2013/4/8

誕生日  ノンセクション

 とうとう47歳だ。また毎年恒例の世界の偉人たちが47歳でどんな仕事を為したかをつづる、自虐ブログ。

宮崎駿『となりのトトロ』(号泣×10000)、ベルナルド・ベルトルッチ『ラスト・エンペラー』(号泣×10000)、坂本龍一『ウラBTTB』『LIFE a ryuichi sakamoto opera 1999』(号泣)、蓮實重彦『映画 誘惑のエクリチュール』(号泣)、フランシス・コッポラ『ペギー・スーの結婚』、フョードル・ドストエフスキー『白痴』(号泣)ロン・ハワード『ビューティフル・マインド』(号泣)、夏目漱石『こころ』、ジル・ドゥルーズ『アンチ・オイディプス』(号泣)、ヨハネス・ブラームス『悲劇的序曲』『大学祝典序曲』、黒澤明『蜘蛛巣城』『どん底』、ヴォルフガング・フォン・ゲーテ『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』、オノレ・ド・バルザック『従妹ベット』、ウディ・アレン『サマーナイト』、武満徹『鳥は星型の庭に降りる』、ミシェル・フーコー『これはパイプではない』、村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』、アルフレッド・ヒッチコック『汚名』、ポール・マッカートニー『フラワーズ・イン・ザ・ダート』、小津安二郎『宗方姉妹』、グスタフ・マーラー『交響曲第8番 千人の交響曲』、オリバー・ストーン『天と地』、ジャン・ポール・サルトル『聖ジュネ』、溝口健二『名刀美女丸』、エリック・ロメール『コレクションする女』、ウィリアム・シェイクスピア『テンペスト』、成瀬巳喜男『稲妻』『おかあさん』『お国と五平』、ハワード・ホークス『空軍』などなど。
 つくづく自分のちっぽけさに恐れ入る。

2012/4/8

今日は誕生日。  ノンセクション

 ようやく回復したけど、39度もの熱が出てさんざんな誕生日。とうとう46歳になってしまったので、また毎年恒例の世界の偉人たちが46歳でどんな仕事を為したかをつづる、自虐ブログ。

スティーブン・スピルバーグ『シンドラーのリスト』、『ジュラシック・パーク』(号泣×∞)、ロン・ハワード『グリンチ』、リヒャルト・ワーグナー『トリスタンとイゾルデ』(号泣)、ジャン=リュック・ゴダール『ヒア&ゼア・こことよそ』、フランソワ・トリュフォー『緑色の部屋』、『逃げ去る恋』、トム・クルーズ『ワルキューレ』、アルフレッド・ヒッチコック『白い恐怖』、エミール・ゾラ『制作』、クリント・イーストウッド『アウトロー』、小林秀雄『ドストエフスキイ』、ジョン・フォード『怒りの葡萄』、『果てなき船路』、マーク・トゥエイン『王子と乞食』、夏目漱石『行人』(号泣)、ジャン・ルノワール『スワンプ・ウォーター』、マックス・オフュルス『忘れじの面影』、マーティン・スコセッシ『最後の誘惑』、小津安二郎『晩春』(号泣)、大島渚『愛の亡霊』、ロマン・ロラン『ジャン・クリストフ』(号泣)、溝口健二『団十郎三代』、『宮本武蔵』、スティーブン・キング『ドロレス・クレイボーン』、蓮實重彦『小説論=批評論』、ロバート・アルトマン『ギャンブラー』、谷崎潤一郎『蘆刈』、ルートヴィヒ=ヴァン・ベートーヴェン『ピアノ・ソナタ第28番 イ長調 作品101』、村上龍『ライン』、リヒャルト・シュトラウス『ばらの騎士』(号泣)、中上健次『軽蔑』(→没)

 とほほ。つくづく自分がゴミに思えてくる。最近、更新が滞っておりますが、また今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

2011/11/29

12月2日(金)13:00〜 茨城大学教育学部 「システム論」の授業にご参加になる方へ  ノンセクション

 茨城大学 教育学部 12月2日(金)13:00〜 L8クラスの「システムとしてみる社会〜映像表現のシステム」にご参加なさる皆様にお知らせです。

 ここでは、宮崎駿、またはピクサー作品を例にとり、感動を呼び起こすシステムについて、お話しできればと思います。

 映画においては、日光をどのように見せるかというのは、描写においてとても大切なことです。それを見せることによって、呼び起こすことのできる感情のバリエーションは無限です。
 この日のお話は、あえて実写作品を除外しますが、近年で太陽光を表現したもっとも素晴らしい達成は、『けいおん!!』第20話のこの場面です。
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 昨年、ピクサーが発表した『トイ・ストーリー3』の、たとえばこのシーンでは、画面における座標軸のどのあたりに太陽があって、時間経過と共に太陽が動くことにより、太陽の反射がどのように変わっていくか。
 そして、それがどのような感情を、見たものに呼び覚ますのか。
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 それと同様のことが、では『天空の城ラピュタ』のこのシーンではどうなのか。
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 そうしたことに少し触れながら、さまざまなお話ができればと思っています。
 もし、時間が許すようでしたら、『トイ・ストーリー3』、『天空の城ラピュタ』を、今、この画面では太陽ってどこにあるんだろう? ということを、ほんの少しだけ意識しながら、あらかじめご覧になってみてください。

