2011/6/28

RIP クラレンス・クレモンズ、そしてマイケル。  マイケル

 2009年の6月25日、マイケル・ジャクソンが急死した。
 7月13日から始まる、ロンドンにおける“THIS IS IT”ライブが目前のことだった。

 そして、それにやや先立ち、マイケルの死の3日後である6月28日、すなわち2年前の今日、同じくロンドンのハイド・パークで、ブルース・スプリングスティーンとE・ストリート・バンドによる凄絶なライブが開催された。
 それが“London Calling Live in Hyde Park”である。これは欧米50都市以上を駆け巡った、2009年のツアーの1つ。

 私たちが見ることのできる、公式の大掛かりなスプリングスティーンとE・ストリート・バンドのライブ映像としては、これが最新のものだ。(より最新のものとしては、2010年12月7日の約30分ほどの映像を収めたものが、『プロミス:メイキング・オブ“闇に吠える街”』に収められた。そして、これがE・ストリート・バンド最後の演奏の姿である)

 さて、E・ストリート・バンドのサックス/パーカッション・プレイヤー、クラレンス・クレモンズがこの6月18日に亡くなった。マイケルの2周忌のちょうど一週間前だ。
 6月はマイケルに続いて、パワフルなミュージシャンをまたしても連れていってしまった。
クリックすると元のサイズで表示します

 ブルース・スプリングスティーン率いる、E・ストリート・バンドは、異論あるとは思うが、サウンド的には基本的にロイ・ビタンを中心とする、ピアノ・バンドだ。
 3作目『明日なき暴走』など特にそうだ。

 しかし、バンドとしての存在感で断トツに光っていたのは、巨体を微動だにさせず豪放なサックスを吹き鳴らす、クラレンス・クレモンズであることに異を唱える人はいないだろう。
 誤解と虚飾を恐れず言うと、ブルース・スプリングスティーン1人では、あくまでも“ニュージャージー出身”の歌手だった。
 けれど、クレモンズの今にも音が割れる寸前のところで吹き荒れるサックスの、広大な大地の音によって、スプリングスティーンは“アメリカ合衆国出身”の歌手となる。

 この2枚組DVD“London Calling Live in Hyde Park”では、そのクラレンス・クレモンズが、元気いっぱいにサックスを吹き鳴らし、ときにはスプリングスティーンと1本のマイクを分け合ってコーラスし、ときには口笛さえも聴かせ、何もしないときは、黙々とタンバリンを叩いている。
 ブルース・スプリングスティーンのこんなライブは、クラレンス・クレモンズがいなくなった今、もう永久に聴くことはできない。
 しかもこのライブ、全盛期と比べてもまったく遜色ない、相変わらず3時間ノンストップで、熱量最大の演奏を聴かせてくれるのだ。

 私は幸い、1985年の代々木競技場での“Born In The USA”ツアーでの、ブルース・スプリングスティーン& The E Street Bandのライブを聴くことができた。
 あんなすごいライブ、後にも先にもない。
 本音を言うと、“Bad”ツアーに始まる3度の来日におけるマイケルのライブさえ、あれにはかなわなかった。

 あと1回、何とかもう1回聴けないものかと思いながら、とうとう26年がたってしまったが、クラレンス・クレモンズの死で、それも永遠に叶わぬ夢となった。
 心からご冥福を。

2010/6/25

マイケル・ジャクソン一周忌  マイケル

 2009年6月25日 マイケル・ジャクソン没。

 昨年の今晩にそうしたように、“Off The Wall”,“Thriller”,“Victory”,“Bad”,“Dangerous”を順に聴き、この不世出のアーティストに思いを馳せる。
この人、もう本当にいないのだ。

 しかしこの1年のマイケルの再評価は、驚くべきものがあった。
報道によると、この1年間でマイケル関連の“商品”の売上は10億ドルにものぼるそうだ。
 これだけ金になるから、当然マイケルを喰い物にしようとする、ドキュメンタリー映画『マイケル・ジャクソン キング・オブ・ポップの素顔』などという、汚らわしくも悪質な詐欺まがいの“商品”も出てくる。

 だが、この詐欺はひっかかるほうが悪いというものだろう。
 ケニー・オルテガの、愛情あふれる仕事である『THIS IS IT』の中に、マイケル最後の輝きは完全に記録されているはずだった。
 それ以上の何かを求めようとした、こちらの気持ちがさもしいだけなのだ。

