2012/4/28

「ユベール・ロベール ―時間の庭―」 国立西洋美術館  美術

 ユベール・ロベール 〜時間の庭〜
 於 国立西洋美術館

 ユベール・ロベール(1733〜1808)は、かねがね偏愛する芸術家であるが、決して高い知名度を誇るわけでなく、まさか日本で個展が開かれることになるとは思わなかった。
 今回はロベールの膨大なコレクションを持つ、ヴァランス美術館の改装により、多くの作品が来日したことに伴うものだ。残念ながら至高の美を誇る油彩画は比較的少ない数にとどまり、展示の中心はサンギーヌ(赤チョークの一種)によるデッサンとなる。
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「パラティーノの丘の素描家たち」(1761〜1762)

 しかしロベールの作品をまとめて見る機会など、まずは考えにくく、貴重な催しだと思う。そしてもうひとつ残念なことには、ゴールデンウィークの初日なのに、ほとんど観客がいない。
 普段は作品も満足に鑑賞できない、展覧会の混雑ぶりに文句ばかり言っているが、閑散とした会場でじっくり作品に対峙できることが、嬉しくもあり、また無念でもあるのは贅沢な文句だろうか。

 いや、残念などと口走ってしまったが、デッサンの充実ぶりにはやはり目をみはる。そして、1点1点、モノクロ映画の充実したカットのようなデッサンを見続けながら、不意に油彩画の絢爛たる色彩美に触れるとき、デッサンと油彩の双方が引き立て合う。
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「メレヴィルの情感と庭園」(1791)

 フラゴナールやブーシェらと共に、ロココ時代を代表するロベールは、いわゆる「廃墟」を画題に持ち込むことに個性がある。
 そしてしばしば、現実の風景画の中に、本当はそこにはない廃墟の建造物を描きこむ。こうして1枚の絵の中に、古代ローマから現在に至る巨大な時間の流れが封じ込められ、同時に現在の自然もやがては廃墟と化すという、大きな時間軸がある。

 これは現世における一瞬の享楽、または天上の永遠性こそを是とする、ロココの芸術家にあっては、もはや孤高だ。
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 そして見事な遠近法で、一幅の画を構成するロベールの一点透視画法の、その一点の向こうには、まぎれもなく神の世界がある。
 これを個人的に「天国の門への遠近法」と呼びたいが、凝縮された光の向こう側を想像させるロベールのその色彩を、私は深く愛する。
(左図版は「マルクス・アウレリウス騎馬像、トラヤヌス記念柱、神殿の見える空想のローマ景観」1786)

 私は今しがた、そんなロベールを孤高と書いたが、彼の業績は画業だけにとどまらない。
 ほとんど知られていないことだが、ルイ16世治下のルーブル宮を、現在ある姿の美術館、すなわちルーブル美術館としての構想に携わったのが、ロベールだった。

 彼はルーブルが収蔵する作品の、目録作成、収集、修復、そして観客を想定した展示設計までを仕切り、さしずめ現代で言う学芸員の仕事を先駆けたような、大作業を行った人物だ。(このことに関して、詳細をきわめた展覧会目録の論文がすばらしい)

 そして、ヴェルサイユ宮の庭園設計にも携わり、「国王の庭園デザイナー」の称号を得る。まさに当時の芸術家としての最大権威者だ。
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「ヴェルサイユのアポロンの水浴の木立」(1803) この庭園は今も残る。

 そのような「権威的」人物が、フランス革命後に無事ですむわけがない。1793年にはひとたび投獄されるが、幸いロベスピエールの失脚を機に、翌年には釈放される。
 とはいえ、獄中にありながらも、食事の皿に典雅な風景画を彩色しつつ、牢番を通して販売していたというのだからたくましい。
 そして、その獄中に製作した皿の数点も、今回の展示ではじっくり鑑賞することができる。

 また、このことは不勉強にして知らなかったが、ジャン=ジャック・ルソーの墓碑も、ロベールが手掛けたそうで、彼の業績はもっと大きな興味と共に讃えられてもいいのではないか。
(開催期間 2012年3月6日〜5月20日) 


2012/1/11

ゴヤ展 (国立西洋美術館)  美術

 「プラド美術館所蔵 ゴヤ 光と影」 於 国立西洋美術館

 この展覧会では、友人への書簡の余白に描かれた、限りなく高慢ともいえる表情の中年期(54歳頃)の自画像と、どこか曖昧な怒りとも哀しみともつかぬ表情を浮かべた、その15年後の自画像を含むいくつかのゴヤの顔に、まずは迎えられる。
 そしてこの2作の間には、国際的事件として、ナポレオンのイベリア半島侵攻、そしてそれに続くスペイン独立戦争が横たわっている。
 ただし、この戦争のビフォー/アフターで、ゴヤの作風の何かが大きく変化した、という印象は受けない。

 展覧会の順を追って見て行くと、比較的初期のタペストリー用原画から、本店の目玉でもある絶頂期の「着衣のマハ」を経て、晩年の強烈な風刺に満ちたエッチング連作に至るまで、人間と社会の実相を表現しようという迫力にあふれている。
 その意味でゴヤはどこまでも、人間主義的な作家だった。権威を痛烈に断罪すると共に、だからといって、その圧政に虐げられる“か弱き”民衆に憐みの眼を向けるわけでもなく、人間そのもののどうしようもなさ(それを「原罪」というのかもしれないが)を、強烈なビジョンで描く。
 しかし、それと同時にゴヤは、最晩年には自ら辞するとはいえ、終生、国王の首席宮廷画家の地位を守り続けてもいるのだ。
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写真:<戦争の惨禍> 7番「何と勇敢な!」(1810-14製作 1863初版) 死体を踏みつけにして大砲に火を放つ戦場の女!

