10月31日、只見町の季の郷湯ら里で開催された、「21ふくしま 森林文化フォーラム」に参加いたしました。
僕がメモした範囲で、おおよその流れをご報告し、感想を述べさせていただきたいと思います。
主催は福島県で、森林環境基金事業として行われました。
只見川渓谷の紅葉が美しい晴天の土曜日にもかかわらず、約100名近くの方がご参加なされました。
メインの基調講演は、「ブナ林の恵み」と題して、講師は、考古民俗学がご専門の、新潟県村上市立岩船小学校長で文学博士の赤羽正春先生。
パネルディスカッションは、「ふくしまの森に学び、森に生きる」と題して、
コーディネーターが福島県立博物館の赤坂憲雄館長。
パネリストは、講師の赤羽正春先生、只見の自然に学ぶ会代表の新国勇先生、福島県立博物館専門学芸員の佐々木長生先生のお三方がつとめられました。
僕は、講師の赤羽正春先生は初対面で、先生のお話を聞くのも、もちろん初めて。そして不勉強ながら、赤羽先生のご著書にも目を通していませんでした。
したがって、僕は、森林文化に関しては全くの素人として、基調講演とパネルディスカッションを聞きました。
21ふくしま森林文化フォーラム
基調講演
講師:赤羽正春氏
新潟県の奥三面遺跡群を発掘調査した時、アチヤ遺跡の周りにはクリ山(澱粉山)があった。すなわち食糧としての澱粉を取り出すクリ林である。
クリ山が集落のまわりにあり、縄文人の生活を支えていた。
只見町の長浜も集落の周りはクリ林である。
1軒で1町歩のクリ山があれば、米はいらないと言われている。
毎年1石のクリを拾えば、米が取れなくとも生きていけるということである。
大正時代に大分クリ林を伐採した。
以前、中尾佐助の照葉樹林文化論が有名になったが、それは本当なのかという疑問がある。これは日本の生活文化の基盤をなす主な要素が中国雲南省を中心とする東亜半月弧に集中しており、この一帯の文化は基底の部分で共通するものがあるという論である。具体的には、根栽類の水さらし利用、絹、焼畑農業、陸稲の栽培、モチ食、麹酒、納豆など発酵食品の利用、鵜飼い、漆器製作、歌垣、お歯黒、入れ墨、家屋の構造、服飾などがこの文化圏の特徴として挙げられている。
この照葉樹林文化論はそんなに立派なものなのか。
私はブナ林帯で初めてマイタケを見た時に、カルチャーショックを受けた。
私はブナ帯文化の方が立派だと思う。
縄文文化の8割はブナ帯文化である。
自然からどれだけのものを取り出せるか。
照葉樹林の4倍のものをブナ林から取り出している。
ブナ林帯の山菜は80種類あるのに対して、照葉樹林の山菜は20種類しかない。
縄文時代中期の竪穴住居跡に複式炉という炉がつくられていたが、そこで火を焚いていた。
ブナはよく燃える。濡れていても燃えるので、マタギの命を救ってきた。
複式炉の土器埋設部に埋設された土器にはきれいなアクがいっぱいたまっている。縄文人はこのアクのところで料理していた。
トチのアク抜きにはナラのアクを用いる。名久井文明氏が、トチのアク抜きで、コザワシではない方法のアク抜き技術があったことを発表された。
ブナ林のアクを使っていれば、トチのアクは簡単に抜ける。縄文時代中期の複式炉に埋設された大木9式の深鉢にはアクを溜めていた。
ブナ帯では、クリだけ拾っていれば、澱粉が保てる。
最近は、縄文時代にクリが栽培されていたことが証明された。福島大学の木村勝彦先生はクリの研究会を作っている。
縄文時代からクリは栽培されていた。
クリ林は間伐して手入れしていた。
縄文時代の人々は、集落の周りに澱粉山を持っていた。そうでないと生きていくことはできない。澱粉山、すなわちクリ山は、縄文時代の集落の入会地である。
アイヌ民族も、自分たちの集落の周りに良質の澱粉を備えていた。
ロシアの沿海州に生きる人々も、自宅の近くにサケ・マスの漁場やアカシカなど大型獣の猟場を持ち、林野を切り開いてジャガイモを作り、自給自活できるようになっている。
コモンズ(共有地とか共有林の意味)の問題として、イヌワシを保護できない社会は、これから、社会として持続できないであろう(コモンズの悲劇という問題がある)。
講師の赤羽正春先生。