 つい最近、電車の中で隣に座っていた女子高生の携帯が鳴ったのだが、その着信音が“Beat It”だった。ちょっと驚く。その子にとって“Beat It”なんか、生まれる10年以上前の歌であって、じゃあ私自身が生まれる10年前の曲って何だろうというと、それは実に、エルヴィスの“Heartbreak Hotel”なのだ。
 エルヴィスもホットかもしれないが、マイケルはもっとホットだ。けれどエルヴィスはさすがに「古い曲」だが、マイケルは古さのかけらも感じない。

 マイケルはビートルズと同じ歴史の流れにのった。未来永劫、聴き続けられる音楽になるだろうし、戦争体験がそうあらねばならないのと同じように、決して忘れられぬよう、下の世代に伝え続けなければいけない。

2009/11/27

『THIS IS IT』の封切終了に寄せて  マイケル

 今、まともな映画好きは『イングロリアス・バスターズ』で頭がいっぱいのはずで、実は忘れられているが、マイケルの『THIS IS IT』は今日で上映終了である。

 最後に大スクリーンのあの姿を、この眼に焼きつけておこうと地元シネコンのレイト・ショーに走る。が、驚くなかれ、満員で入れなかった。いや、正確には入れたのだが、空いている席は最前列の一番端。
 まさに先週の今日、同じ劇場でたった10数人のガラガラの場内で『イングロリアス・バスターズ』初日を見て、2週間ほど前にはやはりここで、場内貸切のたった1人で『スペル』を見たのがまるで嘘のようである。

 「大変混雑していて、空いているお席は…」と、窓口の人に上のような席を示され、ちょっと迷ったのだが、結局入場をお断りする。これで自分の中で完結させようと思って。
 
 『THIS IS IT』は、本来あってはいけない映画であるが故に、心が拒否したのだ。
 繰り返しになるが、この映画は結果的に幻に終わったマイケル・ジャクソンのロンドン公演に先立つ、リハーサル映像を寄せ集めたものである。
 すなわち、マイケルが不慮の死を遂げなければ、製作されないはずだった。

 マイケルが、ほとんど完璧に近いパフォーマンスで「ビリー・ジーン」を歌う。そのとき、カメラはそのままパンして、客席側でその演奏を聴いていた十数人のバックダンサーが、熱狂的な拍手を送っている姿をとらえる。
 さて、映画を見ている間はマイケルの勢いに感激してしまい、気がつきにくいのだが、このシーンの哀しさ、寂しさってあるだろうか。

 というのは、完璧と思われる演奏、しかしそれはあくまで本番よりも抑えた声で、あくまでイメージとしての振り付けでなされたものだ。
 そしてカメラがパンした時、本来ならそこには何万もの観客がいなければならないのに、ほんの数人の、しかも関係者である。そんな人々からの喝采しか、この映画にはないのだ。

 ここで流されるべき涙は、たぶんマイケルの演奏に対する敬意なんかでなく、そんな環境の演奏が、うっかり劇場用スクリーンに投影されてしまったという、痛恨の涙だ。
 誤解ないように付け加えるけど、幻に終わった本番を惜しんでじゃないよ。数人しかお客さんがいないマイケルの演奏、それが最後の映像になってしまった、ということの痛恨なのだ。
 ここは絶対に外しちゃいけない観点のはずだ。

 “I Just Can't Stop Loving You”の、若い女性ボーカルとの、熱い絶唱の後、ふと我に返り、そのパフォーマンスに眼を輝かせている、これもやはりわずかなバックダンサーたちだけの観客に、「これはウォームアップだよ。フルヴォイスで歌わせないでよ」とイラだってみせ、もっとやってほしい、というダンサー(観客)たちの要求を拒んでみせたマイケルだったが、あの苛立ちはこのことをうっすら感じ取ったためではないか。

 そのアーティストの死後に、あわただしくまとめられたフィルムとして、たとえばマイケルがその手による「スマイル」という歌を愛してやまないという、チャーリー・チャップリンのドキュメンタリー、『放浪紳士チャーリー』(1976)というのがある。
 これもチャップリンの死の直後、ばたばたと公開され、それなりの評判をとった作品だが、ここでのチャーリーは苦難の末に映画での成功を掴み、ひとたび名誉を失するが、老後は妻と静かな生活を送っているという、どこか「歓喜の歌」かなんかが流れてきそうな、正しい追悼の雰囲気に満ちたものだった。
(注)『放浪紳士チャーリー』は、国内での公開中にチャップリンが亡くなったのであり、死後にまとめられたドキュメンタリーではないこと、ureahoy様にご教示いただきました(コメント覧参照)。上記記述は、完全に記憶違いです。申しわけありません。

