頭くらいか。

 そんなことよりも、60年代レネの核心である、記憶をめぐる時間の錯綜。時間を何度も生き直すレネの時間のあり方を見ていると、それを翻って自分の時間を見直し、自己を見つめ直すことを迫られる。
 けれど、そこにごろりと唯物論的に横たわっているのは、まだ戦争の荒廃がうっすら残る、『ミュリエル』の野外風景なのである。
 そして、その荒廃が唐突に『アメリカの伯父さん』の一連の風景の中に挿入されるとき、動くことも錯綜することもない、禍々しくも固定化されてびくとも動かぬ、歴史の爪痕というレネの信念も見えてくる。そこには、“複数の歴史”もへったくれもない。
 
 今日この3本を見て、外観上の難解さを脇におくと、レネがいかに一貫した視線を持っているかが見えてくる。未公開作品も膨大なアラン・レネは、まだ完全に咀嚼途上である。

2010/3/20

『NINE』、『マイレージ・マイライフ』  映画

 ロブ・マーシャル『NINE』
 これを見るなら、アニー・リーボヴィッツが、セレブたちを撮影する“VANITY FAIR”誌のメイキング映像を眺めている方が、ずっとゴージャス感を得られると思うのは、誤見も甚だしいだろうか。
 なぜかこう、個々の俳優たちがスクリーンの中で一体感がないのだ。一緒にいない。だから絢爛豪華な女優たちが次々と出るのはいいが、とっかえひっかえという感じなので、彼女たちが単に消費されているかのようだ。
 
 ペネロペ・クルスのパフォーマンスは、確かに生唾ものだが、その場面が終われば、素に戻って「おつかれー」と帰って行く姿さえイメージしてしまう。
 もっとも、そんなとっかえひっかえ感が、どんな女性とも精神的コミットを果たせぬ、ダニエル・デイ=ルイス演じる主人公の孤独な内面を表しているのだ、と反論されれば返す言葉はない。

 予告編を見たとき、これはすごそうだと思ったのは確かだ。けれどそれも道理で、ペネロペ・クルス、二コール・キッドマン、ケイト・ハドソン、ファーギーのパフォーマンスを個々に切り出せば、確かに見事の一言に尽きる。でも、それらが映画の中の良き連続としてつながらない。
 かつて“MTV映画”と、もちろん賛辞でなく、蔑称として語られる一連のジャンルがあった。それを持ち出すなら、『NINE』こそ今さら登場した“MTV映画”だろうか。
 
 たとえばニコ様とペネ様が手をとりあって、デュエット・・・はそういうナンバーがオリジナルにないのだから、しかたがないけれど、二人が微笑み合うとか、そうしたスキャンダラス(?)なショットが、せめて1つでもあったらと思う。
 衣装係と思しきジュディ・デンチが作る服を、映画の中の誰も着ないなんて、映画のセオリーとしてあり得ない。
 あるいは、わざわざソフィア・ローレンを引っ張り出しながら、極めてフェリーニ的な肉体を持つ、ファーギーとのしのぎ合いがないのはどうしたことか。

 ミュージカルを蘇らせるとは、痴呆的ともいえる、全き2時間をスクリーンの中に再現することだろう。しかし『NINE』には、そうした演出がまるでない。
 精一杯きらびやかな映画の体裁をまとってはいるが、まるで“映画”の輝きを感じられなかった、これは私の不幸だったろうか。

 ジェイソン・ライトマン『マイレージ・マイライフ』
 すばらしかった。半分以上が未見の、今年のアカデミー作品賞候補の中で、もし自分に投票権があれば、これに入れた可能性がある。

 この映画は、現在アメリカの価値観を示して、とても面白い。アナ・ケンドリック演じる、大学を主席で卒業したばかりのナタリーは、これまでジョージ・クルーニー演じるライアンが大切にしてきた、人間同士の触れ合いの中で割り切る、解雇通告という仕事を、TV会議に代えるという改革案で入ってくる。これで、膨大な出張費の削減になるはずだと。