 なぜ人間とはかくあるのか、運命はこうも過酷なのか、と画面から巨大な「クエスチョンマーク」が浮かび上がってくるかのような作品群を見つめながら、どういうわけか私の頭の中に、ベートーヴェン最晩年の、弦楽四重奏曲第13番のカバティーナが流れてきた。
 そういえば、1746年生まれのゴヤと、1770年生まれのベートーヴェンはほぼ同時代の人物なのだ。

 どちらも貴族との浅からぬ付き合いを保ちつつ、時代の動乱の中において、人間のありさまを作品にこめた巨人である点で、限りなく近しいものがあり、キャリアが熟すその真っ只中で聴力を失ったという点でもよく似ている。
 おそらくどちらも、人間の聖性を認めつつその本性としての俗なるものが、それを封じ込めて愚昧に堕す、人間の度し難い本性を、かたや音楽、かたや絵画で描いたのだ。
 きっと両者の作品は互いを補完し・増幅し合う。
 そう感じたので、美術館におけるマナーとして、正しいのか少々迷ったが、ふとポケットにあるiPodで先の13番(作品番号130)以後の、ベートーヴェン後期弦楽四重奏曲を小さい音で聴きながら、ゴヤを見た。
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写真:「魔女たちの飛翔」(1798年) これほど人間の奥底を掘り下げつつ、並行して貴族のための神々しい肖像画も残す。

 ベートーヴェンには、ゴヤがためらいがちにしか表現できなかった希望と救済の光があり、ゴヤにはベートーヴェンが表面化させなかった社会批判の鞭がある。
 そしてそれは、絵画と音楽のそれぞれが、よりよく成し得る両端だと思う。

 両者の作品を併せて鑑賞しながら、なるほど、このあたりから芸術というものが、人類が地球にとって百害あって一利なしの、迷惑千万な存在でなく、それを生み出せるが故に、それでもまだ存在するに値する最後の砦として、機能し始めたのだなと感じたのだった。

 たとえば、今回の40年ぶりの来日になるという「着衣のマハ」。この官能的な女性を、そのままのポーズで一糸まとわぬ全裸にし、「裸のマハ」として人類に残したゴヤの、どこまでも人間を探求していこうとする姿勢は、常にどこかで意識していたいと思った。
 ゴヤがそれだけの役割を背負わせたが故に、芸術とは人類の遺産として存在に値するものとなった。ということは、人類そのものが存在に値するものに、高まったということだ。
(2011年10月22日〜2012年1月29日)


2011/1/18

「カンディンスキーと青騎士」展  美術

「カンディンスキーと青騎士」展
  於 三菱一号館美術館。(11月23日〜2月6日)

 この展覧会のことを書くにあたって、できすぎた話のようだが、実は間違って私に映画を作るような才能があれば、かねがね撮ってみたい物語があって、それが「青騎士」をめぐる人々なのだ。
 青騎士とは、ヴァシリー・カンディンスキーが結成した、芸術集団である。

 私の妄想上の映画は、1911年5月のウィーンにおける、グスタフ・マーラーの死と共に始められる。
 画面には未完の交響曲第10番「アダージョ」が壮大に鳴り響く。後期ロマン派のこれが終焉である。これがプロローグ。

 さて、物語は15年前にさかのぼり舞台はミュンヘンに移る。モスクワからやって来たひとりの若者。それが新たな絵画への野心に燃えるヴァシリー・カンディンスキーで、彼が教える絵画のクラスにいた、ガブリエーレ・ミュンターとほどなく恋に落ちるだろう。

 しかし既に妻のいる身だったヴァシリーは、その恋を成就させることができぬまま、2人はヨーロッパを転々と放浪することになる。そして彼らは、その過程で見事な色彩とフォルムを持つ、初期作品を数多く製作する。
 やがて2人は、アルプスふもとの小村ムルナウに理想の地を見出し、そこでようやく長期滞在を実現することで、作品はいっそう色彩に華やかさと壮麗さを増すことになる。
 その過程で、彼らに共鳴する仲間を増やし、着々と理想への歩固めを行っていく。おそらくは最も幸せな時代。ベートーヴェンの「田園」で言うと、2楽章に相当するようなイメージだ。


 さて、ヴァシリーには決定的な転機がやって来る。ここで場面はマーラーが没した1911年に接続する。
 同年1月2日、ミュンヘンで開かれたコンサートに、ヴァシリーとガブリエーレと、その仲間たちが出向いていく。アーノルト・シェーンベルクによる演奏会である。
 これにヴァシリーは決定的な衝撃を受け、ここに自らが目指す芸術の理想の具現化を見る。曲目は「弦楽四重奏曲第2番 作品10」と「3つのピアノ曲作品11」。

 ヴァシリーはこのコンサートから受けたショックを視覚化すべく、絵画史上最重要作の1つ、『印象V〈コンサート〉』を一気呵成に書き上げる。
 ステージとヴァシリーの恍惚たる顔とのクロスカッティング。同時に画面は『印象V』の黄色に染まっていくのだ。
 そして、そのときあふれた情熱が、ガブリエーレ以下、理想を一にする仲間たちを含む「青騎士」結成に至るのだった。
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写真:カンディンスキー『印象V〈コンサート〉』1911 画像リンク元

 このように、シェーンベルクの絶対的なまでに理性的な音楽が、カンディンスキーの理想を喚起したまさにそのとき、馥郁たる音楽の書き手であるグスタフ・マーラーがこの世を去るという、冒頭のシーンにつながったところで、第一部完である。

 私の妄想の映画における第二部は、第一次大戦の勃発で、早々に潰えた青騎士の理想。そして仲間たちの戦死。失意。ガブリエーレとの別れと再会、そして再度の別れ。
 やがて起こった第二次大戦中に没するヴァシリー以下、青騎士集団の作品を戦後まで守り通した、ガブリエーレのその後の苦難を活写し、晩年にその作品群の一切をレンバッハ美術館に寄贈。80歳の誕生日のことであり、やがて1962年に、そのガブリエーラもこの世を去る。
 そのエンディングには、シェーンベルクの『浄夜』を、弦楽合奏版で力いっぱい流してやろうと思う。

 ちなみにガブリエーレを演じるのは、ナオミ・ワッツに決定である。ヴァシリーはジョージ・クルーニーで。脚本・監督はこの私。
 これでユダヤ民族の話にまで踏み込むつもりだけど、まあ、アカデミー賞は確実に独占しちゃうかな。

 という、馬鹿馬鹿しくも、絶対に実現するはずのない企画を、半ば冗談でこっそり持っているが、この展覧会はその私の個人的妄想の映画の第一部にあたる作品群を、ごそっと紹介してくれる、個人的には感謝以上のものがある、素晴らしい企画展なのだった。

 それにしても本稿をお読みの方の、相当数に経験があるのではないだろうか。すばらしい作品を見聞きしたときに、腹の底から湧き上がるような、「こうしてはいられないんだ」という、むせかえるような圧倒的な感情。
 残念ながら私を含む、ほとんどの人間には才能を欠いているので、その激情の持って行き場がなく、いつしかクールダウンしてしまうのだが、ごくごく一握りの天才はそれを作品化できてしまう。
 この展覧会はその、「こうしてはいられないんだ」というような、カンディンスキーとガブリエーレ・ミュンター、そして青騎士へと至る仲間たちの、沸点ギリギリの情熱にあふれかえっている。

