最近、森林文化という言葉をよく耳にしますし、「森林文化」の名を冠したイベントや公的事業が多く行われ、学校まで現れており、森づくり活動や里山保全活動なども森林文化のカテゴリーに含まれています。
しかし、、、
そもそも、森林文化とは、皆さん、何だと思いますか???
僕は、むずかしい解釈はいらないと思います。
僕の考えは、
「森の恵みをいただくための技術・思想観念・社会組織」そういったもの全てだと思います。
なぜかというと、
10月31日に、只見町で「21ふくしま森林フォーラム」が開催されましたが、その時のパネルディスカッションで、只見町の新国勇先生が、
「ブナの森は、今でいうと、ホームセンターや、食料品まで売っている百貨店みたいなものだった」
と述べられました。
この言葉は、まさに真実です。
例えば、アイヌ民族の例などからしても、コタンの近くにはダイユーエイトとかヨークベニマルなどがあるわけがございません。皆さん、自分たちの領域(イォル)の海や川、森などから生活の道具や食糧を得てきたわけです。
本土の人々も、つい最近までは、衣食住の材料を森や川、海から得てきました。
昨日、僕は荒川の川辺林を歩いていて、
「あの時、新国さんは、ブナの森は百貨店と言っていたけど、現代に生きる僕らは、森の中に入っても、どうやって衣食住の材料を手に入れるのか、その方法がわからないよな」
と考えて、、、歩きながら、、
コナラやアカシデ、イヌシデなどの木々を眺めていたら、
「いくらブナの森が百貨店と同じと言っても、森の恵みを利用する技術がなかったら、僕らには何も得るものはないよなー。。 あっ!! そうか!!! 今の僕らが失った、森の恵みを頂き、それを利用する技術というのが、森林文化と呼ばれるものなのかー!!!」
とひらめきました。
そうなのですよね。。。
食糧としては、クリの実やクルミの実を手に入れることはできるけど、トチの実やドングリを集めてアク抜きして食べる技術、山菜を熟知して採取する方法、キノコを熟知して採取する方法、動物の狩猟方法、山菜やキノコ、動物の肉の調理方法など、僕はほとんど何も知らない。でも、こういった方法が森林文化。
森の木や蔓などを利用して道具にする技術。木の皮を剥いで繊維にして布を織る技術。これらも森林文化。
炭焼きの方法。木を伐採して家を建てる方法。これも森林文化。
そうかー!!!
僕たちは、どこかで、何らかの形で森林文化を目にしているはずですよね。
おそらく、テレビの映像とか、地方の物産市とかで、、、
なるほど!!!
森の恵みを利用する方法を熟知していて、初めて、新国さんが言われる「ブナの森は百貨店」と言うことができるのですね。
彼は、只見のブナ林帯植生や、民俗技術、民具にも詳しい。
だから、そういう言葉が自然に出てくる。
さらに、人間は一人では生きて行けるはずもなく、ムラとして、社会として生きているので、そこには社会全体が森の恵みを受けられるように、資源としての森を維持管理するための組織やキマリがあり、森に感謝する「山の神」信仰があります。
すなわち、こういった、森の資源を利用するための技術・組織・キマリ・信仰というものが森林文化なのですね。
人間はワザ(技術)を開発しました。そしてコミュニケーションによってワザを複数の人間で共有します。そして、ワザを正しく公平に利用するためのキマリを作り、そのキマリを守る共同体がムラ(組織)なのです。
ワザ−キマリ−ムラの総体のことを文化と言っても良いでしょう。
森の資源を利用して生きていくためのワザ−キマリ−ムラこそが森林文化と思います。
この考えを基本に据えておかないと、さらに話は先に進まないのです。
現代では、森林組合などの事業も森林文化のひとつと言えるし、森林体験学習活動なども、広義の森林文化と言えるでしょう。
しかし、その原点は、さきにお話しした、
「森の資源を利用して生きていくためのワザ−キマリ−ムラ」だと思います。
最初からむずかしく考えると、先に進みません。
ということで、今日は、森林文化の基本概念について、昨日のお昼頃、荒川の川辺林にて気付いたことを、ブログにメモさせていただきました。
僕が昨日、森林文化を考えた、荒川の川辺林です。
あなたは、この森から、どれだけ恵みを受けることができるでしょうか。
現代では、グローバルに機械化された生活の普及によって、日本人が培ってきた森林文化の7割以上は失われてしまったのではないでしょうか。