 けれど、マイケルの『THIS IS IT』にはそうした、生の達成感・終着感がない。
 だってこれは、完成していないステージでの、お客のいない演奏、つまりは魂をそがれたパフォーマンスなのだ。

 世の中に「呪われた映画」というのは幾多ある。『THIS IS IT』は、呪われたわけではない。この観客の動員や、各種感想からは、むしろ祝福されている、とも言える。
 だが、またも少々感じの悪い書き方を許してもらえれば、外国で賞をとった日本映画として観客が押しかけた『おくりびと』の現象と、『THIS IS IT』のヒットは、ほとんど根は同じだと思う。何となくノせられて、「現象」化してしまった事態。

 この映画を見た人のコメントには、かなりの率で「これまで特にマイケルのファンじゃなかったが…」という言い訳が添えられている。これが本音だろう。最後のアルバムとなった“Invincible”の生前の売上や興味は、『THIS IS IT』の動員とはあまりに釣り合わない。つまり、「にわかファン」ばかりが駆けつけた映画でもある。
 シニカルな言い方になるが、本当のことを言うと、死んでしまってマスメディアが騒ぐまでは、誰もマイケルのことなど、気にしていなかったのだ。

 だから、おそらく映画史上初めての、「呪われた映画」ならぬ、これを「許されざる映画」とでも名付けておきたい。
 「呪われた映画」というのは、結果的に呪われてしまう。意図した「呪われた映画」などない。しかし「許されざる映画」は、意図的に生み出されてしまうものだ。
 たくさんの人々を感動させずにおかないが、しかし存在してはならなかった、この上なく生まれの不幸な作品として。
 だいたい、その中心となる人物が死んだことによって、初めて成立する映画など、忌まわしさの極みではないだろうか。

 『THIS IS IT』を、偶然とはいえ最後に見れなかったのは、これも思し召しかもしれない。2度目では、この映画における「許されざる」部分に気持ちが揺らぎ、きっと不幸な気持ちになっただろうから。
 このままロードショーが終わっていくのを、そっと見ていればよいのだ。

2009/10/29

『THIS IS IT』・・・映画館における拍手とは。  マイケル

 映画館で沸き起こる拍手というのは、誰に対して向けられるものだろう?
 『THIS IS IT』は地元近くのシネコンで観たのだったが、上映が終わった瞬間に、感極まったかのように満場の拍手が響き渡った。

 作品の関係者が客席の中にいることがわかっている、特別な上映では決して珍しくない。熱心なファンが集まる、都心での先行ANの機会でもしばしば起こることではある。
 けれど、ごく平凡なシネコンでの上映で、拍手喝采が巻き起こった経験なんてない。

 『THIS IS IT』終映直後の拍手は、誰か1人2人の熱狂的な拍手につられて、自然にそれが広まったものではなかった。劇場の全員が、ほぼ同時に示し合わせたように起こったものだったのだ。

 『THIS IS IT』の中心たる人物は、この場にいないどころか、この世にさえいない。
 では、この拍手はいったい誰に聞かせているのか。
 天国にいるマイケルに聞かせているのだ、といったセンチなことは言うまい。
 これははっきり、「私はこの映画に感動した!」という意思表示なのだ。
 感動しなかったなどという人がいたなら、その人たちの感情を抑圧する、「この映画は素晴らしかったのだ」という断固たる主張のあらわれである。

 そして、その場に関係者のいない、「映画」の上映で起こる拍手というのは、あまねくそれだろう。
 『THIS IS IT』において、その拍手はほぼ全員に共有されたものだった。
 幸福の中にも幸福な映画だと思う。
 これはケニー・オルテガの誠意あふれる仕事への賛辞であると同時に、マイケルへの最高の花束だろう。

 劇中でマイケルは言う。
「ファンの記憶の中にある演奏をしたい。最初のレコーディングで出した音でやるんだ」
 マイケルは、ここまでファンのためを考えた音作りを目指していた。
 マイケルの想いは私たちにしっかりと届いている。

2009/10/28

『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』  マイケル

 ケニー・オルテガ『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』
 全世界同時公開。今日19時。劇場に向けて走る。

 言葉にならぬ素晴らしさだ。白状すると、内心では多くを期待していなかった。わずかなリハーサルフィルムを使って、尺数を水増しするためにかつての映像記録や、ツアー・スタッフのインタビュー、熱狂するロンドンっ子たちのコメントなどで、埋め尽くされているのではないかと、予想していたのだ。全然ちがった。そんなもの一切なし。
 正真正銘、混じり気なしの、幻に終わったロンドン公演のリハーサル記録だった。
 
