大国魂(おおくにたま)神社については、昭和63年に、いわき地域学會より、
『いわき地域学會夏井地区総合調査報告』が出版され、
その中で、山名隆弘氏(大国魂神社宮司)が「国魂文書について」、
斎藤一夫氏が「夏井地区における社寺建築および民家分布の2,3の調査」
と題して、報告されています。
特に山名隆弘氏報文では、県指定重要文化財の国魂文書の全ての写真が掲載されており、国魂文書の写真が公開されるのは当該報告が初であり、貴重な報文と言えるでしょう。
さて、いよいよ、大国魂神社の鳥居をくぐって、境内に入りました。
延喜式の式内社境内に足を踏み入れて、身が引き締まる思いです。
タブノキの古木に圧倒されました。
風格と歴史を感じさせるタブノキの根元。
コブをつくりながら幾重にも延びるタブノキ古木の根。
大国魂神社が創建された頃の森林環境を彷彿とさせます。
社殿が建つ丘に登る坂を歩いていてびっくりしました。
主要な古木に、樹木の種類を記した木製のプレートが設置されていました。
「アカガシ(ブナ科)」と、種名と科名が記されているのです。
こちらは、モチノキ(モチノキ科)です。
嬉しくなりました。
スダジイの古木にも。
さすが、宮司の山名先生です!!!
鎮守の森の古木たちを、本当に大切にしようという意識が顕れています。
先生も、大国魂神社の境内林を誇りに思っておられるのですね。
山名先生は、長らく教職に就かれ、県の文化財行政も担当なされておられました。
このような先生が宮司をなされておられる限り、夏井地区の照葉樹は保全されるのではないかと、とっても嬉しく、安心いたしました。
素晴らしいスダジイの古木です。
樹齢何百年でしょうか???
大事に保全されていますよ。
大国魂神社の拝殿です。
延喜五年(905年)から延長五年(927年)にかけて醍醐天皇の勅命により藤原時平や藤原忠平らが編纂にあたった延喜式の、神名帳に掲載された神社です。
現在の本殿は、「大国魂大明神棟札」に延宝七年(1679年)平藩主の内藤義概と神主隆定の名が記されていることから、17世紀後半に改築されたものと推定されます。
こちらは神楽殿です。
ここで大国魂神社大和舞が舞われるのでしょうか。
いわき市指定有形文化財である大国魂神社本殿の、三手先出組斗供(斎藤一夫氏著「夏井地区における社寺建築および民家分布の2,3の調査」)です。
こういう伝統的建築物を見ていると、とっても歴史的感慨にひたることができます。
鎮守の森(境内林)の照葉樹叢は、素晴らしい自然度の高さです。
スダジイの古木たち。
アカガシの葉です。
こちらはスダジイの葉。
そしてユズリハです。
大国魂神社の境内林には、
スダジイ、アカガシ、タブノキ、モチノキ、ユズリハ、アオキ、ヒサカキなどなどの照葉樹の他、スギやヒノキなどの針葉樹が茂っています。
本来的には、高木としてスダジイが優占する暖温帯照葉樹林であった可能性があります。
ヒプシサーマル(海進)期には、この間際まで入り江として海水が入り込んでいました。
縄文時代中期にも、この近くに貝塚(下大越貝塚)があり、大国魂神社が立つ丘陵の近くに海水が入り込んでいたことが推定されます。
そういった入り江に面した丘陵斜面の植生的特徴として、スダジイの優占は十分考えられます。
スダジイラインの本格的調査が楽しみです。
神社の近くにある、国指定史跡、甲塚古墳です。
円墳です。直径37m、高さ8m。
昔は、古墳の上に、銘木「八方にらみの松」が立っていました。
松食い虫で枯れてしまったのです。
伝説では、磐城国造の建許呂命(たけころのみこと)の墓とされていますが、日本の古墳には墓誌がないので、確証はありません。
日本で墓誌が見つかったのは、太安万侶(古事記の編纂者)の墓ぐらいなものです。
でも、甲塚古墳は国指定史跡なので発掘調査はしていません。
謎は謎のままの方が、考えていても楽しいですね。
夏井地区は、冬でも陽光が明るく、とっても気持ちが安らぐ場所です。
とっても楽しい時間を過ごしました。
次は、いわき市平の飯野八幡宮と高月館を訪ねてみようと思っています。