 そんな彼女は、一見ドライなMBA仕込みの改革派だが、実は家族願望が強く、働きながら子どもも持って家族団欒を夢見る、保守的家族感を持ち、そもそも就職先もカレ氏を追っかけて決めるという、年配のクルーニーにすれば、どこかねじれた観念を持っている。
 逆にクルーニー(要するに80年代に青春を送ったバブル世代だ)は、人の気持ちの大事さを説くくせに、家族を避け、家さえ持たないドライなライフスタイルで、逆に若年にしてみればこれはこれで、どこかねじれた人生観の持ち主である。

 この2人が組んで仕事が始まるが、この映画は最後までこの人たちの「ウソだろ?」といった表情で進められる。
 思えば、この10年の合衆国は、何から何まで「ウソだろ?」という事態の連続だった。911に始まり、ネオコンの台頭、異常気象、とどめは100年に一度の歴史的大不況と、すべての価値観、イデオロギーが転換を迫られている。
 その上で、この映画の最良の部分とは、すべての価値観に対して押し付けがないことだ。それぞれの人に立場があって、互いの価値観に接して、「ウソだろ?」という場面に直面する。
 人間関係なんて元来そうしたものだが、この10年の合衆国ほど、互いの価値観の押し付けがましさが推進された時代もまた珍しかろう。まるで冷戦時代の、それも赤狩が吹き荒れた頃に近く、ネオコン一派はもちろん、それに反する側もまた同様であった。

 ここで、この映画が、イデオロギーの押し付けを排した、身の処し方を見せてくれる
 それにはまず、ゆっくりと、相手の目を見て、大きな声を出さずに語りかけるということであり、それはそのままジョージ・クルーニーの話し方に通じていく。
 オースン・ウェルズから、ハーバート・マーシャルまで、美声俳優の系譜というものがあるなら、現代における第一人者はクルーニーであるはずで、彼の美声がオープン・イデオロギーのあるべき理想を見せてくれる(同時にその限界も)。
 彼と価値観が一致する恋人を演じるヴェラ・ファーミガ(この人がまた実に名演)もまた然り。
 
 道は容易でない。ラストのクルーニーの表情は、先行きの困難を示して余りある。同じ空撮でも、オープニング・クレジットとエンド・クレジットでは、写しているものが違う、ということにも敏感でありたいと思う。
 これは現代アメリカの確かな名編と信じる。

2010/3/18

英「EMPIRE」誌 特集「バック・トゥ・ザ・フューチャー25周年」その2  映画

“EMPIRE”誌4月号「バック・トゥ・ザ・フューチャー25周年」特集記事の続き。
 私事に堕すが、思えばこの映画には、ずいぶん人生振りまわされた。カルバン・クラインの下着をはくようになったのは、この映画を見てからだ。おかげで、今もはいている。
 しかしそれをリー・トンプソンに見せる機会は、とうとう訪れなかった。
 まあ私の下着のことはどうでもいい。スピルバーグ×ゼメキス×ゲイルによる、思い出話の続き。
*****

 ゼメキスが回顧する。一番の悩みはマイケルに寝る時間がないということだった。野外シーンは、週末の日中に撮るが、撮影は夜間に限られた。彼が思い出せる限り、太陽の光を見た記憶がないのだと言う。
 ボブ・ゲイルは、全キャストがそろう食事シーンが何しろ困ったとのことで、夜のリハーサルでは全員がいるが、翌日の撮影はマイケルなしで行われる。だから、彼の代役にセリフを言ってもらい、それに合わせて他の俳優が演技をするというありさまだったとか。
 
 このマイケルの多忙ぶりは、日中『ファミリー・タイズ』の撮影を行い、夜に『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を撮るという、当時の彼の殺人的スケジュールのことを指す。

