一昨日は、小鳥の森を後にして、信夫山の麓にある岩谷観音様を参拝いたしました。
以前岩谷観音を参拝したのは、30年以上も前のことで、本当に久しぶりです。
職場から近い位置にあり、あまりに身近だと、なかなか行かないものなのですね。
天気も良かったし、時間もあるので、久しぶりに磨崖仏を拝観したい気持ちになったのです。
お寺には駐車場がないので、信夫山に車で登り、空きスペースに駐車して、それから歩きました。
ここの観音様は、平安時代末期から鎌倉時代にかけて、五十辺(いがらべ)に館を構えていた地方豪族の伊賀良目氏が聖観音像を祀ったのが始まりとされています。
このお堂が岩谷観音です。
安置されている聖観音木像は秘仏とされ、なかなか僕たちは見ることができないそうです。
観音堂西側の崖に、60体以上の磨崖仏が彫られています。
三十三観音、地蔵尊、不動尊などが彫られているのです。
江戸時代に三十三観音を礼拝する風習が広まり、それでここにも観音様などが彫られました。
上の写真には宝永六年(1709年)の年号が刻まれており、その頃から磨崖仏群が彫られ始まったのでしょうか。
磨崖仏とは、自然の岩壁をえぐって彫った内側に刻まれた仏像のことです。
有名な磨崖仏にはインドのアジャンター石窟、エローラ石窟、中国の雲岡石窟、龍門石窟などがあります。
岩谷観音では、凝灰岩質の岩壁に観音様などのお姿が並んで刻まれていますが、風化が進んでいます。
一番上にはお地蔵様のお姿が。
かなり高い所まで、菩薩様の像が彫られております。
御不動様のお姿ですね。頭に鳥居が載せられており、神仏習合を思わせます。
元禄十三年(1700年)の文字が刻まれています。
法華経の観世音菩薩普門品第二十五(観音経)に、観音菩薩は衆生を救うために、相手に応じて33のお姿に変身すると説かれていることから、三十三観音の信仰がおきたそうです。
かなり険しい崖面にも菩薩様のお姿が彫られており、先人達の信仰心の篤さに感動致しました。
穏やかな観音様のお姿に、手を合わせます。合掌。
約300年間も磨崖仏様は、雨風にさらされながら、優しいお姿で参拝される善男善女と接してこられたのです。
三十三のお姿に変化されて衆生を救済されている観音菩薩さまの優しさは、力強さに裏付けられているのですね。
合掌。
宝永7年(1710年)の文字が刻まれています。
これらの磨崖仏は、元禄から宝永年間中心に刻まれたのでしょうか。
国際テロリストであるオサマ・ビンラディンが指導したアルカイーダにより構成されたアフガニスタンのターリバーン軍によって破壊されたバーミヤンの石窟を思い出しました。
同じ愚行を、実は、大日本帝国が明治維新直後に行っているのです。
すなわち、廃仏毀釈です。これで福島県内の仏教遺産も大分破壊されてしまったのですよ。
記録によれば、当時の県庁の役人どもが村民を威嚇して仏像や仏堂を破壊させたそうです。
とんでもない文化財破壊ですよね。
一般県民を威嚇しながら廃仏毀釈を積極的に進めて自分の点数を稼ごうとした当時の役人どもは、とどのつまり、国際テロリスト集団のアルカイーダと同じということです。
愚かな文化破壊は、いつの時代にもあったのですね。
磨崖仏を謹んで拝観しながら、般若心経の「空」を真面目に考えました。
ずっと前から疑問に思っていた「空」について、ヒントが得られました。
「空」とか「無」は、哲学の永遠のテーマですが、僕は次のように考えました。
空とは無常のことではないか。
すなわち、空は実相としての無常。
どういうことかと言うと、
因によりて果となり、果はさらに因となる。
実相は変化し続けており、常の状態はあり得ない。
それが空ではないか。
「色即是空」とは、「存在の実相は、すなわち、因果の働きで変化し続け、無常である」
「空即是色」とは、「無常に因果の働きにより変化し続ける姿が存在の実相である」
堅固に見える岩肌を刳り抜いて彫った磨崖仏も、刻一刻と風化を受けており、そのお姿は変化し続け、無常である。
今は美しい女性も、凛々しい男性も、刻一刻と老化し続け、明日どうなるかの保証もない。これは誰もが経験していること。これが無常の経験。
それが空の意味ではないでしょうか。
「空」とは「存在の実相は刻一刻と変化し、常の状態というものは無いのですよ」ということ。
貴方も、貴方を取り巻く環境も刻一刻と変化し、常というものはありません。
一時の満足も、それは常ではありません。
変化というものは、原因が結果となる運動の繰り返しです。
貴方の気持ちや行為が原因となって、将来の貴方に結果となって影響します。
これが、貴方が生きている世の実相です。
貴方は、どういたしますか???
そう問いかけられているような気持ちになりました。