 当日、皆さまとお会いできるのを楽しみにしております。

2011/8/26

大阪滞在記 その3 〜万博記念公園〜  ノンセクション

 万博記念公園。
 下の子(小5)が、どういうわけか前々から太陽の塔にひかれているようで、一度本物を見せたいと思っていた。また、私自身も4歳の時以来、41年ぶりにぜひ見たかった。
 また、今年は岡本太郎生誕100年。今回行かずにいつ行くか。
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写真:「太陽の塔」。モノレールの駅を出て早々この雄姿が。撮影Incidents

 モノレールの万博記念公園駅をおりると、もうそこから見える。森からちょうど鎌首をもたげているこれは、どうしたってゴモラあたりを連想させずにおかない。
 それにしても大きくて、園内の解説によると太陽の塔(70m)は、自由の女神(約46m)よりも大きいのだそうだ(ただし台座を入れると93m)。
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写真:『ウルトラマン』より古代怪獣ゴモラ。どう考えてもこのパースペクティブにいちばん近いのはこんなイメージだ。

 この公園はかつて大阪万博が開かれたところだが、当時のパビリオンはもう一切なくなっている。
 ではなぜ、太陽の塔だけ残したかについては、「Brutus Casa」の2011年4月号「あなたの知らない岡本太郎100」に、
「予定外の<太陽の塔>が残った理由のひとつはには、しっかりした構造があるだろう。仮設的な建物が多い万博会場では異色だった。塔を成立させるため、建築家の吉川健と構造家の坪井善勝が協力した。吉川は、塔が会期終了後も撤去されることなく永久に残る可能性を察し、本格的な建築工法を採用したという。」 という記載がある。
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写真:「太陽の塔」裏面。こっちはこっちで素敵な顔がある。撮影Incidents

 その後、紆余曲折もあったようだが、これだけは絶対に残すべきものだと改めて思う。
 どこからどう見ても美しく絵になるこのフィギュアは、やはり空前のもので、あれほど感受性に乏しい私の家族どもの目さえ釘づけにする。そして何よりとにかく、でかさの実感がすごい。

 太陽の塔から数百メートルほど歩いたところに、EXPO’70パビリオンという、当時の万博の資料をいやというほど集めた、記念館がある。
 鉄鋼館を改装して2010年にオープンした。資料総数約3000。入場料は大人200円。小中学生無料。
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写真:EXPO'70パビリオン内。こんな家族写真もありだろう。撮影:Mama-san

 この中に入ると、あっというまに気分は1970年へ。
 当時の圧倒的な文化的高揚を感じるために、これほどいい記念館はまたとないと思う。この会期中の日本は、戦後最も芸術面で先鋭化していたかもしれない。
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写真:鉄鋼館 スペースシアターホールでの演奏プログラム。なんと贅沢な楽曲が採用されていたことか! 撮影Incidents

 東京生まれの東京育ちの私だが、4歳の時に大阪万博に日帰りで行ったのを覚えている。
 とある日曜日の早朝、父親がまったく気まぐれに思い立ったのだ。当時はかなりの貧困にあえいでいたはずの我が家。

 かなり無理をしたはずなのだが、それは幼い私にぜひこの歴史的イベントを体験させようと思ったか、あるいは単に自分が行きたかったのか。
 知る術はないが(聞いても、お前に見せたかったのだ、と言われるに決まってる)日帰りで、生まれたばかりの弟と母親は行かなかったというのが、当時の無理を物語っている。
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写真:EXPO'70パビリオン内 太陽の塔のジオラマ。かっこいい。 撮影:Mama-san

 とにかく圧倒的な人ごみだったことを覚えている。
 今でもはっきり記憶しているが、実は4歳の私がいちばん入りたかったパビリオンは、フジパン・ロボット館だった。
 ここには、ジャンケンしたり、写真をとってくれたりと、いろんな未来のロボットが展示されていたはずなのだ。プロデュースは誰あろう、手塚治虫。

 どうしてもこれにだけは絶対に入りたいと主張して、とうとう泣き叫ぶ私だったが、たぶん待ち時間6時間とか、そういうことになっていたのだろう。
 とにかく、「これに入るんなら、お泊まりしなきゃいけないんだ!」と、父親にばっちんばっちんぶん殴られたのだった。
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写真:「太陽の塔」つくづくどこから見ても絵になる。 撮影Incidents