 見たことのない形象、経験したことのない色彩、何か違うことを、別の何かを、という鮮烈な感情に圧倒される。
 彼らの作品からやがて、キュビスムやフォーヴィスム、あるいは未来派へと派生していくのだろうが(第2回青騎士展には、ジョルジョ・ブラックやピカソも出品していたのだそうだ)、そうした絵画の形式性とは無縁に、五感がとらえたものを色と形に転換させる、印象主義を超えた印象主義がここにある。

 そんな作品群の中、ヴァシリーがガブリエーレを描いた肖像画、これはマネの「すみれのブーケをつけたベルト・モリゾ」と並んで、個人的に最も愛する肖像画なのだが、カンディンスキーとしてあり得ないほど、徹底的に写実主義に徹して描かれた『ガブリエーレ・ミュンターの肖像』にばったりと出会うと、深い深い衝撃に見舞われる。

 これほど美しい恋人へのラブレターがあるだろうか。
 印象を極めて抽象化した絵画に還元することが、カンディンスキーの絵画の方向性であるならば、写真よりも写真に近く写実化した、このガブリエーレの姿こそが、彼の心象風景における彼女の姿であったのだ。
 それって最高にロマンチックなことではないか?
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写真:カンディンスキー『ガブリエーレ・ミュンターの肖像』1905 画像リンク元

 これは1905年の作品。1896年にミュンヘンにやって来て、1911年に青騎士を結成する、カンディンスキーの、おおむね中間の頃である。
 展覧会図録によると、後にカンディンスキーが彼女に宛てた手紙の中で、この肖像画に言及して「出来の悪い絵」と語ったという。
 その手紙がいつのものかが示されていないのだが(そこは重要なことだと思う)、もしそうだとしたら、後年のヴァシリーとガブリエーレの別れの予兆がそこにあるのではなかろうか、とまたしても妄想を膨らませてしまう。

 決して出品作品が多くはなく(60点)、本展覧会では扱われていない、青騎士解散後のカンディンスキーの作品の方が、ある意味さらに刺激的だったりもするのだが、カンディンスキーとミュンターそして、フランツ・マルクやアウグスト・マッケら青騎士集団の作品の粋を鑑賞できる、見事な展覧会である。

 また、理想の地ムルナウを見出すに至るまでの、ヴァシリーとガブリエーレの写真も多数展示されていて興味が尽きない。
 それらを詳細な解説と、理想的な印刷でとりまとめた展覧会図録も、これが2300円ならほとんどタダも同然。
 あらゆる点で、素晴らしく刺激的な展覧会である。
              ↓ちなみこのCDは高橋悠治と若き日の坂本龍一の連弾が聴けるすぐれもの
 

2011/1/8

ドガ展  美術

 「ドガ展」 於 横浜美術館

 既に会期は終わっているが(2010年12月31日まで)、昨年末のクリスマスの日、閉会ギリギリに駆け込む。すばらしかった。

 ゴダールは『映画史』の中で、映画を発明したのはマネだと語ったのは有名な挿話だが、しかしこの時代にドガほど動きへの欲望を、絵画に定着させた人間はいないと確信した。
 今回の展覧会の目玉であった、『エトワール』を頂点に、ドガがどれほど動きの連続性の中で、画面を作ったか、その軌跡を辿る鑑賞である。
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画像:ドガ『エトワール』。今回の目玉作品。まるで踊り子が動いてきた軌跡が、目に浮かんでくるかのようだ。

 ここで「動き」という言葉を使ったのだが、むしろ「動画」というべきなのかもしれない。いささかの無茶を承知でいえば、ゴダールのひそみに倣い、アニメを発明したのはドガであると極論してしまおう。

 たとえば、『画家の従姉妹の肖像』。2人の従姉妹同士を描いたこの作品だが、私の目にはどうしてもこの絵が、“少女が2人いる”というよりも、1人の少女が左から右へと移動したという、連続する2コマに見えてならない。これは動画そのものだ。
 その見方は極端にしても、しかしこの絵は私たちの視線を右から左へとすべらせる。すると、ここにはカメラのトラベリング(またはパン)を感じないだろうか。
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画像:ドガ『画家の従姉妹の肖像』。From Left To Right。

 そしてドガが繰り返し描いた、『エトワール』をその極みとする、踊り子たちの群像図。こうした少女たちの個々の身ぶりが、動きの連続、連鎖、何と呼んでもよいが、いずれにせよ動きが動きを誘うことで、見る者の視線を移動せしめる。
 かくして、ドガの絵にはカメラの移動がある。
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画像:ドガ『バレエの授業』。奥から手前への華麗な移動!

 そして、それは生涯のモチーフであった踊り子たちだけでなく、労働者を描く場合も、馬を描く場合も同じことが起こる。
 それは当然その通りで、このことをポール・ヴァレリーは、「陽光の中を小刻みに歩いてゆく純潔馬ほど、バレエのプルミエールに、群舞の中にいるエトワールに似ているものはない」(『ドガ ダンス デッサン』(清水徹・訳 筑摩書房 P.65))と、美しく表現している。
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画像:ドガ『綿花取引所の人々(ニューオリンズ)』
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画像:ドガ『出走前』いずれも美しいカメラ移動を思わせずにいられない。

 ドガはそれを、移動する視線(カメラ)としてイメージしていたに違いないのだが、しかしドガは映画を知っていたのだろうか。
 晩年のドガは、写真に熱中したという。そして撮った写真に基づいて、絵画の製作も行ったらしい。本展覧会でも、ドガが撮影した写真が相当数展示されていて興味深い(中にはベルト・モリゾの娘、ジュリー・マネのスナップもあって、実に美しい!)。

 ドガが映画を見たのかどうか、という点についての資料を私はまだ目にしていない。
 少なくとも、ドガの生涯は1834〜1917なので、映画の誕生には十分、とまでは言えないかもだが、間に合っている。
 しかしドガは50代の半ば。すなわち1880年代にはかなり視力の衰えが進んでおり、油絵の製作もほとんど行っていないという。
 そしてそれとほぼ時期を一にして、写真に目覚めるのだが、もろもろ考えると、ドガは映画鑑賞に間に合わなかったように思う。とするならば、私はそれをすごく残念に思う。

