2012/6/23

蓮實重彦『あれは果たして映画時評だったか」  映画

 蓮實重彦「あれは果たして映画時評だったか」於ビブリオテック

 御大の講義に接するのは久しぶりだ。登場し、一礼するなりおもむろに前振りなく話をし始めるスタイルは変わっていない。ただ、シンポジウムの場などは別としてソロの講義のときに、着席して話をする姿というのが記憶になかったので(実際、何かのトークのときに「椅子はいりません。きらいなんです。座ってしゃべるの」と言ったのを聞いたことさえある)、椅子に腰かけて話をしたことが、わずかに気になった。

 実際、今日の話はやや気になる内容でさえあった。
 「あれは果たして映画時評だったか」という不気味な題が予告されているけれど、深い意味はまったくありません。たまたま話をしていて、担当者がそのようにメモを書きとめただけのことなのです、という紹介から始まり、今日は「映画・友情・死」について語りたいのだという。

 蓮實御大の子どもの頃からの友人を、この3月に失ったのだと。御大の小学生時代のあだ名は「バリキ」。力が強いから教師に「バリキ博士」と呼ばれたことを語源とするが、いつしか「博士」がとれて、ただの「バリキ」になった。
 だから自分のことを「バリキ」と呼ぶ者は、かなり古い付き合いだと思っていただきたいとし、そんな御大のことを「バリキ」と呼ぶその友人は、「死ぬ前にある映画をどうしても見たい。おまえなんとかしてくれないか」と言ったのだそうだ。
 子どもの頃、1939年に見てそれがどうにも素晴らしかったのだと。

 御大の強みは、あるフィルムを見たいと思ったら、それが何であっても可能であること。しかしそれにはマフィアの一員にならなければならない。自分は、マフィアに属しているので、ある映画が届くとそれがマーティン・スコセッシのオフィスから届いたものであるなど、そうしたことがあるが、しかしその映画がどうしても探せない。

 そんな中、カナダの友人が、その映画は昔いちどだけ粗悪な画面だが、VHSになっており、ある古本屋を介すれば必ず探してくれるはずだという情報を入手した。そして、それが本当に手に入り、もちろんイギリスのVHSであるので、見られるDVDのフォーマットに落として友人と見たのだという。

 その映画が、ハーバート・ウィルコックス監督『ヴィクトリア女王』である。
 アンナ・ニーグル主演の1937年RKO作品。この映画がなぜ有名かというと、ナタリー・カルマスが初めてアメリカ映画における、テクニカラーの顧問をイギリスで務めたということだということで、ともあれこれを一緒にみた。

 そして見終えた知人がひとこと。「ああ。これで死ねる」と。

 そして彼は本当にこの3月に死んでしまった。なんということだ。自分が八方手を尽くして、この映画を入手し、彼に見せたばっかりに彼は死んでしまった。だったら見せなければよかったではないか。
 それに何ということか、例の即位60周年とやらに便乗したのか、今では簡単に見れるようになってしまい、私の苦労はなんだったのかと。

 その友人は、中学の頃には芥川龍之介の『侏儒の言葉』を丸暗記して、教師に「あなたはこんなものも読んでいないのか」と迫って泣かしてしまったり、完璧なキングス・イングリッシュを身につけており、アメリカ人を相手にその話す英語を、キングス・イングリッシュでやりこめたかと思うと、やおらそのアメリカ人が使う南部なまりの英語で会話をしてのけるという、まあいわばイヤミな人間であると。

 そんな彼は商社をやっていたのだが、80年代の終わりに何本かの映画が見つかったという。上映権付きで買ってもたいした金額じゃぁない。おまえこれどうにかできるか、と言われて、それを見たところ、ルビッチがある。フォードがある。サークがある。これはなんだ、となってそれが「リュミエール・ビデオテーク」につながったのだ、という初めて知る裏話が披露される。

 ルビッチといえば今でこそよく知られるようになったが、当時はそれほどでもない。そこで淀川長治先生にお話をお願いすることにしたのだけど、淀川先生は40分のお話のためにこれほどまでに、メモをお取りになっていた。
 と、テーブルに置いていたテレビ朝日の封筒から、数枚のA4の紙片を取り出して見せる。席からはよく見えなかったが、何やらびっしりと文字が書いてあり、「こんなたいへんなものを、やたらに見せるわけにいかないのですが」と隠してしまう御大。
 あのときの紙が、確かにどこかにあったはずだと探しまして、これを見つけたときはたいそう幸せになりました、と語る御大で、これが渋谷シネセゾンで上映されたリュミエール・ビデオテーク初日の『生きるべきか 死ぬべきか』の淀川さんのトークになったのです、と。