 スピルバーグはというと、現場にはあまり来なかったようだ。週に何回かは現場に来たが、長居はしなかったと言う。だって、自分以外の人間が映画を作っているところなど、退屈なだけだと。

 ここで、ゼメキスがマーティの父親、ジョージ・マクフライを演じた、クリスピン・グローバーへの愚痴をひとくさりする。
 彼を手なづけるのにはとにかく苦労したと。彼は演技解釈に、たっぷり持ち時間の半分をかける。
 学校の食堂で、彼が一心不乱に小説を書いているシーンでのこと。よく見ると気がつくのだが、彼の顔は腫れあがっていて、目は充血して真っ赤なんだ。それというのも、クリスピンは、ジョージが物を書く時は、髪の毛がピンピンと、逆立っていなければいけないんだと主張する。
 しかし、そんなことをされると、昨日撮影したシーンと画がつながらないんだよ、と教えてやる。すると彼がいうには、「マーロン・ブランドだってつながってないさ!」

 この映画は2度のスニーク・プレヴューを行ったそうだ。
 1度目はサンホセで。観客は、この映画の予備知識をまったく与えられておらず、ただマイケルとクリストファー・ロイドの映画、ということだけ知らされていた。
 だから、時間旅行の実験に、ドクが犬のアインシュタインだけを車に乗せるとき、観客はみな犬が死ぬんじゃないかと、不安そうな反応を示したという。
 観客の中には、スピルバーグも混じっていたのだが、その成功たるや『E.T.』のとき以来だったとのことだ。
 どのシーンも、爆笑に次ぐ爆笑。映画が終わる頃には、観客は全員この映画のとりこになっていたんだと、ボブ・ゲイルとスピルバーグがそれぞれ語る。

 ゼメキスがしみじみと語る。映画作りでは、ぼくたちが経験したような危機に直面したら、その映画は不幸なんだ。作るに値しない。どうやってもダメなんだ。
 ゲイルがそれを受け、私たちが主役を交代させたとき、完成は8月半ばになりそうだった。試写での爆発的な成功の段階では、まだ特殊効果が入っておらず、最後の方などモノクロになっているし、編集もラフなものだったのだ。
 それでも観客は、完全にこの映画に魅了されていた。
 この時の、シド・シャインバーグとゼメキス&ゲイルの会話がいい。

 シャインバーグ「よし、構成は変えるな。7月4日までには完成させられるか?」
 ゼメキス&ゲイル「小切手を書いてくれませんか」
 シャインバーグ「いくらかかってもいい。やれ」

 ここから、ゼメキスの快進撃が始まる。「アドレナリンがみなぎったよ」と彼は言う。撮影が快調に進んでいく。かくして、この記録的なヒット作は誕生するのである。

 ここから先は逐語訳的に紹介する。権利のことも心配なので、昨日同様に、重要なところだけを拾う。完訳ではないから念のため。

ゼメキス:「1作目を作ったとき、続編のことは考えていなかった。ラストで車が飛ぶのはジョークのつもりだったしね。これほどのヒット作となると、もはや作品は会社にとっての財産となる。映画監督の意思を超えてしまうんだ。だから決断を迫られる。続編は必ず作る。お前はそれに関わりたいか、関わりたくないか? 自分の作品を守るためには、答えは1つしかない」

ゲイル:「続編の第一稿は、ほとんど私ひとりで作った。ゼメキスは『ロジャー・ラビット』の準備に入ったからね。映画の第3章では、マーティを1955年でなく1967年に連れていくんだ。今度は60年代を描く。ジョージ・マクフライは大学教授になっていて、マーティの母親ロレインは、フラワーチルドレンというわけだ」

ゼメキス:「ボブと私は顔を見合わせて言った。「今の俺たちならやりたいこと何でもできるぞ。俺たちは今、非常に特別な立場にいる。過去の続編ではできなかったようなことを、何だってできるんだぞ。続編では、1作目の出来事を別の立場から見るようにしよう。そうしたら、観客は1作目をもう一度違う視点で楽しめるんだ」