 ここにはまったくウソ、ごまかし、捏造、無意味な称揚、手抜きはない。ケニー・オルテガのこれは誠意あふれる仕事の成果だ。記録映画としてパーフェクトな作品と言いたい。
 練習されている曲のさわりだけを見せて、観客をあらぬ欲求不満にかきたてることは決してない。テイクはさまざまに編集こそしているが、きちんとフルコーラス聴かせてくれる。完成途上の曲、ほぼ完成された曲など、バラつきがあるとはいえ、その時点での、その曲の完成具合を完全に見て、聴くことができる。

 未見の人には純粋に見てほしいから多くは書くまい。この映画こそネタバレ厳禁だから。
 ただ、1つだけ書くのを許してもらえるなら、“Human Nature”練習シーンを挙げたい。
 ボーカル・アレンジに迷うマイケルが、メインたる自分の歌を口ずさむ。何かをつかんだらしいマイケルは集中状態に入り、そのまま歌い続けてしまう。

 その瞬間、横に立っていたケニー・オルテガの眼が、確かにキラリと光った。オルテガは無言で腕をぐるぐる回し、バックバンドに「演奏しろ、しろ!」とばかりに合図する。
 すかさず、見事なフレージングで入ってくるドラムのリズムと、キーボードの響き! そのまま歌い続けるマイケル。
 ああ、音楽ができあがっていく。今まさに音楽が作られようとしている。未完成だった音楽が形を持って、みるみる湧き上がってくる。才能があふれ、こぼれている。
 なるほど、アーティストの呼吸をしっかりと読みとって、最良のものを引き出してしまう、これが最高の演出家の腕前か! とつくづく感心した瞬間だ。

 だがしかし、まだこれほど歌えたのか、これほど踊れたのか、と今さらながらに驚いてしまう。これがあと2か月後に死を迎える人の姿か。
 つくづく失ったものの巨大さを思う。これがリハーサルだとしたら、本番ではいったいどんなものができあがっていたのだろう。

 演奏に納得できたとき、ふっと緊張を解くマイケルは、メンバーに対して必ず“God bless you.”と言う。“O.K.”とか“Good!”ではない。
 そこに何ともしれない、温かさが漂う。
 そして、これは何より重要なことだが、この映画のマイケルには、晩年に被った奇人・変人といったイメージはまったくない。
 きわめて理性的にオルテガと話し合い、若手ミュージシャンに指示を出すと同時に育成する、誰よりも正気なマイケルなのだ(「そのコード、音が多い! 三音目いらない。もっとシンプルに!」と精密に指示出しをするマイケルに驚く)。

 この映画は、マイケルに思い入れある者のためだけのものではない。“創造の現場”に少しでも関心があるなら、誰もが必見のすさまじいドキュメントである。ケニー・オルテガの誠実な仕事には、とにかく舌を巻く。

2009/10/17

曖昧なる中心としてのプリンス  マイケル

 スコリモフスキ、ドゥボールもさることながら、まさか『This Is It』も見れないということはなかろうな、と、しつこいがポレポレの岡田茉莉子さんに行けなかったらどうしようという不安との合併症で、ほとんど神経衰弱に。

 それで、またまた思いつきの駄弁を繰り返すが、ところでマイケルとマドンナの他に、1958年のアメリカ中西部で生まれた天才がもう1人いる。もちろんプリンスだ。
 
 この3人は不思議と映画に出たがることで共通する。と同時にあまり映画の才能には恵まれなかったことでも。
 そんな3人が積極的に携わった中で、商業的に一番成功したと言えそうなのが、『パープル・レイン』(1984 アルバート・マグノーリ)。
(マドンナの『エビータ』については気が向いたらいつか)

 この映画は、本当ならマイケルが演じそうな役柄で、スキャンダラスなイメージのプリンスが出ている、というのが面白い。
 プリンス演じる“キッド”は、ライブハウスの花形だが、家庭環境が劣悪で、母親に暴力をふるう父親との確執が描かれる。家庭での安らぎがないことの反動と、生来の芸術家気質から、バンドメンバーとの軋轢は絶えず、その扱いにくさから、ライブハウスのオーナーも、彼をいつでも解雇しようとスキをうかがうが、実力の故にままならない。しかし、その合間にもふと見せる“キッド”の繊細な一面。
 こうした設定は、マイケルの“Bad”あたりが、引き継いでいる気がしないでもない。