 信じ難く幸いなことに、私はそのときの淀川トークの場にいあわせ、それを実際に聞いている。ああ、これで時代がひとめぐりしたんだなあ、という思いをかみしめ、しかしその淀川長治さんももういないことに思い当る。

 そして、なぜテレビ朝日の封筒なのかということは、もちろん「日曜洋画劇場」の放送局でもあるわけだし、当時の淀川さんは、テレビ朝日がオフィスを構えるアークヒルズに隣接した、全日空ホテルに住まわれていたのだった。
 そしてまさにその頃、アークヒルズを勤務先としていた私自身は、何度となく淀川さんの姿を見かける機会があり、そんなある日、激しく降る雨空をじーっと見上げて、いつまでもいつまでも、動こうとしない淀川長治さんに出くわして、震えるほどの感動を味わったものだった。

 さて、話が逸れたが、こうして「映画と友情と死」というテーマが一通りでそろい、現在現役でバリバリと映画を撮っている人物が、いずれも70をすぎようかという、高齢者ばかりだ。
 20代の元気のいい映画作家がいなくて、80代の映画作家がのさばっている。それを許していいのでしょうか。

 現在、もっとも最高齢で、かつ現役でバリバリと映画を撮影している映画作家は誰ですか? (客席から「オリヴェイラ」)…はい、言うまでもありません。マノエル・ド・オリヴェイラ。104歳になります。
 日本にも最近100歳で亡くなられた、新藤兼人監督がおられますが、現役というわけにはやはりいかない。それから、1930年生まれの人物がいます。分けても誰よりも世界の中心であるような顔で、主演作品まで撮ろうという人物、クリント・イーストウッドですね。

 それから、今年のカンヌのグランプリは誰でしたか? (客席から「ハネケ」)はい。ハネケ、あの人はいくつだったでしょう…。えー、あの人も69か70か。
 では去年は誰がグランプリでしたかね?(客席しばらく沈黙。誰かが自信なさそげにマリック?) はい、テレンス・マリック。あの人も70近くなるでしょうか。いずれにせよ高齢です。

 カンヌで最高賞をとる人物が、まあ、どう考えても間違ってる人物もありますけれど、いずれも高齢である。では今年のベネツィアは誰が審査委員長でしょう? (客席沈黙)えー、私の流れを思い浮かばれれば思いつくと思うのですが…(客席からマイケル・マン) はい、そうですね。マイケル・マン。この人も70になる高齢者です。
 果たして、ここ20年くらいに、若くして登場した映画作家を思いつくでしょうか。

 そして、私の友人でもあるダニエル・シュミットが生きていたら、いくつになるのでしょうか。やはり70を超えるでしょうか…という話から、少しずつ映像作品を交えつつのトークになっていく。
 扱われたものは、『ダニエル・シュミット 思考する猫』、『コラテラル』から2場面、『アンダーカヴァー』、そして『イニスフリー』。
 20代の元気のいいい映画作家がいなくて、80代の映画作家がのさばっている。それを許していいのでしょうか。いいのかもしれませんが、私はいいとは思えない。

 として、ホセ・ルイス・ゲリンが22歳で映画を撮り始めていることに言及しつつ、きっかり1時間45分の講義が終わる。
 ちなみに、「群像」の映画時評で、取り上げたいと思いつつも時期がどうしても合わずに、挙げそびれたという作品が、『ブラック・スワン』。『ソーシャル・ネットワーク』はあえて外したといい、もちろん『アンダーカヴァー』も入れたかったとのこと。

2012/6/10

『星の旅人たち』  映画

 エミリオ・エステヴェス『星の旅人たち』
 ニューヨーク生まれではあるが、エミリオ・エステヴェスは、骨の髄までカリフォルニア的な感性の持ち主だ。その土地には山があり、海があり、都市があることを熟知している。
 だからフランスの宿場町から、スペインのサンディアゴまで、実に800キロを踏破する巡礼の旅を描く本作の冒頭で、主人公(マーティン・シーン)が住まうカリフォルニア州ベンチュラの風景を、丁寧に見せておくのは必須のことだったろう。
 なぜなら、この閑静で整った風景とは、またまったく異なる巡礼地の景色を、私たちは登場人物たちと共に、目にすることになるからだ。