 最後に妄想を1つ蛇足しておくと、ドガが夢想したに違いない、少女たちの群舞のカメラ移動に限りなく近いものを、現在の私たちは見ることができる。
 AKB48の「ヘビーローテーション」である。演出は蜷川実花。
 

2010/9/6

東京都現代美術館『借りぐらしのアリエッティ×種田陽平展』  美術

 『借り暮らしのアリエッティ×種田陽平展』  於 東京都現代美術館。

 宣伝でも断ってある通り、美術監督・種田陽平は、映画『借り暮らしのアリエッティ』の画面に対して直接の貢献はしていない。映画の美術監督は、武重洋二と吉田昇による。

 基本的な美術設定は、宮崎駿による16枚のスケッチに基づいており(一部展示あり)、それを叩き台に、映画製作と同時進行で本展覧会用のセット製作も進めたのだそうだ。
 従って、今回の展示物は映画の美術がそのまま再現されたものではない。

 たとえば、展覧会の音声ガイド(500円)の、武重&吉田対談で明かされるのだが、種田セットを見学すると、アリエッティの父親の部屋には、乾電池が置かれている。
 2人は、映画ができた後にこれを見て、「あっ」と声をあげたのだそうだ。つまり「小人」サイズを表現するのに、乾電池はうってつけの素材だから、ということだ。
 こうした所に、種田陽平という人のセンスが、少し見えてくる。
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写真:根岸吉太郎『ヴィヨンの妻〜桜桃とタンポポ〜』(美術・種田陽平)より。確かにこれは近年、すごい美術だ!と思わされた一品。しかし展示されたスケッチには、もっと貧困の凄みがあって驚かされる。

 ちなみに、映画での美術のポイントとしては、「小人感」を出すために、スプーンやクリップ、レンガは本来よりも少し大きめに描き、また、「覗き見」感を出すために手前の物を大きく描くなど、パターンを決めていたのだそうだ。

(なお、私は本来、展覧会の音声ガイドにお金を払うことはまずない。けれど切通理作さんから、一昨年の「スタジオジブリ・レイアウト展」の音声ガイドが、とても充実したものだったと教わって、非常に悔しい思いをしていたのだ)

 最初の展示は、まさにアリエッティの住処を実寸セットにしたもの。ここでのポイントは、入場してぐるりと一周すると、また元に戻って来るということだ。
 これがなるほど、映画の美術監督らしい組み方だと思わされるのが、展示の先に三谷幸喜『THE 有頂天ホテル』のホテル内セットのデザインや、『ザ・マジックアワー』で作り上げた街のミニチュア模型があり、これもまたぐるりと一周できるような造りになっているからだ。
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写真:Q・タランティーノ『キル・ビルVol.1』(美術・種田陽平)より。背後の階段から後ろぐるりと回って一周できる構造は、そういえば『THE有頂天ホテル』のホテルロビーと同じだ。 画像リンク元

 正直なところ、アリエッティの住居のセットは、さほど面白いものではなかった。
 ディズニー・ランド内、トゥーン・タウンの「ミッキーの家」や「ドナルドの家」を知る人なら、あんなようなものだとイメージできると思う。
 実際、大混雑の場内までディズニー・ランド的だ(30分待ちで入場したのだ)。

 それでも、住居セットを抜け出したところに置かれた、映画冒頭でアリエッティが駆け抜けた草原のセットは楽しかった。
 これもディズニー・ランド的といえばその通りなのだが、逆に言うとディズニー・ランドのようにわくわくできる。
 このときふと、20年後くらいに舞浜に隣接して「ジブリ・ランド」なんて作られてしまう可能性がある…、とイヤな胸騒ぎがしたことも告白しておく。

 ところで、その音声ガイドでの種田陽平の言葉によると、自分の映画美術がもたらす効果について、
「映像美というよりは、空間が活き活きと息づいているような画を求めている」
と語っている。
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写真:『キル・ビルVol.1』よりもう1枚。この場面はいかにも「美術監督」のセンスが横溢しているように思う。画像リンク元

 実のところ、本展覧会に『借りぐらしのアリエッティ』のあれこれを見学しようと思ったら、正直がっかりさせられる。
 あくまでもメインは、種田陽平の手による映画作品の美術の紹介が中心だ。『借りぐらしのアリエッティ』以外の映画スチールや、美術設計のためのスケッチが多くを占める。
 これらが、「空間が活き活きと息づ」かせる効果を、改めて教えてくれる。
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写真:是枝裕和『空気人形』(美術・種田陽平)より。間違いなくこの美術によって、空間が活き活きと息づいている。

 採光のための窓がどこに切られているか、どこに空間をあけて、どこに物質密度を高めているか、といったことに集中して目を向けるというのは、普段、画面の連鎖として映画を見ている間は、(少なくとも私は)なかなかできないことだ。

 その意味で、この展覧会は映画を見るうえで、ちょっと別の窓を開いてもらった、そんな体験ができたように思う。
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写真:長崎俊一『西の魔女が死んだ』(美術・種田陽平)から。この素敵な一軒もまた、美しい美術の一つである。

【備考】『キル・ビルVol.1』を除き、画像リンク元はすべてeiga.com

2010/8/1

アルプスの少女ハイジ「小田部羊一の世界展」  美術

 「小田部羊一の世界展」 於 丸善丸の内本店4Fギャラリー 
 小田部羊一さんは、『アルプスの少女ハイジ』、『母をたずねて三千里』などのキャラクター・デザインおよび作画監督を担当。高畑勲、宮崎駿と共にあの名作を産んだ三角形のうち、1角を担った。ほとんど神のごとき存在である。

 その原画展が丸善で開催された(8月3日まで)。2010年東京国際アニメフェアで功労賞を受賞した記念の展覧会だ。同賞は奥様(ご本人は必ず「パートナー」とお呼びになる)の奥山玲子さんとの共同受賞をしているが(高畑勲さんも同時受賞)、奥山さんは残念ながら既に亡くなられている。
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写真:「小田部羊一の世界展』入口。場内は撮影禁止なので、せめて入口だけ。撮影:Incidents

 原画26点とリソグラフ版画が14点(うち4点が「三千里」で、残りが「ハイジ」)が展示されており、決して多くはないが十分。
 いずれもおそらく今回のための新作。すべてが目が洗われるような清新さに満ち溢れている。どれも即売もしている。

 せめて1点くらい図版を紹介したいのだが残念。
 素人故、詳しい画材はわからないが、鉛筆書きの下絵に、淡く水彩具を丁寧に塗られて、ハイジたちを描いた目に優しい彩りの作品ばかりだ。
 小田部さんは決して強い色を用いない。どの色も、少しホワイトを混ぜたような、柔らかいパステル調に染まって、見る者の心を落ち着かせる。