 今から思うと、いや、当時もだけど、なんでそこまで殴られなきゃいけなかったのか、どうしてもわからないのだが、まあおそらく、その日に宿泊するだけの持ち合わせがなかったのだろうと思われ、そのことが父親としてひどく不甲斐なかったのだろうと邪推する。

 となると、4歳の私は八つ当たられたわけかと、万博というと、そんなことばかり思い出してしまう。
 とはいえ、曲がりなりにも大阪万博の雰囲気を、幼い私の記憶に残してくれたという意味で、そのことは心から感謝している。
 そんな私と父が、その日に見学できたパビリオンは、唯一、太陽の塔だけだった。

 ちなみに、太陽の塔については、「これだけは絶対に入る!」と父親が強く主張し、あれっ!? ロボット館には入れないのに、これには入るのか!? と、ひどい矛盾を感じたことも忘れられないことである。
 しかし、そこで太陽の塔に入り、内部の「ツリー・オブ・ライフ(生命の樹)」の記憶を、これも鮮明に残してくれたことで、父親の選択は確かだった。そのことも感謝している。
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写真:「太陽の塔」。あまりにも絵になる。 撮影Incidents
 もうひとつ余談になるが、この日、万博内で私はお昼ご飯として、生まれて初めてのスパゲティ・ミートソースというものを食べている。

 と、いうようなバカバカしい4歳の頃の記憶を妻子に語ってきかせつつ、公園内を歩いたわけだが、誰もそんな話に興味を持ってくれようはずはないのだった。
 確かなことは、太陽の塔の造形に、誰もが胸を打たれていたということだけど、まったくそれでOKだ。 

2011/8/25

大阪滞在記 その2 〜海遊館〜  ノンセクション

 たぶん、国内でいちばん楽しい水族館のひとつは、大阪天保山にある「海遊館」だ。
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写真:海遊館。この建物の3色は、それぞれ海・火・地をあらわすそうだ。 撮影Incidents

 高い建物のちょうど吹き抜けにあたる中央を、縦に長い巨大なメイン水槽として、まずはじめにいちばんてっぺんに登らされた私たちは、その周囲をぐるぐる回りながら下ることによって、全飼育種目を見学することができる。

 右にメイン水槽、左に個別の水槽があって、世界の全海洋の生物を見れるという、斬新な順路だ。
 そして、そのメイン水槽にいるのが、この水族館の目玉である、魚としては最大のジンベイザメがいる、というわけだ。
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写真:ジンベイザメ。実に余裕のでかさである。 撮影Incidents

 この海遊館を設計したのは、各国でいくつものアクエリアムを成功させている、ケンブリッジ7という、マサチューセッツ州の設計集団であることは、帰ってきてから、脚本家の羽田野直子さんにご教示いただいたことだった。

 それを教わるまで、海遊館に対する私の興味は、無名時代のエドワード・ノートンが、この水槽を設置するスタッフとして働いていた、という事実だった。
 ノートンがある程度の日本語を話せるというのは、有名な話だと思うが、それをマスターしたのが、この海遊館で働いていた数カ月の経験だというわけだ(だから大阪弁)。
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写真:『真実の行方』より。リチャード・ギアとエドワード・ノートン(左)
この映画のノートンは、確かに忘れられないほどすごかったが、リチャード・ギアも最高の演技だった。


 日英のウィキペディア情報をつきあわせると、彼が日本に来たのはイエール大学卒業後の1991年頃のこと。
 海遊館の開館が1990年だから、ここちょっとおかしい。卒業後に大阪に来たという、英語版ウィキペディアの情報は矛盾がある。

 それはまあいい。なぜエドワード・ノートンが海遊館と関係するかというと、彼の祖父は大富豪である。商業土地開発や、都市計画を請け負う、ラウス・カンパニーの創業者、ジェームズ・ラウスだ。
 せ、その祖父が経営する今ひとつの開発会社が、海遊館の建造に関係しており、そのつながりで「お手伝い」にやってきていたわけだ。

 ノートンがブレイクするきっかけとなった大傑作、『真実の行方』が1996年作品なので、彼が有名になるにはまだ、もう一息かかる。
 だが、実際の海遊館のどこをどう探しても、エドワード・ノートンがそれに関わったという痕跡のようなものはない。当たり前だけど。
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写真:海遊館のナポレオンフィッシュ。実にマヌケな顔で底に居座っている。撮影Incidents

 話変わるが、海遊館の大水槽の底の方で、いつもマイペースな表情をして面白いのが、ナポレオン・フィッシュである。映画系の人間としては、北野武監督の『ソナチネ』(1993)のポスターで、くしざしになっている魚と聞くとわかるだろうか。
 ナポレオンフィッシュの腹を、銛で貫く。この神をも恐れぬ行為ひとつで映画がどれだけヤバイかと、公開当時には見る前から震えあがったことを思い出す。
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写真:『ソナチネ』