 「行かなきゃいけないんだ。そこには世界があるんだぜ、父さん」と、主人公の息子(エミリオ・エステヴェス)が言う通り、カリフォルニアにいれば、確かに不自由はない。ないのだが、しかしそれでいいのかい? ということ。
 幸い、映画というものは「それではよくない」と思う者のために開かれている。だから私たちも、主人公と共に旅に出るのだ。

 主人公は地元の眼科医として、忙しい毎日を送っている。息子がいるが、生き方に対する意見が合わず疎遠になっている。ある日突然、フランスから息子の事故死の連絡が入る。サンディアゴへの巡礼の旅に出た矢先、嵐に巻き込まれたのだという。
 息子の身元確認のため現地に赴いた彼は、遺品を整理するうち、半ば衝動的に、息子が敢行するはずだった巡礼の旅に自ら出かけることを決意する。
 息子の準備したリュックを背負い、その遺灰と共に巡礼を果たすのだ。
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写真:『星の旅人たち』より。さまざまな体験があらゆる蒙を開いていく。 画像元:映画.com

 この映画の技術的な点での達成が、いかに大きいかは冒頭10分ほどで明白だ。息子の遺体と対面すべく、乗り込んだ列車の窓外にすぎ去る風景が、いつしか険悪な雰囲気の中で、かつて息子を外国へと送り出した、車の窓の風景に切り替えることで、回想シーンにつなぐ手際。
 いよいよその遺体を目にするときの、マーティン・シーンの顔。心中よぎる複雑極まりない感情の推移を、大写しの寡黙な画面による、見事な表情の連鎖で見せた、驚くべき演技芸術の粋。

 だがそれにしても、巡礼800キロを歩く装備として、背中に担いだ大きなリュックというものが、実に雄弁に見えてならない。
 「巡礼の道は、自分探しの旅なのです」と、息子の遺骸を引き渡してくれた担当警部(チャッキー・カリョ)は言葉を投げかける。
 画面の中でマーティン・シーンが担いでいるリュックを見ていると、巡礼とはその重さを背中に感じ続けることではないか、と思えてくる。
 旅の途中で巡礼の一行は、イエスの扮装で自らを鞭打ち、十字架を担いで歩くパフォーマンスを眼にする。両肩にくいこむ背中のリュックは、まさにその十字架のようなものではないかというように。
 
 主人公は、物語の中で都合2回、このリュックを失いかける。
 1度目は橋の欄干で、疲れを休めようと肩からおろすや、うっかり川の中に落としてしまうとき。2度目は旅の終わりが近づき、祝いの酒を交わしていて、カフェの店先でジプシーの少年にひったくられた時だ。
 普通ならこれほど重たい荷物は、失ってもかまわないはずなのだ。とっとと投げ出してしまえばいい。けれど、そうするわけにいかないのは、十分な装備がないと旅を続けられない、といった常識的な説明でなく、荷物がまるで人生を暗喩しているからだ。それが「自分探し」という巡礼の意味だ。

 さらに彼の場合は、担いでいる荷が死んだ息子の遺品一式であり、そしてこの荷物には息子の遺灰をも含んでいることで、ひときわその重さがきわだつ。
 ちょうど荷物を失うことは、息子を失うことに通じる。そして、生前の息子とのコミュニケーションを絶っていたことで、自責の念を捨てきれずにいる彼は、その荷物の重さをちょうど息子を背負ってやるような、ある種の自己罰則ともとらえうるのだ。
 旅のまにまに、彼が目にとめる息子の幻影は、そのことの確認でもあるだろう。
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写真:『星の旅人たち』より。旅の道連れたち全員が、それぞれの重荷を背負っている。画像元:映画.com

 ちなみに、荷物をなくしかけたこの2回とも、俳優マーティン・シーンはそれを取り戻すための、とても過酷な演技を要求されている。
 川に落としたときは、決して遅くない流れに踏み入って、流木とともに川を流され、荷物を奪われた時は、犯人を追ってスペインの石畳を、全速力で駆けてみせる。
 70歳を迎える、高齢の俳優にはかなりの重労働だろう、しかし、息子でもある監督エステヴェスは、俳優であり父であるマーティン・シーンにその演技を要求し、俳優もそれを真っ向受けている。ここには信頼という以上の、感動的で暖かい何かが確かに存在する。