ゲイル:「スタジオの私たちに対する態度はこうだ。あなたたちは、バック・トゥ・ザ・フューチャーの作者です。これほどのヒット作はかつてありませんでした。だから、あなたたちほど、その作り方を心得てる人物はいないでしょう、とね」

ゼメキス:「ボブと私が実のところ、一番作りたかったのは、3作目の話だったんだ。けれど、そこに行きつくための脚本は165ページもの分量になった。映画にすると2時間半になる。当時として、それはあり得ない長さだった」

ゲイル:「スタジオはすぐにも続編をほしがっていて、予算はふくらんできている。そこで思った。物語の材料はそろっている。映画を2本にしてしまおう。5千5百万ドルで1本の映画を作るより、7千万ドルで2本作ろうじゃないか」

スピルバーグ:「シド・シャインバーグのところに、そのアイディアを持っていったんだ。ボブとボブのお騒がせ2人組とアンブリンがまたいかれたアイディアを持ってきましたよ。長い続編を作りたいんです。続編2本分のね」

ゼメキス:「シドは私たちをじっと見つめて言ったんだ。「最高のアイディアか、最悪のアイディアか、どっちかってことだな。よし、やれ!」だから作った。俳優たちをもう一度全員呼び戻すわけだが、あまり人にはお勧めしない。大変すぎる」

ゲイル:「クリスピン・グローバーは彼のキャリアとしては、いささか法外の要求を出してきた。いいだろう。彼なしで作ろう。もう1つの1985年にはジョージ・マクフライは墓石に入っている」

ゼメキス:「2作目の編集は、3作目を撮影しながらのことだった。PART2は、映画が本来あるべき明るさがない。十分な時間がなかったんだ」

スピルバーグ:「2作目というのは、3部作にあっては誰もが経験する鬼門なんだ。『魔宮の伝説』もそうだ。どうしても暗くなる。観客も1作目で感じただけの反応をしてくれない。でもこのPART3は好きだ。すべてが西部劇だからね」

ゲイル:「私はPART2の宣伝のされ方が気に入らなかった。私の考えでは、この2作目は3作目につながるパート2だとわかるよう宣伝すべきと思っていた。2作目が完結していないなんて、観客としては納得いかないだろう」

ゼメキス:「個人的には、2作目は私がこれまで作った映画の中で、一番面白いと思ってるんだ。純粋にアヴァンギャルドで、純粋に常軌を逸してる」

ゲイル:「3作目については、マーティの家族のことは、もう描き切ったものと決めていた。物語はドクに集中しよう。誰もが想像もつかぬことをしたい。恋に落ちるドク・ブラウンだ。こうして3作目は、クリストファー・ロイドが、映画の中でキスをする初めての作品となった」

ゼメキス:「かつての映画監督が、みな西部劇を作った理由がよくわかったよ。アメリカ大西部に足を運ぶ。目がくらむほど広大な大地。こんな楽しいことがあるか」

ゲイル:「撮影はジョン・フォードのモニュメント・バレーだ。最高の経験だったよ。ただ、ものすごく寒くて、気温マイナス8度なんだ。太陽は輝き、ドクはアロハみたいな服を着ている。だから映画で見る限り、よく晴れた温かい日と思うだろう。でも、ゼメキスが「カット!」と言った瞬間、エスキモー服を着込んだスタッフが、俳優にローブを着せるんだ」

スピルバーグ:「たった1つ失敗だったのは、3作目を2作目とほとんど間をおかずに、公開したことだった。あと8カ月公開を遅らせれば、PART3はさらに収益をあげたろう」

ゼメキス:「バック・トゥ・ザ・フューチャーPART4は絶対ない。作るべきでもない。何につけ4作目というのはあってはいけないと思う。3というのは劇的な数だし、“3幕もの”って言うしね。4という数はとかく退屈だ」