2011/6/11

『GGR グレンガリー・グレン・ロス」  ノンセクション

『GGR グレンギャリー・グレン・ロス』
 於 天王洲銀河劇場作:デヴィッド・マメット 演出:青山真治

 1984年のピューリッツァー賞受賞の戯曲。
 クリストファー・ウォーケンとショーン・ペンによる『ロンリー・ブラッド』(1985)といった、血管がブチ切れるような、熱く集中力の塊のような映画を撮らせたら、超一級のジェームズ・フォーリー監督が、ひときわ沸点を上げて作った『摩天楼を夢みて』(1992)として、映画化もされている。

 確か映画版は、雨が降りっぱなしで、全俳優陣が脂汗と冷汗と、鼻水から涙まで、ありとあらゆる液体を顔から噴き出して、テンパった演技をする、とにかく湿度の高い演出が為されていた。
 一方、この青山演出版では、前半の中華料理店場面ではよく水分を取るし、後半の事務所場面でも、給水器からしばしば紙コップで水を飲み、むしろ水分は出すのでなく、内に取り込もうとする。
 もっとも、これほどまでのマシンガントークを要求する舞台では、本番中の水分補給は必須で、それを演出に組み込んだという現実的な配慮も、あるいはあるのかもしれない。
 いずれにせよ、この取り込む水というのに、彼ら一人一人の立場の“アツさ”が滲む。

 この戯曲では、すべての会話は絶体絶命のドタンバだ。あらゆる応答が、その場しのぎの思いつきで為されるが、この台詞の処理。
 映画においては、交わることのない視線は、舞台においては交わったり交わらなかったりする。
 それと同じように、映画では複数の人間が同時に話してしまう事態は滅多にないが、ここでは互いの台詞も、交わったり交わらなかったりしていく。
 この台詞と台詞のかぶさり合いに、ありとあらゆる申し出が、一切合財、他人のためでなく、自分のためにのみ為されているという、強烈な各人のエゴがむき出しになる。

 さらに後半、事務所場面の舞台美術において、ちょうど真正面におかれた掛け時計の存在が、極限ギリギリの焦燥感を表現してやまない。
 物語上は、特に何時までにこうならなければヤバイ、といった時限設定があるわけではないが、舞台にさりげなく置かれた時計が、刻々と時を刻んでいくのを、ちらちらと目の端で確認させられてしまう。
 「説話論的な持続」というのか、映画は時間を省略することが可能だが、舞台は“場”を変えない限りは、同じひとつの時間だけが推移していく、ということを否応なしに見せつけられる。

 舞台の可能性が、そんなところにも試されているようにも思われ、劇場では早くも青山真治監督として、舞台演出第2弾の案内があった。
 マーシャ・ノーマン作『おやすみ、母さん』。こちらもピューリッツァ賞受賞戯曲で、またすごい世界が展開するような気がする。是非足を運びたいと思う(2012/11/26〜12/4)。

 『GGR グレンギャリー・グレン・ロス』都内での日程は、2012/6/10〜6/19。

2011/1/6

『思想地図beta Vol.1』読書中の正月の1コマ  ノンセクション

 2011年。そろそろ活動開始しないとな。

 正月3ヶ日の某日。山手線の中で、「思想地図beta Vol.1」を読んでいて、こんな言葉に出くわした。

東浩紀「(…)お台場と秋葉原をつなぐような観光戦略が出てきてもいい。けれどそういう可能性はまだあまりとらえられていない」(P.85)
 
 なるほど。しかし、私はその可能性というものを、まさに10数分後に目の当たりにすることになる。
 というのは、私が山手線に乗っているのは、家族で浜松町にあるポケモン・センターに向かっていたからだ。

 移転前のポケモン・センター(東京)は東京駅にあって、これは実にわかりにくくて、必ず迷った。ポケモン袋を提げて帰ってくる家族連れを見つけては、道のあたりをつけて行ったものだったが、現在はそんなことはない。
 JR山手線 浜松町駅の改札を出ればすぐそこにある。ぐっとアクセスが容易になった。

 若干の入場制限にひっかかり、数分待ってから、下の息子(小4)は店内に飛び込んでいく。上の娘(中2)はさすがにポケモンからは卒業しているが、文具系で使えるものがないかあれこれ見つくろっている。うちの奥さんは、どっちつかずでブラブラしている。
 私はソーナンスを愛しているので、フィギュア探しに精を出す。
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写真:ソーナンス。私のこよなく愛する、がまんポケモン。画像リンク元
 
 と、店内に3人の20代半ばくらいの男性アメリカ人(推定)観光客がいる。そして、この3人が実に楽しそうにショッピングを楽しんでいるので、面白いから近づいてみる。
 まさに「クール・ジャパン」に魅せられてやって来た、OTAKU3人組であろう。
 そこで、こういう人たちがいったいどんな話をしているのかと、はしたないことは承知で、聞き耳をたてようと思ったのだ。
 申し訳なかったが、以下はその爆笑(?)の記録である。訳はある程度の脚色を交えていることをご容赦。