 やはり基本は原画の人なんだなあと思わされるのが、ほとんどがアルムの山々を背景にしながら、パースペクティブを強くとった絵が多くないことだ。どちらかというと、フレーム全体を「面」としてとらえた作品が多く、近景と遠景にもあまり遠近のコントラストのための塗り分けはされていない。
 そのかわり、光の変化による色のグラデーションが、絵の美しさを際立てる。
 「山が燃えている!」と目を輝かせるハイジの絵は、その最たるものかもしれない。
 個人的には、モミの木を見上げながら風に髪をなびかせているハイジの絵が、強く印象に残った。あえて表現するならば、空気の美しい画なのだ。
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写真:『風の谷のナウシカ』より。青き衣をまといて金色の野に降り立つナウシカ。このシーンの原画担当が、小田部羊一さんであるといえば、どれだけ偉大な方かわかろうというもの。画像リンク元

 なお、この日8月2日は小田部さんのサイン会も同時に行われ、それに先だって、10分少々の簡単なトークを聞くことができた。
 やはり印象的だったのは、パートナーである奥山玲子さんについて触れたくだりである。

 自分は絵が好きでやってきて、ちょうど彼女も同じで、いつしかパートナーとしてやっていくことになったわけです。そんな彼女も3年前にあちら側に逝ってしまいましたが。
 当時は結婚しても女性が働くなんてとんでもない、信じられないような時代でした。けれど彼女は、女性だからといって、好きなことをやめるような人ではない。
 もちろん当時の考え方では、私の方に負担もくるわけですが、それで考えを変えるような人ではない。もしおりるとしたらあんたの方でしょ、というような気の強い人でした。
 自分は絵が好きでやってきただけで、何の功労もしていない。だから賞(東京国際アニメフェア)をもらうとしたら、奥山の方だと思う。
 それでも、今このような賞をもらえるのは、ありがたいと思う、との言葉だった。

 そして、「ハイジ」のことにも触れられ、
 思えばテレビ放映からもう36年。それでもこうして見に来てくださる。それも自分のお子さんを連れてまで。
 ハイジの世界を作るのに、スイスまでたずねるということを製作会社はやってくれた。これはすごくよかったと思う。百聞は一見にしかず。そこには美しいだけでなく、ちゃんと人が生活しているのです。
 そのことを、監督の高畑勲、場面を設計した宮崎駿、そしてキャラクターを作った私が、受け止めることができた。
 
 もちろんアニメーションだからその通りではありません。夢のように美しく仕上げた部分もあるし、多少誇張して面白おかしく仕上げたところもあります。
 でも、本物とは違わない。それが私たちが受け取ったアルプスの世界でしたし、それが皆さんにも通じたのだと思う。

 今、地球的に大きな変動が起こっています。スイスでさえ氷河が溶けているとか。とても悲しくなってしまうが、それを守るための願いのようなものに、この気持ちがつながっていけばいいなあと思うのです。

 今回の展覧会、ヘトヘトになりました。年齢のせいもあるかもしれない。でも、本当にヘトヘトになった。それでもこうして会場の壁を埋めることができました。今日はどうもありがとうございました。
 といった内容の、感動的な言葉に満ちた挨拶である。

 サイン会は、原画または画集を買った人に参加資格があると聞いていた。
 けれど一番手が届きそうな画集、「小田部羊一 アニメーション画集」(アニドウ・フィルム)でも、これが14,700円の超大判サイズで、ちょっと手が出ない。
 原画は一律157,500円と、これもさすがに私の乏しいお小遣いでは無理。一部のリソグラフは15,000円代と、一瞬クレジットカードに手が出かけたが、よくよく考えてこれが我が家にあっても宝の持ち腐れである。

 それでサインを頂戴するのはあきらめ、高価な原画を購入して、その額の裏にサインをもらう人を羨ましく眺めていた。
 だいたい1時間くらい経過した頃だろうか、普通の関連書にサインを頂いている年配の方を目にする。直ちに係の人に確認すると、関連書でも参加資格があると。
 あわてて、ちばかおり『アルプスのハイジ少女の世界』(求龍堂)を購入(持ってるのにね)。サイン会も終わり近くで、ギリギリだった。

 小田部さんのサイン会は、とても親密だった。
 デスクの前に、こちらの座席まで用意されていて、サインの間に小田部さんと簡単にお話までさせていただける。
 ごく最近、山田宏一さんからご署名をいただいた時も胸が震えたが、今度もまた目の前に神様がいるという、この思い。

 自分の番が回ったとき、小田部さんの目の前に座り「夢のようです」などと口走る。
 「いくつになっても、ハイジや三千里にこだわっております」などと愚にもつかぬことを申し上げ、「それにしても、今日の展示作品を拝見して、クララの瞳がこんなにも鮮やかなブルーだとは初めて知りました!」とお声かけする。
 サインする手をちょっとお止めになり、「そぉーですか!」と微笑みかけていただく。あのお声、決して忘れない。
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写真:小田部羊一さんのサイン。家宝である。撮影:Incidents

 しかしこの全身からあふれるような、いかにもお人柄のよさそうな、柔らかい佇まいはどうだろうか。少なくとも今こうして接している限りにおいては、厳しさやいかめしさのようなものは、何も漂ってこない。
 これは同じ画業の方でも、やはりごく最近に接する機会のあった和田誠さんの、どこかピンと張り詰めたところのある方とは、まったく違う空気感だった。
 おそらくこうしたソフトな感じが、ハイジをはじめとする作品の、優しさにつながっているのだと思う。
 忘れられぬ日。
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写真:小田部羊一さんとわたし。感激。夢だけど夢じゃない。撮影:Maruzen

2010/6/22

『マネとモダン・パリ展』 三菱一号館美術館  美術

「マネとモダン・パリ展」 三菱一号館美術館(2010年4月6日〜7月25日)
 すばらしい展示だった。80点ものマネをまとめて見れるというだけでもすごいのに、マネが活躍した同時期のパリが勃興していく、まさにそのリアルタイムの建築素描・デッサン・写真が散りばめられていく。これはいわゆる“あこがれの巴里”が、今まさに生まれようとする、その時代のダイナミズムを共に旅する展覧会だ。