 プリンス自身は、その後の活動として、スキャンダルを起こしながらも、マドンナのようにそれを不敵にセールスにつなげているわけでなく、むしろレコード会社(マドンナと同じワーナーだ)とトラブルを繰り返し、あげく自己レーベルを作る他なく、その神経質さはどちらかというとマイケル的な面を感じさせる。

 映画『パープル・レイン』で、プリンスの恋人役となるヒロイン、アポロニアと親身に接するライブハウスのウェイトレスは、ちょうどこの時期のマドンナとそっくりの扮装で登場する。
クリックすると元のサイズで表示します
写真:映画『パープル・レイン』より。アポロニア(右)と、マドンナそっくりのウェイトレス

 『パープル・レイン』が公開された84年は「スリラー」の翌年、「ライク・ア・ヴァージン」と同年。同じ年に生まれた、マイケル、プリンス、マドンナが、ちょうど三つ巴になった時代だった。
 
 プリンスは、マイケルとマドンナという両極端の中央にいつつ、その後のキャリアを作っていく。映画『パープル・レイン』はこの3者を特徴づける何かが、1つに凝縮されて興味深い。
クリックすると元のサイズで表示します
写真:映画『パープル・レイン』より。
火傷するほど熱く“The Beautiful Ones”を熱唱するプリンス。眼光の強さならこの人が一番だ。

クリックすると元のサイズで表示します
写真:映画『パープル・レイン』より。そんなプリンスを見つめて涙ぐむアポロニア。
舞台で激唱する者と、それを見つめながら客席で涙をこぼす者。いわゆる「MTV映画」はこうした切り返しの作法を完成させた。

2009/10/12

マドンナ“Celebration”より。“Erotica”編  マイケル

 マドンナによる歌唱の魅力の一つは、PやTなど、破裂音を多用した歌詞の、その破裂音の部分が実に歯切れいいので、それがとても心地よいリズムを産んでいることだ。
 こうした歌い方は、マドンナもはっきり意識して開発した技術だろう。

 そのマドンナが、あまり破裂音を強調せずに、驚くほどスムーズに歌った曲が、「エロティカ」である。
 「エロティック…エロティック…その手で私の身体じゅうをなでまわして…ああいやらしい、いやらしい…」
 と夢見るような旋律に乗ったこの歌詞は、マドンナの歌唱のセオリーなら、Eroticのtがもっと強調されるはずなのだが、そうした強い発音が行われない。
 ヒアリングに弱い私なんかの耳では、「いろり…いろり…」という音に近く聞こえる。
 その後の、“Put your hands all over my body…”のPさえ、むしろuが強い感じだ。

 ここでのマドンナのとろけるような、子音の発音はちょうど、口いっぱいにペニスを含んで、不自由になった舌で歌われているかのようでもある。
 実際、この「エロティカ」が収録された同名アルバム“Erotica”のCDジャケット裏は、まさにフェラチオ中のマドンナだ。

 だからこそ、この歌の最後の最後で、“Eroti…CA!”と、Erotiの後、1拍おいて、それまで封印していた強烈な破裂音で、“CA!”と歌われるときに、ぞくりとする。
 ちょうどそれまで口に含んでいたものを出したかのようだ。

 と、そんなあられもない妄想にかきたてるのが、この「エロティカ」という歌だが、ちょうどこの曲が発表されるのに先立って、問題のマドンナ写真集『SEX』が発売となって、これがまた世間を騒がせる。1992年のことである。
 スティールの表紙で、金属のリングで閉じられたこの写真集は、マドンナによるありとあらゆるセックスの痴態が網羅されている。ないのは、たぶん幼児性愛だけだ。
クリックすると元のサイズで表示します
(写真:マドンナ写真集『SEX』より。性へのヒッチハイク。撮影:Incidents)

 幼児性愛だけ扱っていないということで、マイケル疑惑との関連性を一瞬疑うが、たぶんそれはないだろう。マイケルが正式に告発されるのは、2004年からのこと。
 だから無関係で、ここはおそらく、マドンナの「ガキは相手にしない」という立場によるだろう。

 ちなみに、この写真集『SEX』には、別バージョン「エロティカ」のシングルCDが附録についている。たぶん、私の知る限り『SEX』の附録としてでしか聴けないバージョンのはずだ。

 『SEX』は、まさに性をモチーフとするテーマ・パーク。「イッツ・ア・エロティック・ワールド」であり、永遠にリピートされる主題歌が“Erotica”というわけだ。
 マドンナはどこまでもフェイクを提示し、私たちの「基本的な本能」を刺激しにかかる。