(ちょっと高級系のケースに入った、チコリータのぬいぐるみを見ながら)
「ほしい…」
「なんてすばらしい造形なんだ…」
「しかし8500Yenはキツくないか」
「む…確かに。だが…いい。」
「どうしたものか…だがちょっと待て。しかしこれは、アニメ絵のデザインに多少のデフォルメが加えられてはいまいか。」
「それはその通りだ」
「となると、もうひとつ見合わない気がしないでもない」
「うむ、ではいったん保留とするか」
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写真:彼らがほしがってたチコリータはこれ。画像リンク元

 大のアメリカ人(推定)男3匹の会話である。面白すぎるので、性懲りもなく彼らの追跡を続ける。
 この時点で彼らの買い物カゴは、戦利品でいっぱいになっている。
 衣類コーナーで、3人組のひとりがピカチューをあしらったスタジャンに興味を示す。

「これほしくね?」
「お前ちょっと買いすぎだよ。もうカゴがいっぱいじゃぁないかッ」
「わはは、お前だって見ろ、自分の買い物カゴを! 人のことは言えんぜ!」
「おぉっと! こりゃまいった! HAHAHA!」
「HAHAHAHA!」

 いったいどういう仲良しぶりだろうと、半ばあきれるが、今度は1人が幼児用のピカチュー・パンツに、手を伸ばす。

「ッッッ!!! ステキなパンツではないか?」
「おいおい、そんな小さなパンツをお前、はくのか。お前のちんちん、そんなちっちゃいのか!」(話がだんだん下品になりつつある)
「パンツの大きさと、ちんちんの大きさは関係ないッ!」
「どんなもんだかね」
「まあ待て。ちんちんの大きさはさておくとして、よい使い道があるぞ」
「ほう、何に使う?」
「(パンツを口にあてがいながら) マスクにするのよ!」
「バカだ! お前、バカだ!!(3人大爆笑)」

 どうも活字で、しかも日本語にすると、そのおかしさを表現できないのだが、何てバカな連中だろうと(表面的には平静を装いつつ)腹の皮をよじらせて笑っていると、1人が言い出した。

 「さすがポケモン・センターだ! ことポケモンに関する限り、秋葉原にはこれほどのグッズはなかった!」

 いったいどれだけポケモン好きの男どもなのか、腰にはモンスターボールを模した、おそらく万歩計をつけているわけだが、それを聞いてふと思い当った。
 浜松町と秋葉原は、駅にしてたったの2駅ではないか。アクセスは実に容易なのだ。
 想像するに、彼らは秋葉原を堪能したあと、ここ浜松町のポケモン・センターに来ている。

 そしてポケモン・センターのある場所から、日本テレビのある日テレタワーは、歩いてほんの数分である。
 日テレプラザでは、日テレ番組のコンテンツを中心とする、さまざまなものを見ることができる他、その周辺はちょっとしたショッピングモールになっている。
 何より、OTAKUとしては宮崎駿デザインの、日テレ大時計を見ておかぬわけにはいかないはずだ(一瞬、アメリカ人(推定)OTAKU3人組に教えてやろうかと躊躇するが、さすがに余計なお世話だ)。
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写真:宮崎駿デザインによる日テレ大時計。画像リンク元

 こうして秋葉原と汐留〜浜松町は無理なく接続を果たす。
 そして、ポケモンセンターをすぐ降りたところの停留所から、バスに乗れば15分ほどでお台場に行くことができる。
 実際、私たち家族のこの日の目的も、ポケモン・センターの後は、お台場散策だった。
 フジテレビから、アクアシティ〜ヴィーナス・フォートへ。

 そしてお台場そのものは、モノレールゆりかもめが、すべてをつないでしまうだろう。
 もちろん、ゆりかもめは日テレのある汐留まで行くことができる。

 これはすなわち、同じく「思想地図beta」所収の、速水健朗の論文「なぜショッピングモールなのか?」における、

 「(…)キー局主要四社は、すべてショッピングモールを併設した複合商業施設の一部となったのだ。昨今のテレビ局はテレビ番組を放送する放送局であるだけでなく、イベントを企画・開催するメディア企業となった。また、同時にショッピングモールの核テナントとして見ることも可能になっている」(P.41)

 という発信ともばっちりミートする。

 こうして秋葉原から、お台場までは、汐留〜浜松町を間に挟むことで、一挙に接続してしまうだろう。
 「思想地図beta」の議論の中心である、「ショッピング/パターン」について、期せずして考えさせられる、正月3ヶ日の家族のお出かけなのだった。

2010/9/3

北海道滞在記その4 〜札幌モエレ沼公園〜  ノンセクション

 「札幌モエレ沼公園」は、札幌市街から車でおおむね30分。
 もともとゴミ処理場だったこの区域は、公園として再造成されることになった。
 そしてマスター・プランナーとして、1988年にイサム・ノグチが参加。時代を考えると、これはまさにバブル経済の産物といえるのだろう。
 そしてこの「札幌モエレ沼公園」は、イサム・ノグチの遺作となった。
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写真:モエレ沼公園。あまりにも広くて、どう撮ればよいのかわからない。撮影:Incidents