 マネがいよいよ画家として活動を開始する1850年代。まさにナポレオン三世が皇帝に即位し、第二帝政が始まる。ほどなく、ジョルジュ・オスマンによってパリの大改造が手掛けられ、今あるパリの風景ができたのだ。そうした築かれつつある都市の建築素描 を、これでもかと見せてくれる。
 今まさに建設されんとする、ポン・ヌフ、ルーブル、それに旧オペラ座などなどの風景。

 一方マネは50年代の修業時代を終え、60年代に入ると『草上の昼食』、『オランピア』といった問題作を次々打ち出し、まさに創作力がみなぎっていく。
 さすがにそれほどの有名作の展示はないが、代わりに同時期の『エミール・ゾラ』の肖像。『死せる闘牛士』といった、名作・問題作をたっぷりと見ることができる。
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マネ『死せる闘牛士』1864年頃。いや、実にまったく死んでいる。画像リンク元はここ

 この『死せる闘牛士』…だが、それにしても、いかにも“死んでいる”といった、この構図はどうだ。地上が曖昧に描かれているせいか、浮遊しているようにも見えるが、しかし確かな質量をもって横たわっている。
 マネはどういうわけだか、しばしば人間の「死体」を描く。来るべきは1860年代が終わって早々、1870年の普仏戦争勃発だ。
 愛国者として国民軍に参加。画筆をおいて銃をとったマネのことを紹介しつつ、当時の貴重な書物(三菱一号館美術館館長・高橋明也氏の貴重な蔵書だそうだ! )も展示され、パリ・コミューン悲惨な末路を知ることができる。
 この頃、パリは革命以来の血の海と化したのだ。それがいわゆる「血の一週間」である。

 1870年代前後はこのように、激動のパリであるが、マネはこの頃、ベルト・モリゾと知己を得、さらにマラルメとの友情を確立する。
 第三帝政以後のパリにおいて、いよいよマネの画業の究極が花開くことになるのだ。

 ことに、私が愛してやまない『すみれの花束をつけたベルト・モリゾ』を含む、モリゾの肖像5点を集めた小部屋の悦びはちょっとない。
 もちろんマラルメとコラボした、アラン・ポーの挿絵シリーズの展示も充実の一言だ。
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写真:私のというより、家族のPC机の上で昔から微笑む、マネ『すみれの花束をつけたベルト・モリゾ』。家族のというより、私の守り神。写真:Incidents(2010:June22nd)

 そして晩年へ。1883年に死去。51年という短い生涯だが、けれどマネのキャリア ―印象派諸氏とはやや先輩格の― は、まさにパリが現在のパリへと生まれつつある時期と、正確に一致する。パリの産声は、マネの青春と共にあったのだ。

 最近はミシェル・フーコーの『マネの絵画』(筑摩書房)の刊行。そして、ジャン=リュック・ゴダール『映画史』での「映画はマネと共に始まる」の言葉がやや独り歩きした感があり、マネの特異な画面構造が、いささかの衒学的趣味でもって語られ過ぎているように思う。
 この展覧会は、そんなマネの純然たる美をつきつけてくれた。
 そして、実はそれほど語られていなかった事実。マネの画業はパリという都市の創造と共にあった、ということを見事に教えてくれる。
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写真:マネ『小型円卓の前、赤いスカートにブーツを履いた足』。1880年頃。マネは最晩年にはこんなにも洒落た水彩画も残している。展覧会用絵ハガキを撮影。撮影:Incidents

 必見の上にも必見の展覧会だと思う。2500円の図録もすばらしい出来栄え。鑑賞後はぜひ近場のカフェに入って、その図録を紐解きながら美味いコーヒーを飲みたい。
 これ以上の至福は他にない。
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写真:三菱一号館美術館の中庭。展示階2階窓から。MOMAがそうであるように、美術館には雰囲気のいい中庭は必須だろう。撮影:Incidents(2010:June26th)

2010/2/18

東京国立博物館「国宝 土偶展」  美術

 書きそびれていたが、柄にもなく先日の日曜に、東京国立博物館の「国宝 土偶展」を見物に行く。
 実は私が見たかったわけでなく、下の息子(小3)が突然「どうしても見に行きたい」と言い出したので、「ほう?」と思いつつ、連れて行ったのだった。

 こいつ何でまた「土偶」に興味を持ったのだろうと思ったが、よくよく話をまとめると、学校の図書館に展覧会チラシがおいてあったのと、いわゆる“遮光器土偶”が、古代に日本に来た宇宙人を模したもの、という説を真に受けたことがきっかけだった。 
 きっかけはともあれ、おおいにけっこう。上野までくりだす。
クリックすると元のサイズで表示します写真:「遮光器土偶」(前1000〜前400) 言われてみると確かにカッコいい。特に左足がないのが悪くない。スケールが違いすぎるとはいえ、「ミロのビーナス」の腕がなかったり、「サモトラケのニケ」に頭や腕がないのにも似た、格調を感じさせられる。
 すると、「土偶展」がまさかの大混雑で驚く。混んでない展覧会というのは、この世にないのか。しかし子どもは目を輝かせて展示室に突撃する。

 彼はなんと、自作の「どぐうノート」を早起きして作り、“やる気まんまん”だった。で、最初の展示品である「仮面土偶」に恍惚としながら、スケッチしてメモをとり始める。
 と、間もなく私の逆鱗にふれることになるのが、展示室の係員だった。
 せっせとメモする子どもに対して、こんなことを言う。
「とっても混んでるから、立ち止まらないでどんどん先に進んでね」

 混んでいるのはわかる。どんどん客を流したいのもわかる。もちろん迷惑かける気もない。しかし、やっぱり心なさすぎないか?
 身長110cmそこそこのチビが、目の前に立ちふさがる大人たちの向こうにわずかに見える土偶を、跳ねたり身をよじらせたりして、何とか視界に入れようと努力しているのだ。
 で、鉛筆で「前から」とか「横から」とか、2方向からの姿をスケッチしつつ、「とくちょう:でべそ」とか「とくちょう2:手がぐるぐる」とか、自分なりに解釈を加えて頑張っているのだが、そこを「立ち止まるな」はひどいんじゃないか。