赤羽先生のおっしゃることは、大変重要だし、危機に瀕しているブナ林帯自然林(ほとんどが国有林、広義のコモンズとなるか?)の保護を、フォーラムの参加者に訴える内容としては、参加者の琴線に触れるものと感じました。
しかし、照葉樹林帯とブナ林帯との優劣比較はいただけない。
最近の植生史研究では、日本の植生が現在のような姿になったのは、今から約2000年前と言われています。これは、花粉分析や植物遺体分析等の科学的分析から導き出された所見で、それ以前は、現在照葉樹林が広がっていたあたりには、コナラ林が広がっていたそうです。
もちろん、今から2000年前頃に現生植生になったとして、それに至るまでの植生変化もあったことでしょうし、そのあたりを検証しながらブナ林帯の評価をして欲しかった。
僕は、今から4000年前あたりから日本列島に照葉樹林が広がり始め、2000年前に今の姿に近くなったと考えています。いきなりは現生植生にはなりませんからね。
少なくとも、日本列島を広く覆っていたコナラ林帯の検証がこれから必要です。
僕としては、コナラ林帯には、クリ−コナラ林が広がっており、そこにおけるクリの重要性を科学的に検証する必要があると思います。
そのあたりの方法論を確立して実証を重ねながら論を展開していかないと、赤羽先生がご批判なされた中尾佐助と同じ論理展開を赤羽先生ご自身がなされていることになってしまいます。
縄文文化におけるクリの役割の大きさは、僕も賛成ですが、誇張の感を否定できない。
最近DNAで栽培クリのDNAには塩基配列に均一性が認められるとか、栽培クリは若樹齢において年輪幅が広いとかいわれていますが、それが果たして縄文時代にクリを「栽培」していたことと結びつくのか、結論づけるためには、僕はさらに検証が必要と思います。
栽培と管理を同一視しないで下さい。管理だって考古学的に実証は困難です。
クリ−コナラ林において間伐によりクリの成長を促進していたことはある程度推定できるとは思いますが、これとて、要検証の課題が多いです。
それと、ブナ林とブナ林帯との用語の混用が目立ちます。
ブナ林とは、極相林です。
ブナ林帯とは、日本植生誌としては「ブナクラス域」と解釈してよろしいのでしょうか???
僕は「ブナクラス域」としてのブナ林帯をおっしゃるなら、そこにはクリ−コナラ林からミズナラ林を経てブナ林に至る林相の多様性があり、それこそ縄文の恵みに貢献した生産性を推定できると思っています。そのあたりをきちんと区分けしてお話しされた方が宜しいかと思います。
あと、枝葉末節ですが、縄文時代中期後葉の複式炉土器埋設部にアクがたまっていねというお話しですが、僕たちも100例以上複式炉を発掘調査いたしましたが、埋設土器底部付近に粉粒状炭化物の堆積は認められたものの、アクの堆積は検証できませんでした。皆さんアク、アクと語っておられますが、粉粒状炭化物を分析に外注しても、アクという所見は得られておりません。
以上の疑問点を除けば、参加された皆様に訴える内容としては素晴らしいと思いました。
特に、コモンズの維持については重要な提言です。
すみません、僕なりの感想を忌憚なく述べさせていただきました。
赤羽先生の基調講演の後、パネルディスカッションが行われました。
パネルディスカッション
コーディネーター赤坂憲雄館長
ブナ林は空間の軸であり時間の軸である。
東北地方のブナ林とハバロフスクのナラ林は、暮らしの風景が繋がっている。
パネラー赤羽正春氏
沿海州から日本へ空間が繋がっている。
開発至上主義(農耕)は照葉樹林文化であり、自然を守ってきた(狩猟採集)のはブナ林文化である。
コーディネーター赤坂憲雄館長
鎮守の森は西日本の人には分からない。東北は「山の神」として鎮守の森を守ってきた。
ブナ林帯には山の神信仰がある。
パネラー赤羽正春氏
縄文文化を考えると、日本列島の東北地方や信州のブナ林帯に縄文文化が栄えている。
以前に、山内清男先生が「(ブナ林帯では)サケやマスなどの漁労、クリやドングリなどの採集ができる。だから縄文文化が東北地方に栄えた」と主張された。
クリの澱粉について、数値で示そうという研究が始まった。
ブナ林帯は、食べものが豊かだった。食べられる植物が豊富にある。
コーディネーター赤坂憲雄館長