クリックすると元のサイズで表示します
(写真:マドンナ写真集『SEX』より。普通ここまでのステイタスの大スターはこんな写真は撮らない。危険極まりない書物である。撮影:Incidents)

2009/10/11

マドンナ“Celebration”より。“Live To Tell”編  マイケル

 マドンナが物議を醸すのは、しばしばのことだが、20年も前の曲を、今もなお、スキャンダル化できるというのも、つくづくすごいことだ。

 この“Live To Tell”を歌った、2006年のコンフェッション・ツアーでのこと。マドンナは真っ赤なドレスを着て、巨大な十字架に磔になりながら、この歌を歌う。
 このライブはリリース中の“Confession Tour”のDVD各種できちんと見ることができる。が、ここは便利なYouTubeの助けを借りておく。
 http://www.youtube.com/watch?v=fdU3fKbbbu0&feature=related

 普通なら、非常に美しいバラードの名曲として、単純に楽しむことができる。マドンナ全楽曲中でも屈指の名旋律を持つ曲だろうと思う。
 ではこうした、いくらでもファンの紅涙を絞らせられる美曲においてまで、なぜわざわざスキャンダルの祝祭にしなければならないか。
 この演奏では、十字架の上にカウンターが設置されており、その数は高速度で増えていき、12万のところで数字が止まる。
 これは、エイズで失われた、アフリカの子どもの命の数なのだそうだ。

 「リヴ・トゥ・テル」が選ばれたのは、この曲が、男どもがつくウソについての歌だからである。
 「男は千のウソを平気でついてみせる。私はそれをイヤというほど思い知らされてきた。私が学んだその秘密を、いつか伝えられる日がくるまで、どうか私を生き延びさせてください」と歌いあげる。

 これを浮気性の男に向けた怨恨歌ととらえるはた易いが、十字架上で茨の冠まで頭に乗せるとなると、世の不幸のすべての元凶となった男どもの所業へと話は拡大していく。
 イエスを殺したのも男なら、イエス自身も男。そこを、女である彼女が十字架を担う。

 アフリカの子どもたちの、“汚れた血”のために、真っ赤な服をまとって、十字架に架かるマドンナは、12万の数字がカウントされたところで、十字架を降りるが、それはもちろん復活昇天のためのように生易しいものではない。

 十字架を降りたマドンナは、魔女裁判よろしく、さらに火炙りになる。磔刑の人物は罪を背負ってその名が永遠のものとなるが、魔女として火に炙られるなら、それは単なる犬死にであり、殉死でもなんでもない。
 魔女裁判は万事が男どもの手によって下される。「リヴ・トゥ・テル」は、この世の罪の元凶として、千ものウソをつくことができる男どもを告発する曲として、今を生きる。
 近年、最低最大のウソをついて、口を拭って知らん顔を決め込んだ男としては、某国前大統領がすぐさま頭に浮かぶが、もはやそのレベルを相手にするマドンナではない。

 十字架にかかるこのマドンナのパフォーマンスは、例によってカトリック教会はじめ、多数の宗教団体からバッシングを受ける。
 しかし彼らは、十字架には目が向くようだが、火に炙られるという、その後の顛末は見えないのだろうか。

 ところで、ここでまたしてもマイケルに登場を願う。
 この「リヴ・トゥ・テル」や「ライク・ア・プレイヤー」などをマドンナと共作した、パトリック・レナードという人物は、そのキャリアの初期段階で、ジャクソンズの「ヴィクトリー・ツアー」の音楽監督の1人を務めており、ツアーではキーボードを担当している。

 このツアーを見たマドンナが、自分のブレインとして彼を引き抜き、以後、自分の最も悪魔的な部分を表現させる。
 マイケルの音楽を紡ぐ彼に、マドンナは何を見たのだろうか。憶測にすぎないが、それはたぶん彼にひそむ「ウソ」なのかもしれない。

 その一端は、パトリック・レナード自身が、ソロピアノで奏でる、「リヴ・トゥ・テル」の非常に珍しいバージョンで伺いしることができる。
 キース・ジャレット系のピアニストかと思いきや、4分をすぎたあたりから、いきなり地獄の咆哮に変わる。
http://www.youtube.com/watch?v=hTrUvxpmfO8&feature=related
 こうした魔性を秘めた沈黙のミュージシャンが、いつまでもマイケルの元にいられるか。
 かくして、マドンナの魔性を引っ張り出している男がここに1人いる。

