5月26日は、ブログにも書いたように、871さん、サラさんと、スダジイ花めぐりを十分堪能いたしました。
甘いバニラソフトクリームのように香しい花は、スダジイの森を一面黄金色に染め、自分たちの立っている所が、あたかも黒潮あらう伊豆半島にでもいるような錯覚すら覚えてしまいます。
僕が初めてスダジイの花を目にしたのは、平成19年6月でした。
楢葉町波倉海岸の稲荷神社境内林です。ここは、境内に50本以上のスダジイがあり、花盛りを見た時には「圧巻だなー」と感激いたしました。
黄金色の樹冠がドーム形に盛り上がり、林立するモミを背後に、輝かしく目立ちます。
周辺を見ると、東電第二原発に続く丘陵の南斜面や、お寺がある丘陵の南斜面のあちこちに花が満開のスダジイが見つかり、波倉地区はスダジイが多いんだなーと改めて驚きました。稲荷神社境内林は鎮守の森で自然林と思われますが、周囲の丘陵は二次林で、それでも数十本のスダジイ低木〜亜高木を見ることができるので、ここの潜在自然植生は、スダジイ林を推定することができます。
ここ波倉の稲荷神社境内林は、半島状の丘陵となっており、丘陵斜面にスダジイが群生しているのです。タブノキも多少は見られます。丘陵上にはモミの高木が立っています。
植生域としては、ヤブツバキクラス域のシキミ−モミ群集のカテゴリーに含まれていますが、僕は、上記した理由で潜在自然植生的にはここがヤブコウジ−スダジイ群集の北限で、シキミ−モミ群集の接点ではないかと考えているのですが、いかがでしょうか。
以前、楢葉町歴史資料館のUさんと、「ここのスダジイを町指定の天然記念物にしておきたいね」とお話ししたことがあります。鎮守の森だから、そう簡単には伐採されないでしょうが、やっぱり町指定にして、永久に保全してゆきたいものです。
稲荷神社境内林は、地元の方々が本来の自然林を守っている姿勢をうかがい知ることができます。これは、照葉樹林を交える森林文化のカテゴリーでは「信仰」に該当しますね。鎮守の森ゆえに先祖から引き継いできた林相を大切に守っており、それが、この地域の本来の植生を顕しているように感じます。
そして、この間、871さんやサラさんと、楢葉町北田の屋敷林に聳えるスダジイの巨木を見たのでした。
ここのスダジイも、平成19年の冬に、楢葉町歴史資料館のUさんに教えていただいたのです。
このお宅は、僕と名字が同じで、昔は血縁があった一族なのかなーと思っています。
屋敷の周りには、タブノキ、スダジイ、シロダモ、ヤブツバキ、シラカシなどの照葉樹が植えられており、素晴らしい屋敷林が形成されています。スダジイの巨木は屋敷の南東隅にあり、北西隅には氏神様が祭られています。昔の人の屋敷林における方角意識を伺い知ることができそうです。
何でも150年前に火災に遭ってから照葉樹を植えたということで、江戸時代末期の頃ですよね。
「日本植生誌」編纂で有名な宮脇昭横浜国立大学名誉教授も、照葉樹の防災効果については、酒田の大火や阪神淡路大震災の例を挙げて強調しておられますが、我が郷土の先人も火災予防のために照葉樹をもって屋敷林とする智恵を持っていたとは驚きでした。
とにかく幹周りが太く、でかいです。
スダジイの巨木は、枝が幹のようです。独特の樹肌をしていますよね。
スダジイの若芽と花が展開していました。スダジイの花は、花序がクリの花に似ていて、香りもそっくりですね。
スダジイ巨木について、ここのお宅の御主人は、150年前の火災を根拠に、樹齢150年と考えておられるようですが、僕は、これよりは幹周りが細いいわき市沼の内の賢沼北岸にあるスダジイが樹齢500年と推定されていることから、このスダジイ巨木の樹齢は約400年〜500年と推定しております。
もし樹齢500年だとすれば、中世の室町時代からのスダジイということになります。
すごい歴史を感じさせますね。
ここの楢葉町北田の照葉樹を主体とする屋敷林は、照葉樹林を交える森林文化のカテゴリーでは「生活」に該当しますね。単に防災のためのみならず、この屋敷林ゆえの生活との交わりがあったことでしょう。