 映画は、すべての立場とすべての人種を超え、敬虔なる宗教的体験と共に、ついに1つとなる。宗教とは、それを信じる信じないで、人を選別するのでなく、本来はこのような共時的体験によって、人と人とを結びつけるものではなかったか。
 また、それは本来、アメリカ映画こそが、そうした力を持っているものだったはずだ。

 製作・監督・脚本・出演の4役をこなして、この映画を完成させたエステヴェスの視野は、広く深い。『星の旅人たち』で、エステヴェスはいよいよ成熟を深めている。
 

2012/6/2

ジョン・バダム&クレイグ・モデーノ『監督と俳優のコミュニケーション術』  

ジョン・バダム&クレイグ・モデーノ『監督と俳優のコミュニケーション術 なぜあの俳優は言うことを聞いてくれないのか』(訳:シカ・マッケンジー フィルムアート社)

 心ある映画ファンは、きっとジョン・バダムの名を覚えているだろう。
 代表作『サタデー・ナイト・フィーバー』を皮切りに、絶頂期の80年代には『ブルーサンダー』、『ウォー・ゲーム』、『ショート・サーキット』、『張り込み』といった硬軟とりまぜた秀作を、量産・連発している。
 90年代に入ってからは、あまり名前を目にしなくなったが、仕事の中心をテレビに移して、確実な仕事をこなしているようだ。
 そして久々にこの人の名を見るのが、執筆者としてだとは思わなかった。

 この本を書くきっかけとなったのは、バダムが演出について授業をしていたときのこと。一人の学生が、「もし俳優が監督の言う通りに動いてくれなかったらどうしますか?」と質問したことだったという。

 この本は第一に、映画製作の裏話として面白い。俳優はさまざまである以上に、映画監督のスタイルもさまざまだ。監督が俳優を演出するにあたって、どんなことがNGで、どんなことが歓迎されるのか、さまざまな俳優、監督の言葉から列記していく。
 その名も、シドニー・ポラック、スティーブン・ソダーバーグ、オリバー・ストーン、マーク・ライデル、メル・ギブソン、リチャード・ドナー、ジョン・フランケンハイマー、ジョディ・フォスター、ジェームズ・ウッズ、リチャード・ドレイファスなどなど。
 いずれも、バダムのキャリアの中で関係浅からぬ人物たちだ。

 もちろんバダム自身の体験談も豊富にある。たとえば『ニック・オブ・タイム』で、クリストファー・ウォーケンを射殺するとき、ジョニー・デップが撃って撃って撃ちまくりたい一方、当時暴力描写抑制のために映画界に圧力をかけてきた連邦議会に配慮した会社側は、一発以上は撃ってはいけないとお達しをよこす。
 デップは決して折れず、会社の命令は絶対である。板ばさみの監督ジョン・バダムは、このジレンマを解決するために、ここで一計を案じなければならない…。

 しかしここまでなら、映画を作らぬ我々にとっては、バックステージ的な読みものにしかならない。(あるいはビジネスマンなら、言う事を聞かぬ部下をどう動かすかといった、ビジネス指南書としても使えるかもしれない)
 けれど、私が強く印象に残ったのは、「どんな演技も動詞で言い表せる」という教えだ。
 バダムは書く。
 「シーンの中で人物は何をするのか? その問いに「動作、行動を示す動詞」で答えられない人は、そのシーンを理解できていない」。

 つまり、ソダーバーグの語る例によると、「このキャラクターは学生時代は暗くて地味なヤツだった」と説明するのではなく、「スポーツマンのように歩かないで。今の歩き方は運動選手みたいだ。今の歩き方は体に自身がありすぎるように見える」と言うのだということなのだ。

 しかしこれは、批評文においてもあてはまる。映画のとあるシーンを説明するのに、文章で書くときは、どうしてもそこに込められた「内容」を、観念的に書いてしまいがちだ。
 そうではなく、そのシーンで何が起こっているかを「動詞」で描写すること。それを念頭におくことで、批評の言葉はぐっとアクティブになり、映画を語る文章として躍動感が増すはずではないか。

 映画作りは人生だ、と語ったのはトリュフォーの『アメリカの夜』だっただろうか。映画の中で起こっていることは、生活のどんな現象にも適用することができる。
 この本は「監督と俳優」のコミュニケーション術にとどまらない奥行きを持っている。



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