 さて、イサム・ノグチのことは、ここでは一言“芸術家”とだけ答えておこう。
 そして映画人ならば、彼を李香蘭=山口淑子=シャーリー山口の、最初の夫としてイメージするかもしれない。
 
 日本人に生まれながら中国で育ち、あげく漢奸として軍事裁判にまでかけられた淑子。
 そして、日本人の父とアメリカ人の母の間に生まれ、生涯アイデンティティに悩みながら、戦中は日系人として収容所にまで入れられたイサム・ノグチ。
 そんな不思議な境遇の2人に、不思議な感情が芽生えたとしても不思議はない。
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写真:山口淑子とイサム・ノグチ。たぶん新婚時代を過ごした、魯山人宅での写真だと思う。
ちなみに2人の年齢差は16年。個人的にはイサムの野郎、うまいことやりゃぁがったなと言う他ない。


 山口淑子はキング・ヴィダー『東は東』に主演。まさに国際的なスターとして羽ばたかんとする真っ只中の、1951年にイサム・ノグチと結婚する。
 アメリカで注目中であった新進気鋭の芸術家と、トップスターの結婚は、世間の注目をどっと集めたはずだ。
 だがその後、生活上のすれ違いが続き、1955年にわずか4年の結婚生活は終止符を打つ。シャーリー・山口、サミュエル・フラー『東京暗黒街・竹の家』に出演の年である。

 さて、「モエレ沼公園」に話を戻す。
 広大な緑広がる公園に、ピラミッド形が4つ。3本のステンレス柱を組み合わせた垂と、2つの山、そしてガラスのピラミッド。
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写真:テトラマウント。3本のステンレス柱の中にはまた1つ小山がある。撮影:Incidents

 足元の緑にはたくさんのクローバー。子どもたちは、直ちに4つ葉を探し始め、ほどなくいくつものそれを発見する。ここはとても幸運な広場なのだということが、すぐわかる。
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写真:プレイマウンテン頂上から。しかしよく考えると、このマクロな公園にあって、足元のミクロの上にもミクロな、四つ葉のクローバーを探すと行為に及ぶというのは、人間としてちっぽけな証拠という気もしないではない。撮影:Incidents

 何がどういいというのではなく、この素朴な風景に圧倒される。広い。
 ノグチ自身の言葉を借りる。
「425エーカーですからニューヨークにあるセントラルパークの半分の大きさですよ。これは面白いと思ってすぐに乗り気になりました。」

 ここには高木がない。だからいっそう面積としての広さが際立つ。そして一面の緑。
また、人を呼び込むかのように切られた舗道を進むと、そこは子ども用の遊具がおかれたミニ公園になっている。
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写真:サクラの森 遊具広場。面白い形のものばかり。すべてデザインはイサム・ノグチ。撮影:Incidents

 シーソー、ブランコ、ジャングルジム、すべり台、その他すべてがイサム・ノグチ自身によるデザインである。
 そしてそのミニ公園は、園内至るところに作られている。公園には細い出口があり、小道を抜けていくと、また別のミニ公園に出くわす。
 しかし、イサム・ノグチがデザインした遊具で幼児たちが遊ぶ。何たる贅沢だろうか。
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写真:サクラの森 遊具広場。色彩がまたいい。撮影:Incidents

 この小さな公園があちこちに偏在しているのは、ノグチのこんな考えに基づく。
「子供達はひとしきり遊ぶと飽きる、しかし森の中に違う遊具が見えてまたそれに向かって走り出す」
 このモエレ沼公園は、どんなに全力で走っても、決して人にぶつからないくらいに広い。
 まさに、子どもがいくら走ってもいい公園なのだ。
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写真:モエレ山頂上から。子どもはいくら突っ走ってもいい。そして思いっきり転べ! 撮影:Mama-san

 最後にひとつ。山口淑子が後年、イサム・ノグチを評して曰く
「イサムさんは自分が普通のアメリカ人とは異なり、東洋の気持ちが理解できると信じてました。でも、結局、彼はアメリカ人でした。」

 この言葉に接して以来、私は長くイサム・ノグチの作品をどうとらえようかと、考えあぐねていた。
 今回訪れて、その解答の1つがこのモエレ沼公園にあるような気がした。
 というのは、上記の言葉に続けて、山口淑子はこう言っているからだ。

「彼は自分のルーツの半分である日本に、限りなくあこがれていた。日本といっても、自分のそのルーツを認めなかった原体験につながる日本をだと思います。(中略)非現実となった日本を彼は追い求めた。日本人ならどうでもいいようなことにこだわり、あこがれていた。そして、合理的な理詰めで、そこへ近づこうとした。それは彼がアメリカ人だからなのだと思いました。」

