2012/1/25

アンゲロプロスさん安らかに…  映画

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テオ・アンゲロプロス(1935―2012)
永遠にあなたの名作群と共に…。

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『第三の翼』(2009)

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『エレニの旅』(2004)

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『エレニの旅』(2004)

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『永遠と一日』(1998)

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『永遠と一日』(1998)

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『ユリシーズの瞳』(1995)

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『こうのとり、たちずさんで』(1991)

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『霧の中の風景』(1988)

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『霧の中の風景』(1988)

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『霧の中の風景』(1988)

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『霧の中の風景』(1988)

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『霧の中の風景』(1988)

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『霧の中の風景』(1988)

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『蜂の旅人』(1986)

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『シテール島への船出』(1984)

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『シテール島への船出』(1984)

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『アレクサンダー大王』(1980)

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『狩人』(1977)

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『旅芸人の記録』(1975)

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『旅芸人の記録』(1975)

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『旅芸人の記録』(1975)

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『旅芸人の記録』(1975)

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『1936年の日々』(1972)

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『再現』(1971)

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『放送』1968

2012/1/20

安原顕さんの命日に  

 1月20日は安原顯さんの命日だ。毎年、この日が来るたび思い出す。さみしい。2003年に亡くなって、今年は9回忌。早いような遅いような。

 今日は、初めて面と向かってお話しした時のことを書いておく。
 「で? あんたは何の人なの?」と聞かれた私は、「映画の人です」と答えたのだった。

 私はときどき、自己紹介するときや文章の中で、自分のことを「映画の人」と述べることがあるが、これすべてこの時の記憶に基づいている。

 そしてさらに聞かれた。「ふーん。で、どんな人が好きなの?」
 来た。ここは運命の分かれどころだ。「こいつ、つまらん」と思われるか、会話を続けてもらえるか。うかつに「小津」とか言おうものなら、どっか行ってしまわれること確実だ。

 「どんな人、と言いますか、キャサリン・ビグロウの『ストレンジ・デイズ』が最近ではおもしろかったです」と答えた。
 「へえ、みてない。どんなの?」と聞かれたので、合格だな、と胸をなでおろしたものだった。背中は汗でびっしょりになっていたのを思い出す。興味を持っていただけたのだ。
 「どんなの?」と聞く時、安原さんは、かならず目を少し大きく開いて、体を少し前に倒してくる。本当に好奇心の旺盛な方だったのだと思う。

 好奇心といえば、新宿のABCでばったりお会いしたとき、私の事など覚えていないはずなのに、長々と立ち話していただき、「誰? 今なら誰の文章がおもしろい?」と急くように質問されたことも忘れ難い。そういう方なのだ。
 たまたまそのとき持っていた、タワーレコードのフリーペーパー「ミュゼ(現intoxicate)」を引っ張り出し、片山杜秀さんや小沼純一さん…と述べると、何度もうなずいて…。
 「しかし、いま一番面白い音楽誌ってミュゼですよね?」と述べると、「もちろんそうです。もちろんです」と。その言葉以上に、安原さんの声が今も耳に残る。

 ジャズ好きの安原さんのことだ。もしご存命なら、たとえば今なら、上原ひろみのピアノをどれだけ愛して、贔屓にしたことだろうと思う。彼女の演奏を聴くたびに、いやあ安原さん好みの音だなあと思わされる。

 御存命なら今年で73歳。今の世界を見て、安原さんはそれでもなお、「ふざけんな!」とおっしゃるだろうか。それとも、もはやあきれ果てて声も出ないだろうか。

2012/1/14

『ニューイヤーズ・イブ』  映画

 ゲイリー・マーシャル『ニューイヤーズ・イブ』
 ゲイリー・マーシャルが掘り当てた、1年のうちの、ある特別な記念日のゴタゴタを、オールスター・キャスティングで群像劇にするという、期間限定記念日企画第2弾。
 非常に愛らしい佳品だった前作、『バレンタイン・デー』の舞台となったロサンゼルスを、ぐるり東西ひっくり返して、今回の舞台はニューヨーク。

 横に広く、水平空間を基本とするLAでは、女性と男性、大人と子供、老人と若者らが、いつだって対等の目線で表現されていたけれど、ニューヨーク、ことにマンハッタンのすべては垂直関係。何から何まで上下関係だ。
 高い舞台に上がったリー・ミシェルを、彼女に魅かれたアシュトン・カッチャーは、下から見上げてみせ、その高い舞台に立って、何とか恋人との仲違いを修復せんとするジョン・ボン・ジョビは、そこからさらに上にいる、窓辺のキャサリン・ハイグルを見上げんとする。
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写真:『ニューイヤーズ・イブ』。いくつになっても、やっぱりミシェル・ファイファーは最高! 画像元allcinema.com

 上へ下へと、登場人物は移動し、その中心に位置するのは、タイムズ・スクエア名物のカウントダウン、クリスタルのボールが落下し、紙吹雪が舞う、ボール・ドロップのイベントだ、それを仕切るヒラリー・スワンクはタイムズ・スクエアの下界を見下ろすてっぺんから、NY市民に向けて熱いメッセージを発信するだろう
 移動につぐ移動、場面転換につぐ場面転換、次から次へと出現するスターの数々に、今まさにアメリカ映画を見ていることの幸せに胸が高なる。