2009/10/11

マドンナ“Celebration”より。“Like A Prayer”編  マイケル

 ビートルズ以後のロック/ポップという音楽ジャンルにおいて、完全無欠のベスト・ソングといえば、1989年のマドンナ「ライク・ア・プレイヤー」だと確信している。
 ワン・オブ・ザ・ベストなんかでなく、正真正銘のベスト。

 この曲の前には、ローリング・ストーンズ「悪魔を憐れむ歌」や「レット・イット・ブリード」といったヤバさ100%の曲など遠く及ばないし、父を殺し母をファックするドアーズの「ジ・エンド」がギリギリ匹敵するかしないかで、最も迫るのがジミ・ヘンドリックスの「スター・スパングルド・バナー」かもしれないが、これさえ所詮相手にしているのは、たかだかアメリカ合衆国ごときである。

 「ライク・ア・プレイヤー」は、そのタイトルを似せることで、自身の「ライク・ア・ヴァージン」を乗り越え、ボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」を貶める。
 
 「ライク・ア・プレイヤー」は、女の歌である。
 女が男を求め、かつ求められている。宗教曲であるが故に、政治を同時に扱っており、自由と拘束のことでもあるから、必然的に社会性を帯びる。白人のメロディだが、リズムは黒人霊歌である。身体は動くが頭は冴えている。神のことを歌いつつ、あからさまに悪魔に魅入られている。
 セックスへの渇望を歌うが、「マドンナ」その人の姿でなく、人類史上もっとも低劣な欲望を一身に受け止めた、マリリン・モンローのイミテーションとして歌う。それはすなわち、欲望という罪の十字架を自ら担うということで、当然聖母マリアを演じ、イエスとファックする。
 しかし、それはすべて劇場で演じられたものである。そのすべての源は「愛」だが、実はそれらすべてを冒涜し、踏みにじっている。
 たったの1曲で、この全ての条件を満たした歌など1つとてない。だから、ロック/ポップの、これはベストソングである。

 ところで、またしてもマイケル・ジャクソンとの関連で話を進めると、ペプシ・コーラがコカ・コーラの売上を上回ったことがある。
 そのペプシの奇跡的なCMはマイケルをフィーチャーしたものだ。ここでまた、便利なことこの上ないYouTubeの助けを借りよう。1分30秒。素晴らしすぎる。これでコカ・コーラからペプシに乗り換えない人間は確かにいない。
 http://www.youtube.com/watch?v=po0jY4WvCIc&feature=related

 ところが1989年になって、そのペプシのCMにマドンナも参加することになる。
 それが、「ライク・ア・プレイヤー」をフィーチャーしたこのCMだ。2分。見事すぎる。
 http://www.youtube.com/watch?v=h8qtsUaoVak

 見られる通り、マイケルは少年のあこがれを、マドンナは少女のあこがれを、示し合わせたわけではなかろうに、それぞれ扱っている。
 だが決定的な違いとしては、この2つのCMにおいて、少年にとってのマイケルはあくまでもあこがれであり、絶対的な他者だ。
 けれど、少女にとってのマドンナは、決して他者ではなく互いが鏡像であり、いつしか少女とマドンナは同一人物として一体化する。

 “Go ahead. Make wish.”と、おそらくは過去の自分自身である少女に囁きかけるマドンナ。
 その少女の祈りのようなもの(Just Like A Little Prayer)が叶うためには、マドンナがそうであったように、ヌードを世間にさらし、娼婦以上の娼婦として幾千ものセックスを提供し、あらゆる悪徳の当事者になるだろうことを、このCMと「ライク・ア・プレイヤー」という歌は包み隠しはしない。

 これがロックでなくて、ポップでなくて、ハリウッドでなくて、そしてショウビズでなくて、何だろうか。
 であるが故に、「ライク・ア・プレイヤー」はロック/ポップ史上のベストソングである。

 さて、またしてもYouTubeの助けを借りるが、“Like A Prayer”の本編である。
http://www.youtube.com/watch?v=OjOoaoPyCZw&feature=related
 寒気がするほど、ヤバイクリップだ。

 そして、このクリップによってバチカンの怒りを買い、多数の宗教団体によるペプシの不買運動に発展する。当然、マドンナとペプシの契約は打ち切られる。
 マドンナはマイケルを鏡とすることで、いっそうその凄みが際立つ。

2009/10/9

マドンナ “Celebration”より。“Papa, Don't Preach”編  マイケル

 マドンナ最新の2枚組ベスト“Celebration”。
 私にとって、もしマイケル・ジャクソンに並ぶ存在があるとしたら、マドンナしかない。
 新曲2曲を含む、全38曲。堪能に堪能をきわめる。

