今日も、平田村のひらた中央病院に避難入院しているばあちゃんをお見舞いに行ってきました。
いつものように病院の駐車場に車を駐めて、エレベーターで2階に上がり、212号室に入ったら、ばあちゃんのベッドにじいちゃんが寝ている!!!
びっくりしました〜。
ばあちゃんがいきなりじいちゃんに変わるわけないし〜、、、
どこに行ったのだろう?
不安になって、ナースステーションの看護婦さんに聞いたら、205号室に案内してくれました。
あいかわらず鼻にチューブを差し込んで、点滴している。
だけど、
「来たよ〜、だいじょうぶ〜?」と大きな声をかけると、
目を見開いて、「だいじょうぶ」としっかりした返事が返ってきました。
よかった〜、、
看護婦さんのお話だと、
「だいぶ落ち着いて来ましたよ。ただ食事が、普通の三分の一程度しか食べられていないので、体力を維持するために、鼻から通したチューブで栄養を補給し、点滴も行っています。もっと体力が付けば、この病院より福島からは近い米沢市の老健施設に移すことができるのですが。そうすれば福島からでも通うのが楽になるのですが、先生もそのことを一番心配しておられます。」
とのことでした。
副院長先生も僕たち家族のことまで心配して下さっている。
ありがたいことです。
とにかく、ここまで来たら、あせらずに、ばあちゃんの年齢に合わせてゆっくりとしたペースで体力の回復を図ることがベストですね。
病院も、回復状態に合わせて病室を変えています。それだけ楢葉町から二次避難で入院される方が多いのですね。
とにかくひらた中央病院は賑やかです。
全国から医師の先生や看護士さん、介護士さん、薬剤師さんがボランティアで駆けつけられ、対応に当たっておられます。
本当に感謝です。
今日も、ばあちゃんが疲れない範囲で会話を交わして来ましたが、思ったのは、やはり認知症が進んではいます。
僕が声をかけ、家族や親戚の話をすると、
「そうー」とか「そうなのー」とかは返事してくれますが、目線を見ると、僕が息子だとどこまで認識しているのか不安になります。
僕はばあちゃんの目線でばあちゃんが何を考え何を認識しているか、ある程度分かります。それは、家族だからこそです。
やはり一時避難、そして二次避難の疲れで、一時は意識がないほどに憔悴してしまったので、そのダメージはかなり大きいと思いました。
かなりの高齢なので、移動と避難生活のダメージがばあちゃんの認知症に与えた影響は少なくないと思いました。
こちらの方は、もう少し体力が回復してから、何度も何度も話しかけて、記憶を取り戻すしかないと思いました。
やはり、原発事故による避難生活の影響は計り知れないものがありますね〜。
ばあちゃんが疲れない範囲でベッドに寄り添い、
帰り際、「また来るからね」と話しかけると「はい」と返事が返ってきました。
毎日お見舞いに来たいけど、仕事があるので、そうも言っていられません。
病院を出ると、外の気温は高くなっていました。
車を運転していると、汗ばむ感じです。
阿武隈高原サービスエリアに立ち寄って、ミネラルウォーターを買い求め、喉を潤しました。
福島に戻って、佐原の慈徳寺の種まき桜を見に行きました。