 やや乱暴な見解をすると、モエレ沼公園のコンセプトは、基本的にどこか枯山水である。
 けれどあれほどざっくりとした、鷹揚なデザインのものではなく、厳密な三角形の構成が守られ、その中における遍在が目指されている。
 さすがに山口淑子の元夫に対する慧眼、おそるべしという他はない。
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写真:ガラスのピラミッド:HIDAMARI。かなり大きな建物なのに、だんだんパースペクティブが混乱してくる。撮影:Incidents

 モエレ沼公園は1988年にノグチが設計に参加し、その時点で完成予定は1997年だった。
 彼がその完成を、自らが見ることができると信じていたかどうかはわからない。
 完成をその目で見るどころか、モエレ沼公園設計に着手したまさにその年、イサム・ノグチは肺炎で死去する。84歳だった。
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写真:ピラミッド内部。実に実に贅沢な空間把握である。撮影:Incidents
 
 恐らくバブル崩壊と経済危機も原因に違いない。モエレ沼公園は、1997年の完成予定から大幅に遅れ、ついに2005年に完成する。
 イサム・ノグチの野望は、実に死後17年後に実ったのだった。その時点でもし存命なら101歳。現在のマノエル・ド・オリヴェイラと同年齢のはずだった。
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写真:同じくピラミッド内部。通路さえも繊細なデザインに満ちている。撮影:Incidents

【以上参考図書】
・ドウス昌代『イサム・ノグチ 宿命の越境者』(講談社)
・「イサム・ノグチ&札幌モエレ沼公園」公式パンフレット
(この公式パンフは、ガラスのピラミッド内のショップで購入可。600円。全48ページ。オールカラーで、写真、テキスト共に充実している。通販でも購入可能
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写真:そしてまた、モエレ沼公園にも日が暮れる。撮影:Incidents

2010/9/1

北海道滞在記その3 〜小樽〜  ノンセクション

 小樽という土地は、かつてTVドラマ『熱中時代』で水谷豊さんが演じられた、北野広大/早野武というキャラクターの故郷として、私にはイメージされる。
 もっと年配なら石原裕次郎が少年時代を過ごしたところ、という土地柄だろうか。

 小樽駅から少し歩くと、すぐに見えてくるのが「小樽オルゴール堂」。巨大な倉庫のような空間に、無数のオルゴール。
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写真:「小樽オルゴール堂」とても広い木造店舗に無数のオルゴール。撮影:Midori

 かねがね私は、一柳慧による『エロス+虐殺』の主題曲を、オルゴールにしたいものだと思ってきた。
 そこで、これほどの規模ならばと、自分が好きな曲でオルゴールを作れないものかと、お店の人に聞いてみる。
 
「作れますよ」というので色めきたち、「譜面は自分で書けばいいですか!?」と重ねて聞くと、「いえいえ、こちらが用意する中から、お好きな曲をお選びいただき、オリジナルのデザインでお作りいただけますよ」と。…それでは何の意味もない。残念。
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写真:「小樽オルゴール堂」男性用トイレのステンドグラス。細かい所も美しい。撮影:Incidents

 なお、デザートがおいしいと言われる北海道でも、近年ひときわ名高いのが、ルタオ【LeTAO】というお店である。
 ここのオリジナルチーズケーキ、“ドゥーブル・フロマージュ”の評判がひときわ高く、直ちにここでお茶をする。なるほど絶品の上にも絶品。評判通りである。
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写真:「LeTAO」にて。実に見事な手さばきで、ドゥーブル・フロマージュを作るケーキ職人。撮影:Incidents

 また、店先で試食のチョコを通行人に手渡している、店員のおねえさんがあまりにも美女で、目が釘付けになる。こんなにきれいな人が働く店なら、うまいのも道理である。
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写真:「LeTAO」前にて。かわいい…。お断りもなく写真出しはどうかなと思ったが、美人だからいいよね? 撮影:Incidents

 道なりに散策すると、六花亭や北菓楼といった、有名どころのお菓子の店舗。
 小樽はガラス細工でも有名なので、北一硝子をはじめとする、数々のお店にいちいち足を止めさせられる。
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写真:「北菓楼」店舗建物横にあしらわれたタイルの装飾。こうしたところが、いちいち洒落ている。撮影:Incidents

 うちの奥さんと子どもたちが運河で遊ぶというので、30分ほど別行動をさせてもらい、私は少し道を外れ、「小樽文学館」に足を運ぶ。
 小樽出身の文学者として、小林多喜二と伊藤整。また、石川啄木もこの地に暮らした。20分もあれば、見学には十分な規模だが、彼らの資料がさまざまに紹介されている。
 