 「ええっ?」という顔をする子どもだが、私は「かまわない。お前はケースからかなり離れて描いているし、誰の邪魔にもなってない。気が済むまでやっていい」と安心させる。
 実際、彼は展示ケースから2メートルは離れているのだ。だって大人たちがたくさんいて、とても近づけないから。私もそこを押しのけて、自分の子のために場所をあけさせるほど身勝手な振る舞いは、厳に慎んだつもりだ。
クリックすると元のサイズで表示します写真:「仮面土偶」(前2000〜前1000)なるほど確かにカッコいい。そしてこの足のシルエット、どこかで見たことあると思ったら、「ガンダム」のモビルスーツ「ドム」じゃないか。
 そうやって、1つ1つ土偶を見ては、せっせと「どぐうノート」のページを埋めるうちの子だが、その間もその係員はちらちら、こちらの様子をうかがっている気配である。
 それから20分ほどしてだろうか、たまりかねたか(しかし何に?)また係員は子どものところに来て、「なるべく早くすませるようにしてね」と言う。
 「ずいぶん配慮しているつもりで、私も注意してケースからはかなり離させているし、他の方の妨げにはなってないのではないでしょうか?」と、今度は私も反論する。
 すると、「他にじっくりご覧になりたい方との不公平になりますので」と。

 言うことがよくわからない。小学生のチビが、懸命に自分なりの「どぐう」研究に励み、私も付き添いとして慎重に気を配った作業の、何がどう不公平か。

 さすがに3度目の注意はないまま、2時間以上もたった頃だろうか。展示室の年配のお客さんたち(ほとんどが年配者だ)の間に、何となく奇妙な空気が流れ始めた。
「さっきからすごく熱心に勉強している、小さな子どもが1人いる」
 ずいぶん前から、特に年配の女性とかが、「ボク、じょうずに描くのねぇ」と次々に彼に声をかけ、人によっては頭をなでていく方もいて、本人もそこそこ鼻が高かったようだ。

 思った以上に彼は目立っていたのかも。展示は1室だけで、とても狭かったのだ。
 そのせいか、ある頃を境に、「この子にじっくりと、思う存分に見せてあげようじゃぁないか」といった、連帯感のようなものが、観客たちの間に芽生えた。
 イメージ的には、加藤泰の映画に出てくる晩年の嵐寛寿郎のような。やはりお年寄りは、「土偶」を見物するような子どもを好むのだ。

 さらに驚いたことには、何名かの男性のお年寄りが、アイコンタクトで連携して、「その子、今度はそっちへ行ったぞ!」といった合図を送り、送られた側は「OK!」とばかりに、少しスペースを空け、うちの子がノートしやすいよう、ガードさえ始めてくれる。
 うちの子はもちろん、そんなこととは露知らず、何だか見やすくなってきたなぁ、という程度にしか感じていなかったはずだ。

 では、なぜ私がそれをわかったかというと、その頃はさすがにくたびれて、休憩の椅子に腰掛けながら、子どもが迷惑にならぬよう、全体を見ていたからなのだ。そんな様子に、親としての私はお礼を言ったものかどうしたものか、どぎまぎするばかりだ。
 だからそんな会場の様子に、私としては心の中で手を合わせるのみである。


 けれど、博物館の監視員の態度については、彼女の立場は理解こそするけれど、もっとおおらかな作品鑑賞の場をなぜ作れないかと思う。
 1973年のモナリザ展以来、「立ち止まらずにご覧ください」というのは、日本の展覧会の伝統だが、しかし作品を見に来て「いつまでも見ているな」と注意するってなんだよ、まして楽しみに上野まで来て、がんばって自主研究している子どもにまで、と心から思う。

 そんな気分の中、思いがけず巻き起こった、子ども擁護のお年寄りたちの連携プレイ(?)は、ちょっとした奇跡を見る思いだった。

 そんな中、実に3時間半。全67体の展示土偶をすべてスケッチして、完全に研究しきった! 私でさえ、3時間以上も展覧会を見回ったことなど1度もない。
 子どもの土偶熱がそういつまでも続くとは思えないが、これはかなり大したものだ。

2009/10/3

東京都現代美術館 「メアリー・ブレア展」  美術

 東京都現代美術館。「メアリー・ブレア展」を鑑賞。

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(写真:…何だ? これは…。東京都現代美術館2010.10.3 PM14時頃。撮影:Incidents)

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(写真:やっぱり来なけりゃよかった…。同場所・同時刻。撮影:Incidents)

 とにかくものすごい人、人、人で、驚くよりいっそあきれる。いくら会期中最後の週末とはいえ、夏休みは外したのに、さすがにこれはひどすぎないか。
 だから正直なところ、あまりに入場者が膨大で、作品を見たという気分は持てなかった。
 だが、観客の頭越しに見え隠れする作品の内容は、さすがに魅力にあふれていて、これをもっとじっくり見ることができないのが、つくづく残念に思う。
 とにかく、展示作品が膨大で、ディズニー入社以前のものから、ディズニー期はもちろんのこと、退社後の商業作品を通って、晩年のプライベートな作品までを網羅する。
 基本的にはどんどん素通りしつつも、たっぷり3時間かかった。

 さて、私自身のこの展覧会での興味は、ウォルト・ディズニーの最重要アート・コンセプターとして、メアリー・ブレアの何を、ウォルトがそれほど買ったのかということだった。
 というのは、ブレアが描いた「レイアウト」での、シンデレラもアリスもピーター・パンも、完成した映画作品のキャラクター・デザインとはまるで違うからだ。
 というより、ブレアの描く人物は、動画にしてとても「動く」キャラじゃない(だから、キャラクター造形というのは、きっとブレアとまったく無関係の部門で開発されていたはずだ)。
 けれど、この世界を「動かしてみたい」という好奇心に駆られることは確かなのだ。

 それは、ブレアの描く人物が、決して大地・地面を踏みしめてはおらず、物質もその位置が固定されていなくって、いずれもどこか中空に浮いているような印象を与えることから来るのだろうか。
 そうした雰囲気の源泉を探り当てる力はないが、それは、現在にあって最もブレアの影響圏にあることが瞭然の、『モンスターズ・インク』監督のピート・ドクターが「どうしてなのか、彼女は気分や感じをうまく捕まえている」(展覧会カタログ所収エッセイより)と述べる通りのことなのかもしれない。
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(写真:「モンスターズ・インク ライズ&ゴーシーク」。これも確かにメアリー・ブレアのタッチを受け継いでいる。於、2009.09.27TDL。撮影:Incidents)