 そして、これはマドンナがマイケルを追悼したスピーチ。
 ちょうどノーベル平和賞受賞(祝!)が報じられた、バラク・オバマがどんなにスピーチの名手と呼ばれようと、あらゆる意味でこれほど見事な弁舌は聞いたことがない。
http://www.mtvjapan.com/video/program/19585

 一方、真偽のほどは永遠にわかり得ないが、このスピーチと内容が相反する、マイケルとマドンナの幸福とは言い難い初対面の会話も、マイケルの没後に報道された。
 マドンナは開口一番「あたしはディズニーランドになんか行かないからね」とマイケルに言ったのだそうだ。

 さて、長々とこの件に触れるつもりはない。
 マドンナが上の素晴らしいスピーチで語ったように、マイケルとマドンナは、同じ1958年の8月に生を受け、アメリカ中西部で育ち、8人のきょうだいがいる。

 マイケルはディズニー・ランドに執着するあまり、自宅にネバー・ランドなるものまで建造したが、マドンナ自身の仕事も、娼婦館やストリップ・バー、覗き部屋といった場所のディズニー・ランド的なアトラクション化であるはずだ。
 この2人はどのみち光と影。チャップリンとヒットラーが同年のほんの1日違いで生まれた、という偶然と照合させるのはあんまりだが、どうしてもそれを連想してしまう。

 1983年に発表された「スリラー」を直接受け止める形で、1984年マドンナがスターダムにのしあがった「ライク・ア・ヴァージン」が作られたわけでは、決してないだろう。
 だが、タランティーノが『レザボア・ドッグス』冒頭で演説した有名な、「ライク・ア・ヴァージン」の解釈。

 「あれは、これまでさんざんヤリまくってた女が、初めてとんでもない巨根と出会って、まるで処女のように痛かったという歌である」
 という、よく考えればこれまで誰も気づかなかったことの方が不思議な内容のこの歌が、マイケルの「ビリー・ジーン」とまるで応答していないかどうか。

 「ビリー・ジーン」は、とんだ女につかまったマイケル君が、「ビリー・ジーンはぼくの恋人なんかじゃない。彼女は自分でそう言ってるだけで、お腹の子もぼくの子じゃない!」
 とこればかり訴える歌だ。

 「ライク・ア・ヴァージン」の歌の主人公が、ビリー・ジーンであるかどうかは、つまらぬ連想遊びにすぎないだろう。彼女を「処女のように痛がらせた」のが、マイケル君かどうかという詮議も愚の極みである。

 けれど私はかねがね、マドンナ1986年の「パパ・ドント・プリーチ」という歌は、はっきりと「ビリー・ジーン」への返歌だと思っている。
 「お腹の子はぼくのじゃない」と歌うマイケル君ではあるが、マドンナによる「パパ怒らないで、あたし今大ピンチなの。でもお腹の子は絶対に産むわ!」というこの歌は、絶対にかみ合わないマイケルとマドンナのあまりに皮肉な関係を語ってやまない。
 
 「パパ・ドント・プリーチ」の間奏後のリピートで、マドンナは「だって、あたしたちは愛し合ってるのよ! 愛し合ってるんだってば!」と、声を振り絞って2度繰り返す。
 「ビリー・ジーン」の歌詞と照らし合わせるならば、「パパ・ドント・プリーチ」の歌の主人公は、それこそ自分でそう思っているだけなんだと。

 マドンナの主語は常に「私」だ。その歌が目指すところは常に、自己表現せよ!(“Express Yourself”)であり、自己正当化せよ!“Justify My Love”であり、命令形であり自分が中心であって、間違ってもマイケルのように「世界」(“Heal The World”)を目的語にしたり、「私たち」(“We Are The World”)を主語に歌ったりはしない。
 むしろ、そうした“世界”に対して、くってかかることになるだろう。
 世界について歌うような男は、自分について歌う女に、「あなたの子よ」と言われてあわてるのみである。「愛」の意味が根底から違うのだ。
 
 80年代MTV期にトップスターだったアーティストで、今もなおコンスタントに作品を発表し、しかもトップであり続けている人物は、マドンナただ一人である。
 USA for Africaに参加した人物のうち、現在も第一線の現役である者など、一人としていない。マイケルはこの世にさえいない。
 生物としての優劣は明らかだが、音楽としての優劣はまったく別物であり、互いが互いを増補し合いつつ今も生きる。そしてそれが、ポップ/ロックのエネルギーである。



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