 出演者の中ではいちばん高齢に属する、ミシェル・ファイファーとロバート・デ・ニーロは、『バレンタイン・デイ』のシャーリー・マクレーンとヘクター・エリゾンドがそうであったように、てっきりこの2人でロマンスがあるのかと思っていたら、その予想は外され、ファイファーときたら、一番年少のザック・エフロンとのラブシーンをやってのける。
 (今回のエリゾンド=『プリティ・ウーマン』でジュリア・ロバーツに何かと親身なホテル給仕=は、落ちないクリスタル・ボールを修理する古株の技師を演じて、大いに笑わせる)
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写真:『ニューイヤーズ・イブ』 もはやNYの生きた広告塔と化した、サラ=ジェシカ・パーカーが、結局誰よりもおいしい結末を持っていくには、さすがに驚いた。左はアビゲイル・ブレスリン。 画像元:eiga.com

 個人的に病院のデ・ニーロを世話する看護師ハル・ベリーが、勤務を終えて着飾って向かう先が、自宅のノートパソコンの前であることにぐっとくる。
 ネット通信で、彼女の夫が新年の挨拶を送ってよこすのだ。彼が今いる場所はたぶんアフガニスタンの駐屯地だ。これは今も、アメリカ市民の日常の中にある現実なのだ。

 ちなみにこの映画、本当につい最近まで撮影していたものとみえ、タイムズ・スクエアには『シャーロック・ホームズ シャドウ ゲーム』の巨大ビルボードが輝き、一瞬映ったバス停のポスターは『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』だ。
 本当にこれは2011年12月31日から、2012年1月1日にかけての物語なのだ。
 

2012/1/11

ゴヤ展 (国立西洋美術館)  美術

 「プラド美術館所蔵 ゴヤ 光と影」 於 国立西洋美術館

 この展覧会では、友人への書簡の余白に描かれた、限りなく高慢ともいえる表情の中年期(54歳頃)の自画像と、どこか曖昧な怒りとも哀しみともつかぬ表情を浮かべた、その15年後の自画像を含むいくつかのゴヤの顔に、まずは迎えられる。
 そしてこの2作の間には、国際的事件として、ナポレオンのイベリア半島侵攻、そしてそれに続くスペイン独立戦争が横たわっている。
 ただし、この戦争のビフォー/アフターで、ゴヤの作風の何かが大きく変化した、という印象は受けない。

 展覧会の順を追って見て行くと、比較的初期のタペストリー用原画から、本店の目玉でもある絶頂期の「着衣のマハ」を経て、晩年の強烈な風刺に満ちたエッチング連作に至るまで、人間と社会の実相を表現しようという迫力にあふれている。
 その意味でゴヤはどこまでも、人間主義的な作家だった。権威を痛烈に断罪すると共に、だからといって、その圧政に虐げられる“か弱き”民衆に憐みの眼を向けるわけでもなく、人間そのもののどうしようもなさ(それを「原罪」というのかもしれないが)を、強烈なビジョンで描く。
 しかし、それと同時にゴヤは、最晩年には自ら辞するとはいえ、終生、国王の首席宮廷画家の地位を守り続けてもいるのだ。
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写真:<戦争の惨禍> 7番「何と勇敢な!」(1810-14製作 1863初版) 死体を踏みつけにして大砲に火を放つ戦場の女!

 なぜ人間とはかくあるのか、運命はこうも過酷なのか、と画面から巨大な「クエスチョンマーク」が浮かび上がってくるかのような作品群を見つめながら、どういうわけか私の頭の中に、ベートーヴェン最晩年の、弦楽四重奏曲第13番のカバティーナが流れてきた。
 そういえば、1746年生まれのゴヤと、1770年生まれのベートーヴェンはほぼ同時代の人物なのだ。

 どちらも貴族との浅からぬ付き合いを保ちつつ、時代の動乱の中において、人間のありさまを作品にこめた巨人である点で、限りなく近しいものがあり、キャリアが熟すその真っ只中で聴力を失ったという点でもよく似ている。
 おそらくどちらも、人間の聖性を認めつつその本性としての俗なるものが、それを封じ込めて愚昧に堕す、人間の度し難い本性を、かたや音楽、かたや絵画で描いたのだ。
 きっと両者の作品は互いを補完し・増幅し合う。
 そう感じたので、美術館におけるマナーとして、正しいのか少々迷ったが、ふとポケットにあるiPodで先の13番(作品番号130)以後の、ベートーヴェン後期弦楽四重奏曲を小さい音で聴きながら、ゴヤを見た。
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写真:「魔女たちの飛翔」(1798年) これほど人間の奥底を掘り下げつつ、並行して貴族のための神々しい肖像画も残す。

 ベートーヴェンには、ゴヤがためらいがちにしか表現できなかった希望と救済の光があり、ゴヤにはベートーヴェンが表面化させなかった社会批判の鞭がある。
 そしてそれは、絵画と音楽のそれぞれが、よりよく成し得る両端だと思う。

 両者の作品を併せて鑑賞しながら、なるほど、このあたりから芸術というものが、人類が地球にとって百害あって一利なしの、迷惑千万な存在でなく、それを生み出せるが故に、それでもまだ存在するに値する最後の砦として、機能し始めたのだなと感じたのだった。

 たとえば、今回の40年ぶりの来日になるという「着衣のマハ」。この官能的な女性を、そのままのポーズで一糸まとわぬ全裸にし、「裸のマハ」として人類に残したゴヤの、どこまでも人間を探求していこうとする姿勢は、常にどこかで意識していたいと思った。
 ゴヤがそれだけの役割を背負わせたが故に、芸術とは人類の遺産として存在に値するものとなった。ということは、人類そのものが存在に値するものに、高まったということだ。
(2011年10月22日〜2012年1月29日)




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