 ウォルトが彼女に求めたのは、「動き」への想像力を招きこまずにおかない「感じ」と、しかし「どう動かす?」という探求を誘う「気分」なのかもしれないと、仮定してみる。
 ディズニーCo.にあっては、もっとうまく絵を描く者はいただろう。誰よりも動画に長けた人物もいれば、もっと独創的なキャラを産み出す発想力がある者もあっただろう。
 けれど、ブレアほど、その絵の中に封印された内容の「続き」を希求させる者はいなかったのではないか。当たり前のことを言うなと批判されるかもしれない。だって、それがアート・コンセプターの仕事ではないかと。
 もちろんそうだ。だから、そこでプラスオンされるのが、ブレアの色彩感覚だ。

 会場内解説では、ブレアの芸術的変化は、1941年に行われたディズニー・プロ一行の南米旅行(※注)から、と説明されている。ここで、本格的にウォルトに気に入られたことから、以後の数々の重要プロジェクトへの抜擢につながる。
 未開の地での見聞は、よく知られるところで、ゴーギャンやピカソのような作家にも、確実に影響を与えずにおかなかった。けれど、ここでメアリー・ブレアが発見したのは、「光」に拮抗する「色」だったのだと思う。(ゴーギャンやピカソ同様に、ものを「形」そのものとしてとらえる切り口も少なくなさそうだが、ひとえに色だろう)

 やはりピート・ドクターの、「舌を巻くほどの、普通ならありえない彼女のミスマッチともいえる配色は、鮮やかで強烈で、誰も存在さえ知らなかったような色合いを産み出している。」という言葉を受ける形になるが、そこにミスマッチがあるとしたら、それは逆にカリフォルニアの強い陽光にはマッチするものだと断言できる。
 
 アニメ作品であるディズニー映画は、LAの光を直接フィルムに受け止めることはあり得ない。しかし、それと同等の光沢をフィルムに与えるためには、LAの光を受け止める色彩が必要だからだ(それはもしかしたら、コダックフィルムに最も馴染む色とも言えるのかもしれない)。
 そうした色彩を、ブレアはカリフォルニアの陽光と、ニアリーイコールでありながら、さらに強力な南米の陽光に接して、(おそらくは本能的に)発見したものであるように思う。

 そのことは、後年の大プロジェクト、ディズニーランドの「イッツ・ア・スモールワールド」の膨大なアートコンセプトに接すると、確信が深まる。
 「スモールワールド」独特の色彩感は、アナハイムのディズニーランドの太陽の下にあってこそ、その価値は倍増する。
 世界中の子どもたちを集めた、「小さな世界」のアートは、カリフォルニアの光と共にあって初めて完成する。これほどウォルトの理想を受け継ぐアーティストなど考えられない。

 と、そんな感想を持ちつつ、最晩年のプライベートな作品に接すると、とても複雑な思いにとらわれる。ここでの最大の変化は、描かれる子どもの目と目の間が、極端にせまくなることだ。
 広い額に、目と目の間は大きく離す。これはブレアのみならず、子どもを描くにあたってのある種のセオリーで、それによって子どもの「無垢な顔つき」は演出される。
 けれど、そうしたことどもを、裏切っていくのが晩年の作品で、商業主義最先端での仕事を生涯続けてきた、ブレアという芸術家の内面で、いったいどのような葛藤が起こっていたのか、それを邪推するような傲慢を、これ以上重ねることはなしにしたいと思う。

(※注:ディズニーの伝記として基本書とみなされている、ボブ・トマス『ウォルト・デイズニー 想像と冒険の生涯』(玉置悦子/能登路雅子・訳 講談社)によると、この南米行きについて、
「政府は七万ドルまでの旅行経費を出し、またこの旅行にもとづいた映画を最低四本、できれば五本、ディズニーが制作してくれれば、一本につき五万ドルの製作費を保証する。金は、映画館から収益があがったときに政府に返済すればよい、という内容である。(中略)アメリカ政府は結局、当初ディズニーに出した旅費や映画製作費のもとをすっかり取ったのであった。」とのことである。
 なお、この本ではメアリー・ブレアのことは、一切触れられていない)

2009/5/8

東京都現代美術館「池田亮司展」 +/−[the infinite between 0 and 1]  美術

 この素晴らしさについては、きちんと稿を整えなければいけないが、展示室に入ってすぐ、とにかく圧倒される。
 真っ暗な展示室では、そこに10個のプロジェクターが横に並べられている。
 そこには幾何学的かつ、ランダムな微粒子運動を伴う白色の図形が、ある時はめくるめく速さで、またある時は呼吸するに近い速さで、どんどん移り変わる。

 その展示室はL字型になっており、角を曲がったところでは、壁面一面に同様の図表が明滅している。室内はきわめて硬質なノイズが響いており、クリック音らしき響きは、10のプロジェクターのいずれか、またはすべてと同期しており、まったく偶然性のインスタレーションのようでいながら、とても厳密に計算設計されていることがわかる。

 この壮大な明滅空間に、たっぷり30分ほど浸っていただろうか、ふと「ブラウン運動」という言葉を思い出す。
 無秩序で偶然にまかせた、粒子の不規則な運動といったような意味だったと思うが、それにものすごく近似したものを感じる。

 実際、プロジェクターの明滅の中には、非常に細かなドットが、星雲のようにちりばめられたものもあり、それが拡散・収縮しつつ、幾何学的な線上で動きもする。
 限りなく不規則でありながら、絶対的な統制もとれているということ。ここに自然と人間との危うくも絶妙な均衡を連想する。
 この作品から否応なく連想するのは宇宙空間であり、原子のミクロ空間だ。

 以前、児童館で星座を探すという催しがあり、うちの子を連れていった時、解説の理科の先生が、宇宙の星雲の写真と、電子顕微鏡による原子の写真とを並べて見せてくれたことがある。限りなく広大な宇宙と、限りなく小さな原子と、写真に撮るとまったく同じではありませんか? というのが、その時のテーゼで、とてもうならされた。
 ちょうどそれに似た感覚を、この池田亮司作品に見てとる。

 同じく地下1Fの展示室では一転、真っ白の世界。何から何まで白づくめの部屋に、黒パネルがあり、映像はないがちょうど上述のレイアウトと、黒白反転になっている。
 そして、やはりL型の部屋の角を曲がったところには、5つのスピーカーがコの字に配置されており、そこからノイズが発生している。
 ただ立っているだけでは、モノトーンな音響なのだが、部屋を歩いていき、または立ったりしゃがんだりすると、音の位相がズレるせいか、ノイズ音が柔らかくウェーブする。

 きわめてクリエイティブな展示で、何か胸の奥から駆り立てられるような、見事な作品群だった。たいへんな感動。

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※写真:雨と晴の境目(於 東京都現代美術館) 撮影Incidents



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