スピルバーグ:「1作目はもはや、ファンタジーの古典と言っていいだろう」

ゲイル:「今や“バック・トゥ・ザ・フューチャー”というのは慣用句化しているんだ。今でも雑誌の見出しなどによく見かけるし、レーガン元大統領が、一般教書演説でもこのフレーズを使ったくらいだ。時間旅行ものは金にならないと言われてきたけど、今やこの映画は一種のイコンだ」

スピルバーグ:「私にとって、これは一種の善行だよ。2人の逸材を見出し、機会を与えたんだ。息子が優秀な成績で卒業した父親のように、誇らしい気分だよ。私は自分が彼らの父親のように感じているんだ。2人を育てたことの光栄は、言葉にならないくらいさ」

ゲイル:「妻と2人で『無ケーカクの命中男/ノックト・アップ』という映画を見に行ったんだけど、その中にデロリアンを持ってたら何をする? という会話シーンがあった。すると、女の子の方がその映画見てないって言う。びっくりして妻に言ったよ。「非現実的な映画だ。バック・トゥ・ザ・フューチャーを見ていない人間なんているはずない」」

以上

2010/3/17

英「EMPIRE」誌 特集「バック・トゥ・ザ・フューチャー25周年」  映画

 イギリスの“EMPIRE”誌4月号が(250号記念号)最高に面白い。
 いくつもの刺激的な特集記事がある中、一番の読みものは、「バック・トゥ・ザ・フューチャー25周年」だ。
 スピルバーグと、ロバート・ゼメキスと、ボブ・ゲイルが集まって、「BTTF」について大いに語っている。10ページにわたる記事だ。

 私事に堕すが、思えばこの映画には、ずいぶん人生振りまわされた。ここに何度か書いたが、あの時計台を中心とする街は実際にあるはずだ、と根拠なく盲信し、死ぬほどバイトして1986年に初めてのLAに行った。ユニバーサル・スタジオに本当にあった。
 コンパ(死語?)での持ちネタは、マイケル・J・フォックスの物真似だったが、ウケたためしがなかった。よせばいいのに、スケボーを試して大けがもした。
 さらにあろうことか、大学を出てバンク・オブ・アメリカに10年も勤めた。本物のデロリアンを買おうと、ずいぶんがんばったが、これはさすがに買えなかった。
 しかし、もう25年もたったのだ。

 まあ、こんなことを書いても、読んでいただく方に失礼千万なので、“EMPIRE”誌の、スピルバーグ×ゼメキス×ゲイルの発言を以下に紹介する。
 あまり書きすぎても、権利的にまずいと思うので、私自身のコメントを交えつつ、適当に端折りながら、再構成していることは、お断りしておきたい。

*****
 ボブ・ゲイル(共同脚本・製作)によると、事は彼が、故郷のセントルイスに帰省した時にさかのぼる。彼が実家の地下室をあさっていると、父親が高校時代の年鑑を発見した。
 何となく眺めてみると、何と自分の父親が卒業生総代だったことを初めて知る。自分が高校の頃は、総代になるような奴とは、まったく無縁だった。そこで思った。
「マジかよ。もしオレが父さんと同じ学校だったら、こんな奴とは友だちになれねえな」
 と、こんな思いを抱きつつ、LAに戻ってくる。

 その話を受けて、ゼメキスが語る。
 僕たちは、まったく新しいタイムトラベルの物語を考えた。高校生が、つい最近の過去、つまり自分の両親の高校時代に行く。恐竜時代に行くわけじゃない所が、新鮮だった。
 そこへスピルバーグが、プロットがキャラクターを産み出し、キャラクターがまたプロットを編みあげている。見事な物語だったんだ、と、ひどくややこしい言い回しをする。
 頭に浮かんだのは、ビリー・ワイルダーだった。非常に厳密なストーリーなんだが、マイケル・J・フォックスとクリストファー・ロイドが共演できる程度には、ゆるい物語なんだ、とかさらに適当なことを言う。