 ことに多喜二の資料の充実ぶりが興味深く、北海道拓殖銀行勤務時代の辞令や賞与まで、見ることができる。
 だが目をひくのは、多喜二虐殺当時の新聞記事の数々だった。これらを眺めていると、何とも痛い気持ちがこみあげる。
 ちなみに、この「小樽文学館」の学芸員によるブログが、何ともアナーキーで秀逸。ことに2002年2月21日の日記は目を疑う。こんな文体のこんな文章が、公立の文学館のサイトに掲載されているだけで、この文学館は天晴れ。

 なお、たぶん方々から寄付されたであろう、たくさんの古書がここにはあるのだが、自由にみつくろって1人5冊まで持ち帰ることができる。ありがたい。
 そこで石川達三、石坂洋二郎、山本有三の絶版の文庫本を何冊か見つくろって、持ち帰る。うれしい。もちろんお代として、いくばくかの小銭を寄付することも忘れない。

 こうして小樽での一日も、あっという間に日が暮れる。一日は本当に早い。    クリックすると元のサイズで表示します
写真:魚屋さん。道なりにはこうしたお魚屋さんもたくさんあり、ホタテやウニなどの生きたやつを、目の前で焼いて食べさせてくれる。
不幸にして私はこうしたものを口にできないのだが、妻子はとても喜んで食べていた。撮影:Incidents

2010/8/30

北海道滞在記その2 〜富良野〜  ノンセクション

 富良野というと、倉本聰が有名にした土地、というイメージしかないが、私はその作品に明るくないので、そのゆかりとなる所がよくわからない。
 あるドラマで長澤まさみがとにかくかわいかった、ということくらいだろうか。 
 ここはレンタカーでドライブするだけで気持ちがいい。というわけで、所々の面白そうな場所に立ち寄ってみる。
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写真:「富良野チーズ工房」の森での木漏れ日。日射しは強いが決して暑くない。撮影:Incidents

 「富良野チーズ工房」では、地元のチーズを生産販売している。子どもたちは手作りバターの体験もできる。びんに入れた生クリームをひたすら振って、脂肪分を固めるのだ。
 清潔な建物内では、お土産もの用のチーズが売られている他、チーズに関する薀蓄があれこれ紹介されている。
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写真:「富良野チーズ工房」。森の中にひっそりと建っている。撮影:Incidents

 ”物語に出てきたチーズ”のコーナーでは、もちろん『アルプスの少女ハイジ』。幼児期にそれを見た者は、生涯忘れられぬ第2話「おじいさんの山小屋」のとろけるチーズ。
 ハイジはそれを焦がしてしまい、決してそれを叱らぬおじいさんに対して、深く反省する印象的なエピソードにインスパイアされたフィギュアがある。
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写真:ハイジのフィギュア。他、『トムとジェリー』のフィギュアも。撮影:Incidents

 あのとけるチーズの動画を、1974年にして作った日本アニメーションの技術水準には、2007年の『レミーのおいしいレストラン』をもってしても、いまだ到達していない。
 というか達成されようがない。そこには「それを初めて見る」というハイジの視点を欠くからだ。

 『レミーのおいしいレストラン』に驚くのは、ダイレクトに観客であり、『アルプスの少女ハイジ』を見る者は、それを見て驚くハイジの姿に共感するのであり、ハイジというフィルターを、一旦経由するのだから、物語への感動としてこれにはかなわない。

 このチーズ工場では、できたての釜焼きピザをいただくことができる上、現地生産のアイスクリームも食べることができる。いずれも絶品。
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写真:『アルプスの少女ハイジ』第2話より。とろけるチーズ。画像リンク元はこちら

 「富田ファーム」は、どこまでも広がるラベンダー畑。
 ラベンダーはやや時期がはずれるので、そのブルーを楽しむことはできなかったが、サルビアをはじめ、さまざまな花々が咲き乱れ、見事に美しい風景を楽しむことができる。
 ことに、コスモスが咲き広がる区画を見渡すと、“♪Me and you must never part,Makidada♪”という、『カラーパープル』のわらべ歌を思い出さずにいられない。クリックすると元のサイズで表示します
写真:『カラーパープル』より。咲き乱れるコスモス畑で再会を喜び合う姉妹。これと『太陽の帝国』を、スピルバーグの色彩時代とする。画像リンク元はこちら
 
 そしてここは、売店も広く美しくレイアウトされ、ポプリ好きにはたまらぬ魅力の場となっている。
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写真:「富野ファーム」売店。品のいい香りが、カントリー風の店内を満たしている。撮影:Incidents

 せせらぎの道では、地下60メートルから湧いているという、清水が流れている。手を浸してみると、肌が痛くなるほど冷たい。
 日中の暑いさなかには、これはありがたい恵みで、懇々と湧く冷水を手のひらに受けて、子どもたちと顔を洗ってみる。どんなに徹夜をしていても、目が覚めそうだ。
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写真:コスモスのお花畑。まさにカラーパープル。そして空はどこまでも青い。撮影:Incidents
 
 こんなふうに車を走らせるうち、やがて日が暮れる。一日は本当に早い。  



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