ブナ林文化は、日本−アイヌ−シベリアとつながっている。
焼き畑は、以前は西日本中心にしか見てこられなかった。
しかし、会津にもあることが分かった。
カブという焼き畑である。
あのブナ林というのはどういう森なのであろうか。
パネラー新国勇氏
今、人が住んでいる里も、昔はブナ林だった。
伐採して集落をつくり、水田や畑を耕して、杉の植林などをした結果、ブナ林は上に追い上げられてしまった。
ブナの森は、今で言うとホームセンターや百貨店のようなもの。昔の人々は、ブナの森から食糧や生活用具を得てきた。
もう少し、ブナの総合的な見直しが必要であろう。
パネラー佐々木長生氏
民俗的に、里山を守ってきたという民俗が必ずある。
田子倉地区のヨキ止め(伐採止め)の山、水林地区の木を切ってはいけない山。
ブナ林入会地の共有もある。
パネラー赤羽正春氏
長浜の澱粉山は、一軒一石はクリを拾った。
里山の栗山だった。奥にも栗山が続いていてそこは国有林だった。
コーディネーター赤坂憲雄館長
持続的に生存していくための戦略として、森とどう関わるのか。
パネラー佐々木長生氏
山の神信仰がものすごく強い。山の神信仰というものが、持続的に生存するためのキーポイント。山菜などの恵みは山の神のお授けもの。共同体が山の神を中心に結ばれている。それが持続の要となるもの。
パネラー新国勇氏
持続させているものは、実は雪である。3000mmくらい降る。多量の降水の6〜7割は雪。
ゆえに雪崩が作り出したモザイク状の植生がある。
植生が多種多様で、ゆえに多くの動物や山菜をもたらしてくれる。
すなわち、森の恵みは雪にもたらされている。雪がすべてをつくった。
コーディネーター赤坂憲雄館長
雪崩などの雪がやっていることを人間がやっているのではないか。
パネラー赤羽正春氏
森に対する雪崩の傷付け方と、人間の傷付け方が似ている。
森を手入れして間伐しないと木は育たない。
パネラー新国勇氏
雪食崩壊地植生は、人間が傷つけない所を雪が傷つけてくれる。
ある程度森が崩壊しないと、空間スペースができず、イヌワシのハンティングができない。雪食崩壊地の空間は日が当たり、小動物やヘビなどが顔を出しやすい。そこを狙ってイヌワシがハンティングするのであって、空間のない森では、イヌワシは生きていけない。
コーディネーター赤坂憲雄館長
本当に豊かなのは里山。縄文時代から里山を利用してきた。少しだけ森を傷つけて利用しやすくしてきた。
パネラー赤羽正春氏
来年は、国連の生物多様性年ということで、この言葉が多用されるであろう。
パネラー新国勇氏
ブナ林は、生物多様性を長く持続できる。
生物多様性を担っているのは、ブナの天然林である。
これからマタギが生きていける社会が正常な社会と言えよう。
コーディネーターの赤坂憲雄県立博物館館長
パネラーの皆さん。
地元只見町の自然について、教育普及活動に活躍されている新国勇先生。
パネルディスカッションも面白かったです。
だけど、赤坂館長さんの鎮守の森のお話し、実は西日本にも、あるのですよ。
鎮守の森の認識は西日本では低かったなんて、言わないでくださいね。
宮脇昭先生の『鎮守の森』はご存知ですよね。
僕は照葉樹林の見直しを行っているのです。
ブナ林帯の林相多様性は、確かに人々に恵みをもたらしていますが、
照葉樹林帯も、海岸に住み漁撈を営んでいた人々にとっては恵みの森なんです。
特に海岸近くの平野に住んでいる人々にとっては、照葉樹林は必要不可欠な森なのです。
ブナ林帯(ブナクラス域)と照葉樹林帯(ヤブツバキクラス域)を含めた植生の多様性こそが日本列島の特徴です。
そういった認識の上にブナクラス域の植生多様性と、それが縄文時代以降人間社会にもたらした恩恵をお話しして頂きたかったです。
今回のパネルディスカッションでは、新国勇先生のブナ林帯に対する認識がとても科学的現実的で適正だったことが、僕にとっては印象的でした。
ここに述べた青文字の意見は、僕の個人的見解です。ご批判は多くあろうと思いますが、その責めは、僕個人に帰します。
最後の意見、、、
結局、このフォーラムで、主催者は、何を結論づけ、何を訴えたかったのですか。
ただのやりっぱなしではないですか。
主催者としての訴えはないのですか???