 ゼメキスはというと、過去のタイムトラベルものに対する反逆の意思が垣間見え、この人の意識が、「BTTF」の面白さの1つを形成したと実感させられる。
 「一番のポイントは、時間旅行とは、時間の行き来であって、空間の移動は伴わない、ということだ。タイムトラベルものの多くは、そこを間違えている。百年前に行くのはいいが、同時にLAからイギリスにまで行くなんてことは、あり得ない」

 このあたりで、スピルバーグが製作秘話を少しづつ明かし始める。
「脚本第一稿のタイムマシンはあまりよくなかった。車ではなく、一種の“部屋”で、もちろん動かなかった。ゼメキスとゲイルが、タイムマシンがデロリアンだという設定を思いついた時、すべてがうまく行き始めた。これならどこにでもプレゼンできると思ったよ」

 ここまで話を聞くと、「BTTF」の第一稿はかなり暗く、つまらない話だったんじゃないかと思えてくる。よくスピルバーグは話にのったな、と。
というのは、ボブ・ゲイルはこんなことも言い始めるからだ。
 第一稿では、高校生のマーティは、人生に打ちひしがれていて、自殺さえ考えているような子どもだった、と。
 さらにゼメキスが語る。
 映画はネバダの核実験施設がクライマックスのはずだった。マーティは、ネバダ砂漠までタイムマシンを移動させ、1985年に還るエネルギーをそこで得るというわけだ。

 そしてゲイルは、ドク・ブラウンが「マンハッタン計画」の一員のように描いていた、と明かす。彼らはその頃、核実験というテーマに魅せられていたそうだ。核実験のシーンでは砂漠の真ん中に、模型の街を建設し、それを実験で吹き飛ばす。
 『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』を思い出してほしい。インディが核実験にさらされるシーンがある。あのアイディアは実は、「BTTF」の第一稿から来ているんだよ、と。
 
 けれど、それをやるだけの予算がなかったのだ。ネバダでのロケを実現できなかったので、しかたなく時計台にしてみた。すると、話がぐっと引き締まり、ずっとよくなったと語るゼメキス。

 製作者として、スピルバーグが意見を補足するには、第一稿では、エディプス・コンプレックス的側面が強すぎたと。あくまでこれはコメディのはずだと。
 ゼメキスはそれを認めつつ、当時の彼らの心境を語り始める。
 その頃、彼とボブ・ゲイルは人生最悪の時だった。スピルバーグ製作総指揮で、『抱きしめたい』と『ユーズド・カー』を撮ったが、評価こそ悪くなかったが、客は来なかった。実績がないので、「BTTF」の持ち込み先もなかった。
 
 さて、ここから先の話はあまりに面白いので、逐語訳してしまおう。

ゼメキス:「スティーブンは、シナリオを読んでくれた最初の一人だった。とても気に入ってくれたよ。けれど、スティーブンに3度までも損させるようなことがあれば、私はもう誰にも監督として雇ってもらえないだろう、とも思った。それから3年。ラッキーにも『ロマンシング・ストーン』がヒットした。それから我然、誰もが「BTTF」の企画に、目を向けるようになった。けれど、最初からずっと、誠意を持ってこの作品につきあってくれたのは1人しかいない。スティーブンだ。」

スピルバーグ:「創作にあたって私が口出ししたのは、少年に還れということだよ。そして、2人がやりたいことをすべてやらせてあげること、それから誰にも邪魔されず、製作できるようにすることだ。私の仕事は、2人のために奔走することだ。スタジオから予算を調達し、映画を作る自由を与えることに尽きる」

ゼメキス:「ユニバーサル会長のシド・シャインバーグが、製作を決めた。大胆な経営者だ。スティーブンがシドに「BTTF」のシナリオを提出した時、3つのメモが添えられて戻って来た。1つ目はこの人物を「教授」と呼ぶな。「ドク」にしろ。堅苦しい。2つ目に、第一稿では、ドクが飼っているのは犬でなくチンパンジーなんだが、「チンパンジーを出すな。チンパンジーが出てくる映画はヒットしたためしがない」と」

ゲイル:「シドは「チンパンジーを出して利益を出した映画は、1本もない」と言う。だから言ったよ『ダーティ・ファイター』と『ダーティ・ファイター/燃えよ鉄拳』はどうですと。すると「あの映画に出ていたのはオランウータンだ。チンパンジーではない」って」

ゼメキス:「3つ目は、タイトルだった。題名が気に入らないと。でも私たちは、このタイトルにだけは固執したかった。映画が大ヒットを記録した後、私たちは祝勝会を持ったんだが、その時「どうですシド、客は来たでしょう?」と言ったんだ。すると「私は自分が正しいだなんて、一言も言ってないぞ。言ったか?」ときた」

ゲイル:「シドが提案したタイトルは、「冥王星から来た宇宙人」だった。映画の中に同名のマンガが出て来たね。ユニバーサルでは、シド以外の全員が「バック・トゥ・ザ・フューチャー」をタイトルに推した。だから2人でスティーブンに言ったんだ。「どうしよう。シドは本気だ。マジでタイトルを変えろと言ってる」そのとき、スティーブンはシャインバーグ宛に返信メモを書いた。「親愛なるシドへ。笑えるメモをありがとう。最高のギャグだったよ。みんなで大笑いさせてもらった!」スピルバーグは、シドの誇り高さを知っていた。だからギャグにしてしまったんだ」

スピルバーグ:「マーティ役にはマイケル・J・フォックスを狙っていたが、無理だった。『ファミリー・タイズ』で忙しかったからね」

ゼメキス:「スタジオからは、映画の公開日をメモリアルデイと厳命された。できないなら製作もなしだと。しかし、マイケルの体があくのは3月初旬。究極の選択を迫られた」

ゲイル:「私たちは最適の役者が得られるよう、撮影を延ばしに延ばした。ついにC・トマス・ハウエルとエリック・シュトルツに絞られた。トマス・ハウエルのスクリーン・テストは素晴らしかった。が、シドが「エリック・シュトルツに決めろ」と」

スピルバーグ:「6週間の主要撮影を終えたゼメキスは、アンブリンの映写室で45分の編集済みフィルムを私に見せ、どうしてもコメディになっているとは思えない。自分が間違ってるかどうか、確認してくれと言うんだ。フィルムを見終えて、言ったよ「いや、君は正しい」」

ゼメキス:「エリックは単にミスキャストだった。それは彼の才能や能力とはまったく関係ない。彼はすばらしい俳優だ。けれど、彼のコメディ感覚が、この映画で私が思い描いたものと違ったということだ。辛い決断だった。私だけでなく、誰にとっても。スタジオは数百万ドルを損することになる。けれど、もし映画をそのまま作っていたら、映画はきっと失敗しただろう。そして、私のキャリアも終わったはずなのだ。私は映画のために為すべきことをしたんだ」

スピルバーグ:「シドにおうかがいを立てにいったが、彼は実に理性的にふるまってくれた。本を投げつけたり、怒り狂ったりもしなかった。彼はただこう聞いただけだった。「それがこの映画にとって必要なことだと、本気で心からそう思っているんだな」と。だから全員で言った。「はい、その通りです」と」

ゼメキス:「あの時はスティーブンが最高に輝いてみえたよ。これこそ、真に偉大なプロデューサーだと心底思った。製作者が監督の手柄を横取りすることさえあれ、かばってくれる事など、映画ビジネスにあってはまずないのにね」

スピルバーグ:「ラッキーにも、『ファミリー・タイズ』のクリエーター、ゲイリー・デヴィッド・ゴールドバーグは私の親友だった。私たちが、主役交代を決断したとき、彼に事情説明をした。すると彼は最大限の便宜をはかってくれた。マイケル・J・フォックスが一度に2つの撮影を承諾するよう、とりはからってもくれたんだ」

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